母の日
母の日の京都支部法座。
ぼくも、母に花を贈った。ここ数年間は、鉢植えの花を贈っている。ちょっと芸がないのだが、無難なところである。昨年贈ったものも、一昨年のものも、今年もきれいに咲き出した。だいたいこの時期に花をつけるのである。
法話の後、信仰座談会の前の何気ない雑談だったと思うが、だいだい同世代のお母さんたちが、母の日のプレゼントの話になった。息子をもっておられる方ばかりである。うちのように花を贈られたという人もあれば、昨年は何で、今年は何と、何にか贈り物をもらわれる人もいる。または息子さんから外食に誘われたという人もいる。口では、邪魔くさいといいながらも、どこかうれしそうでもある。
一方、「毎年、何ももらいません」という方もあった。それはそれお家の習慣ではあろうが、こんな時はどことなく寂しそうではある。
だだ花や物だげでなく、それに添えて、感謝ややさしい言葉の一つもかけたいものだ。ほんとうは、常日頃から、親に対してそんな態度や言葉を口にすればいいのだが、これが分かっていながら、なかなか難しい。難きがなかにもなお難しか。
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