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2018年5月の19件の記事

『ニッポン国VS泉南石綿村』 ~VS国家権力な映画(2)

 鬼才、原一男監督の『ニッポン国VS泉南石綿(いしわた)村』は、予告篇と休憩を含めて4時間の長編映画だ。 http://docudocu.jp/ishiwata/

  泉南のアスベスト被害者の映画である。といっても、裁判の様子は録画はできない。しかもごく普通に生きている庶民たちを被写体だ。それで4時間もの長尺ドキュメンタリーなのだがら、少しきついかな、爆睡も必至だとも思ったいた。

 ところが、これが面白かったのだ。ただダラダラと長いとのではない。8年間の記録をたった4時間に収めるには、あまりにも短いとも思った。

 そしていろいろと考えさせられた。一緒に闘ったいるような気にもなった。長期化する裁判に、原告が次々と亡くなっていけば、怒りや無力感に悔し涙を流す遺族と同じ気持ちにもなるし、石綿肺で七転八倒する被害者の苦しみは痛かった。また、国(お役所)のいい加減さにあきれ果てた。はたまたは、裁判制度や司法ムラ(弁護士も含めて)のあり方にも不審が起こって来た。そこに、貧困や在日朝鮮人問題も絡んで来るし、被害者の立場にもいろいろあって、一方的な弱者だともいいきれない面もあった。被告側にもさまざまな方針や違いがあるのだ。さらに裁判過程でも、一審で勝訴しても、二審、最高裁と、国家も容赦ない。時には、不可解な判決ももたらされる。闘い方も、裁判以外にもいろいろとあることもよく分かった。

 無力な私達が、巨大な国家と闘うということがどういうことなのかをよく分かるのである。国家(国家権力)の得たいの知らなさがよく分かる。その滑稽さや残酷さが、普通の庶民の姿の上に現われていた。

 アスベスト被害については、次のHPなどでご理解ください。

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「真宗法座の集い」~気づき~

 人数は少なかったが、20代~80代の老若男女が集って、2日目は5~6名のグループに分かれて、よりきめこまやかな関わりができたのではないか。よく聞くこと、そしてしっかりと触れていくことの大切を改めて教えられた。これまでの長年の付き合いをしていた方への見方が変わったり、新たな理解を教えてもらった気がした。そして、受容的雰囲気の時は、人は心開き、新たな一面を語ってくれることも経験できたのだ。

 本題の内容には触れられないが、法座の入る前のオリエンテーションでの出来事でも、気付かせてもらった。

 司会者から「明日の起床時間は7時。朝食は、各自自由に。法座は9時開始です」との説明があった。

 質疑に移ると、30代の方から、「起床時間は7時30分でいいのでは?」との提案が出る。各自が身支度をし、布団を上げ、簡単に部屋に掃除機をかけて、朝食を済ませればいいだけだ。少しでも長く布団に入っていたい派のぼくも、90分あれば十分だと思っていたが、異論が出された。

 「いや。やはり7時で。私はいつも5時30分に目が覚めます」と。

 すると、「起床は自由でも、布団を上げるのは7時30分にしたらどうですか」とか、「起きたい人は、静かに出て行けばどうですか」などの中間の意見もでる。男性の宿泊はたった5名。それでもいろいろと意見がでる。

 ぼくはどうでもいいかなと最初は聞いてたが、7時派の人は早く目が覚めるという個人的理由だけで言われているのではないことが分かって、興味がわいてきた。お連れの80代の男性のお世話もされているのだ。「近くのファミレスに行って、モーニングもしたいのだけども、時間の余裕がほしい。年寄りは、なかなか早く出来ないんです」と。なるほど、30、50代のものには分からない

 一見、たわいもない話し合いだっだが、ぼくにはとっては、その後のグループの過程にも関係してくる事象となった。加齢による肉体的な衰えは、座談会でも影響を及ぼしていくのだ。小さな声は聞こえない。早く話すと理解できない。どんどんと詰めていくと、受け答えされているようで、実は混乱されていたのた。逆に、同じことが繰り返して話されると、若い人達はイライラしていくる。

 同じように理解していても、それぞれのペースや進み方があるという、当たり前のことを教えもらう集いであった。 

 

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『憲法を武器として』~恵庭事件~ VS国家権力な映画(1)

