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広島支部法座~釈迦微笑の素懐~

 聖典講座の翌日だったでの「王舎城の悲劇」の韋提希夫人の救済を中心にしたご法話。愚痴の女人、凡夫とは誰の姿なのかを頂いた。またそれがどのような態度で釋尊が臨まれ、救われていくのかを頂いた。

 山本仏骨和上の教説より窺うと、

父王「頻婆娑羅大王」は 貪欲によって人を殺す
息子「阿闍世太子」は、 愼恚によって人を殺す
妃の「韋提希夫人」は、 愚痴に惑って悲嘆する
釋尊の従兄弟「提婆達多」は、五逆謗法を以て仏に反逆する
とあった。

そこには出でいないが、このドラマのディレクターは釋尊であろう。そうなると、阿弥陀さまはプロデューサーということか。しかし、ディレクターである釋尊は、またドラマの重要な出演者でもある。苦悩の衆生に対して釋尊は救いのみ手を差し出していかれるのである。それも、それはまず説法ではなく、光明によってのご教化が最初なのだ。

ところで、親鸞さまは「清浄歓喜智慧光」と『正信偈』で述べられているが、これは阿弥陀さまの十二光のうち、清浄光、歓喜光、智慧光である。清浄光は貪欲を、歓喜光は愼恚を、智慧光は愚痴を破っていく光明である。それと同様に、釋尊も光明によって三毒の衆生を救っておられる。

釋尊が「即便微笑」されて御口より放たれた五色の光が、貪欲の頻婆娑羅王を救った。
また、釋尊が月愛三昧に入った光明で、愼恚の阿闍世太子の病を癒していった(涅槃経)。
また、愚痴の韋提希夫人に対しては、その溢れる悲嘆と愚痴の間、沈黙しながら、神々しい光の姿でお聞きになり、そして「清浄の業処」に生まれることを願った韋提希に、眉間の白毫より金色の光を放たれ、数限りない諸仏方の浄土を示されていくることになある(光台現国)。

愚痴とは、無明である。因果の道理をわきまえないことである。冒頭、韋提希は、悲劇のヒロインとして悲泣し、問題を責任転嫁しているだげある。その愚痴を破っは、如来の光明であった。「智慧の光明はかりはし」。如来の光明は智慧である。智慧の光こそが、衆生の愚痴、無明を破るのであった。そのおかげで、釋尊に誘引されて、韋提希は、弥陀の浄土に往生する道を選ばれるのである。終始、沈黙された釋尊が微笑みをもって答えていかれる。釈迦微笑の素懐は、極重悪人こそをお目当てである弥陀の本願を説く時がやってきたのである。

「達多(提婆達多)・闍世(阿闍世)の悪逆によりて、釈迦微笑の素懐を彰す。韋提別選の正意によりて、弥陀大悲の本願を開闡す」

 

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