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「いただいたいのちを生きるために」~お寺と僧侶ができること~

 『選擇集』の講義を受けて、続いて仏教大学ビーハラ研究会に出席する。先月はアメリカ同人の来館で欠席したので、今回はぜひ出席したかった。奈倉道隆先生の仏教カウンセリングWSの案内があったからだ。

 今月のテーマにも関心はあった。「いただいたいのちを生きるために」~お寺と僧侶ができること~

  浄土真宗の僧侶の方が発表で、田舎の古民家を再生して、認知症のグループホームでの活動である。「むつみ庵」の名前をどこかで聞いたことがあると思っていたら、理事長は釋徹宗師。たいへん彼らしい活動で、感心させられたし、教えていただくことも多かった。「物語を読み解く、物語に乗り掛かる」とか、「多様な関係を造る」、そして「カイロス(クロノスという物理的な時間ではなく、主観的な時間)を延ばす」。近代的な自我とは、また異なる視点が散りばめられていた。マスコミに出る部分だけでなく、地道に僧侶としての彼がどんな活動をしているのかの一端に触れた気がした。

 私見だが、このような対人援助のケースの場合、ともすれば、援助者と非援助者の一対一の関わりのことに興味が持たれる。確かに、援助的な人間関係をいかに結ぶのか。その態度が問われているからだ。しかしそれだけならば、個人の態度や姿勢の問題、つまり個人の能力にすべて収斂されて終わってしまうことを危惧する。なぜなら、個々人の対応だけでは、限界があるからだ。援助者や職員といっても、同じ人間だ。決して、聖人でも人格者でもない。にもかかわらず過度な理想的な要求が、逆に現場を苦しめていくことになりかねない。入所者を護るように、そこにかかわる人達をいかに護っていくのか。その意味では、施設としての方針、哲学が問われていると、常々考えている。

 その点、トップである理事長の哲学、理念がハッキリしていることが、とてもすばらしく思った。見せていたいだ画像や動画からも、その仏教的な雰囲気に加えて、と宗教的スライドや、職員や援助者側の風通しがよく、護られてこそ、よい援助的な対人関係が結ばれるのだと思う。

 二重、三重の安心という意味では、真宗カウンセリングのグルーブも同じだ。一対一の関係の外に、組織として護りがある。そして、そのいちばん外側には、目には見えないが、阿弥陀さまの本願だと常々味わっている。そこに援助者やカウンセリングが触れているのか、どうかが重要になってくると思っているのだ。

 

 

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