 5月3日は憲法記念日。その関係か、GM前後の京都シネマでは関連ドキュメンター映画が上映されることが多い。今年は、庶民が国家権力と対峙する映画を観た。

 まずは、昭和37年に北海道で千歳郡恵庭町(当時)の陸上自衛隊演習地で起った恵庭事件のドキュメンター映画だ。『憲法を武器として』というタイトルに、副題は「恵庭事件~知られざる50年目の真実」とある。http://www.eniwahanketsu50.com/index.html
ぼくが生まれた年に起った事件なので、リアルには知らない。大学時代、加藤西郷先生の授業でこの事件のことを初めて知ったと思う。

 戦後まもなく、米軍演習場に隣接した野崎牧場を標的に爆撃訓練が行われた。爆音の中で、健康被害、家畜にも大きな被害がでる。抗議や反対行動の結果、米軍が謝罪。演習の中止、さらに撤収につながる。これで一安心と思った矢先、今度は陸上自衛隊が駐屯。米軍と同じく爆撃訓練が再開。仮想敵国(ソ連)である。再び家族への健康被害に、畜産業にも大きな被害が出る。家族は、度重なる抗議や要請を行うが、柔軟合わせてはぐらかせられ続けられる。そのような対応マニュアルが自衛隊側にあったのだ。結局、追い詰められた畜産農家の兄弟は、無断で始められて、一旦は中止するとばぐらかされた演習訓練中に、その通信線の切断を行う。直接の抗議の妨害行動を行ったのだ。

 最低限の生活権を護るための、やむにやまれず行われた庶民の抵抗行為が、通常の器物破損罪ではなく、自衛隊法違反で起訴されることになる。実は一般市民に対して初めて適用された法律だ。そこには政治的思惑が存在していた。当時の国内情勢は、自衛隊は憲法九条に禁止されている戦力に当たるという意見も強く、自衛隊は違憲か合憲かの議論も盛んだった。いわば自衛隊は「日陰者」の存在だった。そんな中、国側はこの裁判を利用して自衛隊を合憲とする判決を目指して、より罪の重い自衛隊法で起訴したのである。

 一方、被告側は、大弁護団が支援活動にあたる。自衛隊法は違憲であるという憲法論争として、徹底的に法廷闘争が行われることになった。映画は、恵庭事件のプロセスと、約3年半(昭和38(1963)年9月から昭和42(1967)年1月まで)もの間、40回も争われた裁判(恵庭裁判)の様子を、当事者の証言だけでなく、再現ドラマという手法で見せていく。

 裁判の過程はスリリングだ。裁判所も、自衛隊違憲という方向で進んでいき、裁判所から検察の求刑が禁止されるという異常事態のなかで、自衛隊の違憲判決がでるという憶測が流れる。が、実際は、憲法判断を避けた肩すかし判決がなされていくのである。(最高裁(国からの)圧力の示唆する証言も映画では出されていく)。当然、被告は無罪になる。それは、通信線は防衛用の器物に当たらないという理由である。起訴されたら99.9%の確立で有罪になるという日本にあって、敗訴にもかかわらず国側は控訴せずに喜ぶ。そのまま被告の無罪が確定するが、自衛隊の存在に傷がつかなかったからである。逆に、勝訴したにもかかわらず、被告側は怒るという不思議な裁判となった。

 日本には憲法裁判所がない。つまり個々の法律、この場合では「自衛隊法」が、憲法違反かどうかを直接判断はできず、このようなケースの時は行われるのだが、今の裁判制度では、極力、政治的な憲法判断を避ける傾向にある。三権分立とは、名ばかりの状態が続いているといっていいのだ。

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地下鉄十条駅「Kyoto FOOD HUB & LABO」篇

Img_6776夜8時を回って、高山法座から帰宅する。3人で、近くのお好み焼き屋「なりた」へ。実は、ここの前職は写植屋(若い人にはわからん職業だ)で、華光誌の表紙を造ってもらっていたのだ。ところが、臨時休業だ。仕方なく、少し歩いたところの知人の鉄板焼き屋に向かっImg_6780た。でもここも閉店だ。札ノ辻界隈は日曜定休の店ばかりで、どこもダメである。烏丸通にはいると、B級グルメの王道、ホルモン「はやし」があるが、今夜はパスして、地Img_6778下鉄十条駅にまで進む。

 実は、十条通界隈にこんな洒落た店ができて、前から狙っていたダイニング・カフェImg_6779バーに入った。この界隈に、こんなお店ができたのがとても不思議。先客3組も、みな白人のカップルだ。お好み焼きや、ラーメンなどお店を探して徘徊しているうちに、最後はこの店になった。

 会館の近くにはアメリカ人が経営するビール工房ができているが、そこの地ビールが出されていた。まずは、「一意専心」というクラフトビールを頼む。カクテルでダイキリせ呑む。飮み物はまあまあだった。でも料理も、イタリアンを中心においしかった。たっぷりとした肉が売りらしいが、今夜はパス。

