集落の中心に信仰
山合いの集落、山があり、河があり、のどかな風景が広がり、美しい。
当然、コンビニも、お店も、自販機もない。信号機もないのである。
しかし、集落の中心は信仰がある。
そこかしこに石碑や石仏が点在している。
中央の小高い地に、神社があった。
ここを散策中に、古老に出会った。この村の中心はお寺に隣接する毘沙門さまだという。なんでも、応仁の乱のころ、赤松氏ゆかりの毘沙門さまをお祀りすることから、この集落が始ったという。寺院の横に、数段の石垣の上のお堂が毘沙門堂。残念ながら扉は閉まっていた。ここはお東のお寺が収めているという。
そしてもう一つが、本願寺派の法林寺である。
500有余年の歴史がある古刹だ。毘沙門堂の話をすると、「こちらは、阿弥陀堂を預かっています」とのことだ。クネクネした細い集落の道を入っていくと、阿弥陀堂があった。今は公民館として使われているようだが、ここの阿弥陀さまは、坐像だという。かなりの歴史があるようだ。
小さな山間の集落だが、何百年も篤い信仰と共にあったことがよくわかる。法林寺も、小振りながらも風格のあるお寺なのも、その所以であろう。単なる建物の相続ではなく、そこに信心の喜びの相続があったことだと思われる。これからは何かと難しい課題もあるだろうが、形式だけでなく、ご信心の相続もしていただきいものだと、そんな内容のご法話は最後に付け加えた。
≪榊の阿弥陀堂↑≫
≪ちょっとバランスの悪いドラえもん像↑≫
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