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『憲法を武器として』~恵庭事件~ VS国家権力な映画(1)

 5月3日は憲法記念日。その関係か、GM前後の京都シネマでは関連ドキュメンター映画が上映されることが多い。今年は、庶民が国家権力と対峙する映画を観た。

 まずは、昭和37年に北海道で千歳郡恵庭町(当時)の陸上自衛隊演習地で起った恵庭事件のドキュメンター映画だ。『憲法を武器として』というタイトルに、副題は「恵庭事件~知られざる50年目の真実」とある。http://www.eniwahanketsu50.com/index.html
ぼくが生まれた年に起った事件なので、リアルには知らない。大学時代、加藤西郷先生の授業でこの事件のことを初めて知ったと思う。

 戦後まもなく、米軍演習場に隣接した野崎牧場を標的に爆撃訓練が行われた。爆音の中で、健康被害、家畜にも大きな被害がでる。抗議や反対行動の結果、米軍が謝罪。演習の中止、さらに撤収につながる。これで一安心と思った矢先、今度は陸上自衛隊が駐屯。米軍と同じく爆撃訓練が再開。仮想敵国(ソ連)である。再び家族への健康被害に、畜産業にも大きな被害が出る。家族は、度重なる抗議や要請を行うが、柔軟合わせてはぐらかせられ続けられる。そのような対応マニュアルが自衛隊側にあったのだ。結局、追い詰められた畜産農家の兄弟は、無断で始められて、一旦は中止するとばぐらかされた演習訓練中に、その通信線の切断を行う。直接の抗議の妨害行動を行ったのだ。

 最低限の生活権を護るための、やむにやまれず行われた庶民の抵抗行為が、通常の器物破損罪ではなく、自衛隊法違反で起訴されることになる。実は一般市民に対して初めて適用された法律だ。そこには政治的思惑が存在していた。当時の国内情勢は、自衛隊は憲法九条に禁止されている戦力に当たるという意見も強く、自衛隊は違憲か合憲かの議論も盛んだった。いわば自衛隊は「日陰者」の存在だった。そんな中、国側はこの裁判を利用して自衛隊を合憲とする判決を目指して、より罪の重い自衛隊法で起訴したのである。

 一方、被告側は、大弁護団が支援活動にあたる。自衛隊法は違憲であるという憲法論争として、徹底的に法廷闘争が行われることになった。映画は、恵庭事件のプロセスと、約3年半(昭和38(1963)年9月から昭和42(1967)年1月まで)もの間、40回も争われた裁判(恵庭裁判)の様子を、当事者の証言だけでなく、再現ドラマという手法で見せていく。

 裁判の過程はスリリングだ。裁判所も、自衛隊違憲という方向で進んでいき、裁判所から検察の求刑が禁止されるという異常事態のなかで、自衛隊の違憲判決がでるという憶測が流れる。が、実際は、憲法判断を避けた肩すかし判決がなされていくのである。(最高裁(国からの)圧力の示唆する証言も映画では出されていく)。当然、被告は無罪になる。それは、通信線は防衛用の器物に当たらないという理由である。起訴されたら99.9%の確立で有罪になるという日本にあって、敗訴にもかかわらず国側は控訴せずに喜ぶ。そのまま被告の無罪が確定するが、自衛隊の存在に傷がつかなかったからである。逆に、勝訴したにもかかわらず、被告側は怒るという不思議な裁判となった。

 日本には憲法裁判所がない。つまり個々の法律、この場合では「自衛隊法」が、憲法違反かどうかを直接判断はできず、このようなケースの時は行われるのだが、今の裁判制度では、極力、政治的な憲法判断を避ける傾向にある。三権分立とは、名ばかりの状態が続いているといっていいのだ。

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