 立地を考えると、値段が高目なのが難点。ちょっとした時には使えそうだが、あんまりちょっとした時はないかもしれないなー。どうか生き残れますように…。

 

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B級グルメ~国府町「国八」篇~

Img_6733高山国府のF家が法座会場の時は、国道沿いにあるラーメン「伊吹」か、「国八」で夕食をすませる。今日は、伊吹が休業していて、国八へ。

Img_6734週末には行列のできるB級グルメになっているは聞いていたが、少し早めの時間でまだ空いていた。しかし、その後はお客が入ってきて、うわさどおり行列もできていImg_6732た。

豆腐定食700円也に、ホルモン焼き、イカ焼きの定番のパターン。濃厚な味にご飯がどんどんすすむ。おかげで、法話が終わったころには、みんな胸焼けをしてしまった。

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外護の善知識(2)

永代経が終わった翌日、高山のFさんからの電話があった。1月の報恩講でも、11月の華光大会の後でも、大きな法座の後には必ずあることだ。でも、法話の質問でも、法座の感想でもない。

 撮影くださった法話DVDの編集についての相談である。

 Fさんは、今年の九十歳になられた。このために機材を購入くださり、毎回、撮影のために宅配便で送ってきてくださる。それもすべて自費負担してくださっているのだ。Fさんの仕事は早い。機材が自宅に戻ったらすぐに編集に取りかかってくださる。先生方の法話タイトルや組み合わせを尋ねられるのだ。そして、法座終了後、1週間以内に編集原盤にダイビングされたDVDまで送ってきてくださるのである。今回も、5月5日には会館に完成品が届けられていた。

 ところが、御礼の電話しようと思ったら、Fさんが倒れて入院されたという一報が入ってきた。

 病院は、高山法座の会所への道にあって近かった。お見舞いに窺う。右側は麻痺していて、言葉もほとんど聞くことはできなかった。それでも、意識はしっかりされていて、こちらの言葉に反応くださる。お別れの時には、片手で手を合わせて(合掌したかたっのだろう)お見送りくださった。

 Fさんは、このDVD撮影を悟朗先生からいただいた自分の仕事だとライフワークにして取り組んだくださっていた。毎回、足の少し不自由な奥さまの手を引きながら、仲睦ましく参詣くださる姿は、法座の風物詩でもあった。しかし、高齢になられて、京都に来るだけでもお疲れであろうに、如来さまの仕事だと、いのちのある限りやられてもらいますと仰っていた。同時に、最近は、「これが最後です」というのも口癖であった。永代経の終わりも、少しお疲れの様子にも見えて、心配していた。

 でも、責任感の強い方で、撮影だけでなく、編集、ダビングを終え、会館に送付された直後に倒れられたというのである。

 まさに執念。頭を下げるしかない。もし永代経DVDをお買い求め方は、Fさんの法にかけるお心も聞いていただきたいのだ。

 Fさんのこの仕事は終わる。機材を会館に寄付してくださるという。

 さて、Fさんの後継者はでてくるのか。Img_6773
     ≪病室から乗鞍岳が美しい↑≫

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青空の飛騨路

Img_6737 飛騨の国、国府町には、飛騨随一の国宝がある。安国寺である。

 意外な気がするが、古い街並みが残り、社寺仏閣も多い高山には重文級の建物は多いが、国宝はない。いまは高山市になっているImg_6740が、もともとは吉城郡国府町であった。

 昼休み。少し時間があったので、足延ばして安国寺に拝観しようと考えた。久しぶりImg_6747に車で高山に来たからだ。ところが、ナビを入れると思ったより距離がある。往復するだけで時間がなくなってしまうようだ。

Img_6766 諦めて、近所を散策することにした。観光地でなてくも都会の街並みとは違った新鮮さは、先日も体験したばかり。

Img_6741http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2018/05/post-f30d.html

 5月の田園地帯。さまざまな花がきれいImg_6764に咲いている。

 少し歩くと山沿いにお寺が見えてきた。高山~仏青合同法座でも会場に使用させてImg_6763いただいた南春寺だ。少し距離があるように思えたが、歩いてみると、案外近かった。

Img_6735山門には、Fさんが施主となり、飛騨の匠、Hさんが彫刻した龍が鎮座している。
 名人Hさんの作品は、新しくなった高山駅のコンコースにも、高山祭の屋台の彫り物として展示されている。

http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2016/12/post-f72a.html 

 昨晩は冷え込んだが、日中は、初夏の日差しがまぶしい。田植えの終わった田んぼに、青空が広がっていて気持ちがいい。

 法座前には、ちょうどいい散歩。
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≪正面だけでなく、後ろ姿も素晴らし↑≫

