地震(2)~ただ念仏のみまこと~
ここ数日間、どこに行っても、誰に会っても、まずは地震の話題から始まる。今生の集いでも、仏法の座でも、同じことである。みんなが体験したことは同じで、「恐かった」という気持ちだ。からだで感じたことなので、言葉に勢いがある。
それは、仕事で会う人や近所の方、カウンセリング仲間、または自力整体の教室、また法座の席でも、同じことだ。
ところが、最後のところは少し違う。念仏者といえでも、恐かったり、逃れたかったりするのだが、それでいながら、「業は避けられないのに、(轉倒している私は)分かってないね」とか、「無常は逃れられないのに、死にたくないしかないなー」と言った内省となり、仏法の味わいとなるのだ。結局、火宅無常の世界に生きる、煩悩具足の私には、末と通った真実がないというこ。ただ念仏のみまことである。
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