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「真宗カウンセリングの成立」~難しい~

 真宗カウンセリング研究会の月例会。「真宗カウンセリングの成立」を読んでいる。

 担当はTさん。ぼくやM先生以外は、まったく仏教にも真宗の門外漢の人たちだ。「真宗」や「聞法」という言葉すら、うまく読んでもらえない。

 ぼくが月例会を担当してから、30年近く立つ。当初は、西光義敞先生の「真宗カウンセリング」に関する研究や発表を聞くことを中心にした時期が長かった。そのうち、会員の発表の場となったが、参加者の中には、カウンセリングに関心はあっても、真宗には関心がないという人もあり、「真宗カウンセリング」に関しては、より深く、別組織の「DPA研究会」で研究されることになったので、当面は、カウンセリング、それもロジャーズのカウンセリングの基本を、その論文にあたりながら学ぶ場として続けてきた。
 それで、なかなか真宗カウンセリング研究会だが、「真宗カウンセリング」や「真宗」のことを話題にすることが少なくなったのである。

 それが、一昨年から西光先生の『育ち合う人間関係』(本願寺出版社)を輪読している。第二章の「真宗カウンセリングの成立」を読むと、真宗の用語や教義の話題がさけて通れなくなっている。

 いまは、「真宗カウンセリングの性格」の章。その性格を整理しなおされているのだが、その仏教や真宗用語のひとつひとつの言葉にひっかかりが出てくる。例えば、9つあるうちの8番目は次のような文章である。

真宗も人間が真の人間となる道として、独自の人間観と方法論をもっている。それは、六字の名号「南無阿弥陀仏」に集約される教法として与えられている。したがって、真宗の立場はその教法、名号法を聞く「聞法」生命としている。教法、すなわち言葉をはなれた修行によって、仏教本来の目的を達しようとする「不立文字」の「禅」とは、根本的に立場を異にする。したがって「聞法の座」すなわち「法座」を時代にマッチした新しい形で創造していこくとは、「真宗カウンセリング」の現代的使命である。

 ただでさえ難しいのに、「教法」「名号法」「聞法」「法座」などの言葉から、相手の理解にあわせて説明が必要となってくる。ましてや、なぜ真宗も「人間が真の人間」となる道なのか。「仏教本来の目的を達する」とはいかなるものか。そして、なぜ、本来称えるものである「南無阿弥陀仏」が、教法として与えられるのか。もちろんそれだからこそ、「聞法」が生命となってくるのだが、では真宗での「聞」とは何か。

 結局のところ、自分自身の理解が問われてくるかのような集りとなった。ほんとうは、単なる知識で終わっても何も分からないのだが、まず輪読であるのだから、理解していただくことから始める必要があるようだ。いや、難しかった。

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外護の善知識

今年もピアノの調律に、日高からのWさんがおいでくださった。

お母様が強信な念仏者であった。ご本人も、華光会館に下宿し、子供大会や仏青で聴聞されていた。聞法聴聞としては、疎遠になっておられるが、ご喜捨くださったピアノの調律に、毎年、毎年、欠かさずに、この5月になるとおいでくださる。

あわせて会館修繕のご喜捨もしてくださった。今回の修繕募金には、いま、疎遠となっていたり、高齢や病気などでお参りが適わなくなった旧同人からも、篤い思いを届けてくださっている。

いま熱心に華光でご聴聞されている方にお伝えしたい。無数の外護の善知識のおかげて、私が、ここで仏法聴聞ができるのことを。

ところが、私はただ自分の信心が欲しい、ハッキリしたい、喜びたいと、必死に自分で求めている思っている。しかしなかなか聞けないと、辛くなって、八つ当たりしてふくれている。要は、信心も自分の思い通りにしたいだけで、この世のことであっても、どれだけのご苦労があるかなどには眼中にないのである。ましてや、如来さまのご苦労があったことなどまったく知ることもできない。狂った、無明の身そのものである。

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母の日

母の日の京都支部法座。

Img_6729ぼくも、母に花を贈った。ここ数年間は、鉢植えの花を贈っている。ちょっと芸がないのだが、無難なところである。昨年贈ったものも、一昨年のものも、今年もきれいに咲き出した。だいたいこの時期に花をつけるのである。

Img_6794法話の後、信仰座談会の前の何気ない雑談だったと思うが、だいだい同世代のお母さんたちが、母の日のプレゼントの話になった。息子をもっておられる方ばかりである。うちのように花を贈られたという人もあれば、昨年は何で、今年は何と、何にか贈り物をもらわれる人もいる。または息子さんから外食に誘われたという人もいる。口では、邪魔くさいといいながらも、どこかうれしそうでもある。Img_6783一方、「毎年、何ももらいません」という方もあった。それはそれお家の習慣ではあろうが、こんな時はどことなく寂しそうではある。

だだ花や物だげでなく、それに添えて、感謝ややさしい言葉の一つもかけたいものだ。ほんとうは、常日頃から、親に対してそんな態度や言葉を口にすればいいのだが、これが分かっていながら、なかなか難しい。難きがなかにもなお難しか。

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集落の中心に信仰

Img_6620休憩時間、お寺の周りを散策する。

山合いの集落、山があり、河があり、のどかな風景が広がり、美しい。
Img_6607当然、コンビニも、お店も、自販機もない。信号機もないのである。
Img_6610しかし、集落の中心は信仰がある。

そこかしこに石碑や石仏が点在している。

中央の小高い地に、神社があった。

Img_6611その向いにおImg_6629寺。真宗大谷派の寺院である。

ここを散策中に、古老に出会った。この村の中心はお寺に隣接する毘沙門さまだという。なんでも、応仁のImg_6632乱のころ、赤松氏ゆかりImg_6637毘沙門さまをImg_6641お祀りすることから、この集落が始ったという。寺院の横に、数段の石垣の上のお堂が毘沙門堂。残念ながら扉は閉まっていた。ここはお東のお寺が収めているという。Img_6650

Img_6673 そしてもう一つが、本願寺派の法林寺である。

 500有余年の歴史がある古刹だ。毘沙門堂の話をすると、「こちらは、阿弥陀堂を預かっています」とのことだ。クネクネした細い集落の道を入っていくと、阿弥陀堂があった。今は公民館として使われているようだImg_6696が、ここの阿弥陀さまは、坐像だという。かなりの歴史があるようだ。

小さな山間の集落だが、何百年も篤い信仰と共にあったことがよくわかる。法林寺も、小振りImg_6657ながらも風格のあるお寺なのも、その所以であろう。単なる建物の相続ではなく、そこに信心の喜びの相続があったことだと思われる。これからは何かと難しい課題もあるだろうが、形式だけでなく、ご信心の相続もしていただきいものだと、そんな内容のご法話は最後に付け加えた。
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  ≪榊の阿弥陀堂↑≫ 
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≪ちょっとバランスの悪いドラえもん像↑≫ 

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寺院布教~光顔巍々~

Img_67165年ぶりに法林寺法座にお招きいただく。

最近、寺院布教では、お参りの皆さんと距離が気になっていた。対人的な意味ではなく、ご法に関する距離で、なんとなく寂しく感じることが多かったからだ。

Img_6674でも、今回は、そこはあまり気にせずに、お伝えしたいこと、自分が感じていることも遠慮なくお話することにした。大きなテーマはもっていったが、それに固執せず、その場の雰囲気や発言Img_6689_2に触発されたところでお取り次ぎさせていただいた。結局、3座を通じて、聴聞の要とImg_6709いったテーマではなかったか。

夜座の半分は座談会にしImg_6660た。懇親会も、檀家さんが中心に残ってくださった。皆さん、以前のこともよく覚えてくださっていて、遅くまでいろいろとお話してくださった。その中で、何名の方が、「先生、お話の雰囲気が変わりましたね」と言ってくださった。ご住職からも同じようなことを聞いていた。

Img_6692「そうですか。実は、先日も、(ぎぎ)としておられました、言っていただきましたが、、」と返答すると、

Img_6688ええ。なんか頭の感じが変わられましたね」。

はーあ 見たままの雰囲気なのね。そんなオチいらないです。

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仏書に親しむ会 ~二つのカサ~

「二つのカサ」を読む。二つのカサとは、

 まず一つは、「法をカサ」にきる。仏法は尊いのだと、そこへ腰を据えて、間違いがないんだと、のしかかってお話をする。いかにも知ったかぶり、受け売りは誰もがやりたい。医者は、一つ間違ったら患者の命取りになるから受け売りはしない。シロウトは、ちょっと自分の病気が治ったら、この薬や健康器をとすぐ人に勧めたがる。

 二番目は、「これは教義や知識で言ってるのと違って、わたしが体験したことだ」と、「体験をカサ」にきる。自分の通った道、その枠に相手をはめていこうとする。自分の体験を絶対視していく。
 
 でも、ご法は、どこまでも自身の往生で貫いていく。自信教人信といっても、まず自信が大切。その自信が教人信に転じても、やっぱり自分に聞かせてもらう。そこが抜けると、知ったかぶりの評論家になってしまう。

 また、自分にとっては絶対的な体験も、救っていただいた他力廻向の世界。それをありがたく頂戴するしかない。私と仏様の語り合いの世界に立ち帰ったなら、人に言わずにおれんわけだが、それすらも頂きもの。そこに立つことが、私が聞かせてもらう道ではないか。

 でも、ついついご法だけでなく、親が子供に言う時でも、自分の経験やあるいは育ててきたんだというところから話をしてしまう。でも子供はそういう説得調は大嫌いで、「うるさい」とはねつける。本当は、子供を通して、親が育てられねばならない。

 カサをはぎ取られたら、最後に私には何が残るのか。いよいよ哀れな自分しかないなあ、ええ格好をしておっても、全部はぎとられて、裸になって出掛けて行く後生しかないなあと味合わせてもらう。だから、人さまにお話をさせてもらうのも、今度は自分に聞かせてもらうという、行って帰るべき道、そんな回路をもらうことが大切だと。

   そんな要旨だった。

   それぞれ内省される方が多かった中で、Mさん(ご主人の方)がぽつりと言われた。

「わしは、体験も、法も、難しことも知らんので、かぶるカサがある方がうらやましいわ」と。
 

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誕生

5月5日の朝、姪っ子のRちゃんに待望の男の子が生まれた。母には初の曾孫である。母には孫が4名いるが、すべて女の子なのだか、最初の曾孫は男の子となった。

高槻の産婦人科病院に、母を連れてお祝いにかけつけた。

この娑婆に生を受けて丸3日間が過ぎたところでの初々しいいのちを抱かせてもらった。体重は3100g。こんなに小さかったかなというのが、率直な感想だ。でも、小さないのちも、ずっしりと重いいのちには代わりはない。永い永い迷いの打ち止めのためにこのいのちを頂いたのである。仏の子になるように育ってもらいたいなー。

 

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広島支部法座~釈迦微笑の素懐~

 聖典講座の翌日だったでの「王舎城の悲劇」の韋提希夫人の救済を中心にしたご法話。愚痴の女人、凡夫とは誰の姿なのかを頂いた。またそれがどのような態度で釋尊が臨まれ、救われていくのかを頂いた。

 山本仏骨和上の教説より窺うと、

父王「頻婆娑羅大王」は 貪欲によって人を殺す
息子「阿闍世太子」は、 愼恚によって人を殺す
妃の「韋提希夫人」は、 愚痴に惑って悲嘆する
釋尊の従兄弟「提婆達多」は、五逆謗法を以て仏に反逆する
とあった。

そこには出でいないが、このドラマのディレクターは釋尊であろう。そうなると、阿弥陀さまはプロデューサーということか。しかし、ディレクターである釋尊は、またドラマの重要な出演者でもある。苦悩の衆生に対して釋尊は救いのみ手を差し出していかれるのである。それも、それはまず説法ではなく、光明によってのご教化が最初なのだ。

ところで、親鸞さまは「清浄歓喜智慧光」と『正信偈』で述べられているが、これは阿弥陀さまの十二光のうち、清浄光、歓喜光、智慧光である。清浄光は貪欲を、歓喜光は愼恚を、智慧光は愚痴を破っていく光明である。それと同様に、釋尊も光明によって三毒の衆生を救っておられる。

釋尊が「即便微笑」されて御口より放たれた五色の光が、貪欲の頻婆娑羅王を救った。
また、釋尊が月愛三昧に入った光明で、愼恚の阿闍世太子の病を癒していった(涅槃経)。
また、愚痴の韋提希夫人に対しては、その溢れる悲嘆と愚痴の間、沈黙しながら、神々しい光の姿でお聞きになり、そして「清浄の業処」に生まれることを願った韋提希に、眉間の白毫より金色の光を放たれ、数限りない諸仏方の浄土を示されていくることになある(光台現国)。

愚痴とは、無明である。因果の道理をわきまえないことである。冒頭、韋提希は、悲劇のヒロインとして悲泣し、問題を責任転嫁しているだげある。その愚痴を破っは、如来の光明であった。「智慧の光明はかりはし」。如来の光明は智慧である。智慧の光こそが、衆生の愚痴、無明を破るのであった。そのおかげで、釋尊に誘引されて、韋提希は、弥陀の浄土に往生する道を選ばれるのである。終始、沈黙された釋尊が微笑みをもって答えていかれる。釈迦微笑の素懐は、極重悪人こそをお目当てである弥陀の本願を説く時がやってきたのである。

「達多(提婆達多)・闍世(阿闍世)の悪逆によりて、釈迦微笑の素懐を彰す。韋提別選の正意によりて、弥陀大悲の本願を開闡す」

 

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5月の聖典講座~愚痴の凡夫~

『観経』の序分、中でも発起序は『観経』の性格を示す重要な箇所で、善導様は『観経』が説かれる縁を七節(「発起序七縁」)に分けられた。「王舎城の悲劇」が韋提希夫人の救済を中心に述べられているのだが、今回は、そのうち「厭苦縁」「欣浄縁」と「散善顕行縁」の一部を窺った。いよいよ愚痴の凡夫の代表、韋提希夫人の苦悩を機縁にして、弥陀の本願が、誰をお目当てに建てられたのかが明らかになってくるのである。

 厭苦縁【四】とは、韋提希夫人が、苦しみ、悲しみの穢土を厭(いう)う段である。
 幽閉され、愁憂憔悴(しょううしょうすい)した韋提希夫人が、涙ながらに(悲泣雨涙)仏弟子を遣わすことを遥か耆闍崛山を望んで要請される。そのやるさない思いを知った釋尊は、目連・阿難の二尊者を遣わすだけでなく、自らも「耆闍崛山より没して王宮に出でたもう」のである。韋提希が頭を上げるいなや、神々しい釋尊のお姿をあったのだ。その釋尊のお姿に接した韋提希は、「自ら瓔珞を断ち、身を挙げて地を投げ号泣し」して、愚痴のありったけを述べるのであった。

 続く、欣浄縁【五】は、韋提希夫人が、苦の世界、穢土を厭うた後に、浄土を欣(ねが)う段だ。
 釋尊に愚痴をぶつけた韋提希は、「わがために広く憂悩なき処を説きたまえ、われまさに往生すべし」と述べ、さらに娑婆の厭うべき姿を語り、「清浄の業処」に生まれることを願った。その願いを聞き終えて釋尊は、眉間の白毫より金色の光を放たれ、数限りない諸仏方の浄土を示される(光台現国)。数々の仏国土の中から、韋提希は、阿弥陀様の極楽浄土に生まれることを願われたのである。

 散善顕行縁の前半【六】だけを頂いたが、韋提希の別選により釋尊の説法が始まるのであるが、それに先立って頻婆娑羅王を光明で救う段である。
 韋提希が弥陀の極楽浄土を願われたことで、釋尊は「即便微笑」されて、御口より五色の光を出すと、その光が頻婆娑羅王を照らした。すると、王は、なんの煩いもなく釋尊を拝することができ、自然に阿那含(小乗の在家者の悟りの境地)に至ったのである。

 ここに至って、それまで沈黙され、ただ光明で応じられていた釋尊が口を開いてのご説法が始まるのである。
 しかも、その第一声が「阿弥陀仏、此を去ること遠からず」というものであった。

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事故

深夜、緊急車両が次々と通る。すぐ近くに、警察署と消防署があるので、深夜に緊急車両が通ることは珍しくない。

 ところが、今夜は違った。熟睡していたが目が覚めた。パトカーや救急車の他に、消防車もImg_6554走っている、すぐ近くで止まっているように聞こえるのだ。連れ合いも窓から覗いている。いちばん気になったのは消防車が何台も来たことだ。

 連れ合いがパジャマ姿まま外に出る。ぼくも出かけたが、寒くて少Img_6558し着込む。リカマンが赤く染まっている。後で、消防車の赤色灯だと分かったが、そのときは少し不安になった。火事が心配たった。今夜は、風がかなり強かった。

 十条通には、消防車、救急車、パトカーなど10台以上が集結してImg_6556いたが、火事ではかった。乗用車が横転していたのだ。右折時のスピードを出しすぎか、それもと対向車を避けようとしたのか分からないが、とにかくに横転した車に消防車からのホースが向けられていに。車からの出火を心配していたようだ。火事の心配がなくなったら、あとは野次馬根性が出てくる。どうやら救出作業が進んでいるようなので、しばらく作業を見ていた。がなかなか進展しない。風が強く寒くなってきて、戻ることにした。野次馬根性も、寒さにはかないませんでした。

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陶器市

 Img_6522聖典講座から寺院布教、永代経と、GM前半戦は多忙だったが、どうにか乗り越えられた。後半は少し間があいて、最後に5月の聖典講座、広島支部と続いてく。その間に、後片付けや次の聖典講座Img_6545の準備もあるが、事務所の皆さん長期休暇に入った。遠出は無理だったが、半日だけ、連れ合いが一人で出かける予定の陶器市に一緒にImg_6513行くことになった。

 GM中、高速道路は混んでいた。倍近い時間がかかる。陶器の有名な信楽の町中も混んでいた。でも信楽は素通りして、お目当てはお隣の伊賀焼の長谷園である。Img_6519ぼくは、数年前まで、身近に陶芸家の知り合いがImg_6536多かったのだが、あまり興味がなかったので、伊賀焼も初めて知った。山間の小さな集落だが大きな規模Img_6515で開催されていて、次々と車が入ってくる。一昨年も来ている連れ合いの話では、小さな陶器市のように聞いていたが、すごく盛況である。

https://www.igamono.co.jp/kamadashi/index.html

Img_6527Img_6530 窯出しなので、市価の半額で売られている。

器の買い物だけなく、登り窯を観たり、美術館を観る感覚で陶器を観たりした。ぼくImg_6539は買う気はない。が、連れい合いは、いろいろと目星をつけて真剣に見ている。掘り出し物のなかでも、毎日の生活の中で使えるものを探している。実用的だが、大量生産品にない何かを求めているのだ。その意味では、賢い買い物をしてるようだ。

 どやから満足いく成果があったようで、さっそく今夜から食卓を飾ることになった。器が変わると、いつものおかでも、ごちそうに見えるのだから、大した物である。
Img_6549

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永代経法要~仏様の大芝居に参加する~

今年は日高支部がお当番。少数精鋭で頑張ってくださった。おかげでいいご法座となった。法座は、講師だけが頑張ってもダメだ。まず、運営をしたり、裏方で支える世話人の頑張りが大きい。お客さんばかりではダメなのである。さらには参詣の皆さんの熱情も大きく影響する。食い下がってでも聞く人がいると、話す方も力が入る。その意味では、真摯に法を求める方がおられることが、法座の生命線でもある。そして、信一念の覚悟の華鮮やかさも尊いが、信の相続もまた尊いのである。どうしても「聞いた」で卒業顔ばかりでは、法座が停滞してしまう。

その意味で今回の法座はよかった。先生方のご法話もそうだが、信仰体験発表の3名のお同行方の話がすばらしかった。ただよかったというのではなく、法への情熱を呼び起こす力があった。それは、ぼくだけでなく若手の講師方にも伝播していたのもよく分かった。

おかげで、その夜の懇親会は尊かった。20代の若い女性陣が真剣に法を聞こうとする。それに対して、しっかりと法を伝えたいという方もある。しかし、あわてる必要はない。相手の機を観ることも大切で、「欲しい、欲しい」に乗じるだけなら、つまならない喜びをつかませてしまう恐れがあるのだ。法を伝えるとは、相手を変えることではない。むしろ、変わらない自分を聞いてもらうことに意味がある。そこにほんとうにぶつかり涙したものだけが、ご法に出会えるのである。何か(大半の有り難いもの)をつかむのでも、無理強いの必要もない。お念仏だって強要する必要もない。絶対に聞けない自分に出会ったら、その機を逃さず、仏さまにぶつかって聞けばいいだけである。すると必要な方が必要な形で動いてくださるものだ。

今夜は、まさにそんなドラマが起こり、ある若い女性に本願が徹したようだ。

「私はもう聞けません。どうしたらいいのか分からない」と、泣き崩れて彼女はやってきた。ぼくには何もする力はない。ここは阿弥陀さまに相談する方しかないのである。それを促す。ただ機(人も時も)を逃さなかったら、次々と芝居のように出演者が現われてくださった。キーパーソンになった人もあれば、脇役もいた。また道化役もいた。そんな人達が、必要なことを必要なだけ働きかけてくださるのである。なかでも、親が子を拝んで頼む姿は、尊かった。まさに南無阿弥陀仏の姿を、凡夫が体現してくださったのである。しかし、彼女はいった。「いまの心のまま称えても嘘です」。「それは逆だ」とぼくはいった。「どこまでも私は嘘しかない。阿弥陀さままことしかない。私の心はどこまでも嘘。それが本当になって称えるのではなく、南無阿弥陀仏がまことなのだ」と。そんな言葉が届く時には届くのである。

虚仮不実の口から、真実の南無阿弥陀仏が止めどなく溢れ出した。一言も、お念仏を勧めなくても、自然と現われてくださる仕組みがここにはあるのだ。無理なく仏法が躍動する。皆さんも笑顔でお念仏されている。こんな大芝居の場に合わせてもらうことはなかなかない。南無阿弥陀仏

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