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厳しい言葉

 「仏書を読む会」は、悟朗先生の「二つのカサ」。編集段階で何度も読んでいる。そもそもの華光誌作製中にも、法話をまとめたのはぼくなのだが、もう忘れている。小冊子編集段階で何度も読んでいても、こうしてみんなと輪読するのとは訳が違う。

           お釈迦様のお小言
  でも、このお小言だけで済むかというと、もう一つある。それは聞いたような顔をして、聞いていない心が腹底にないか。疑うとるやつがあるじゃないかという「信と疑い」のお小言が、最後に出て来るんです。他宗では問題にしないが、真宗では、ここが命とりです。単に悪人だといってお小言があるのではなくて、悪人なるがゆえに救わずにはおかんのだということを、「私でございましたか」と受けないから叱られるのです。それを聞かせてもらったら、こんな尊く、優しく、もったいないことはないのだが、たいていの人は、善悪の世界に止まってしまう。だから、罪悪や無常がわかりさえすれば、信心だと思っている。浅ましい私のための如来様のご苦労でしたかと、自分の都合のよいところに如来様をひきずりおろしてきておるだけです。ほとんどがそうなっておりますね。まあ、ここでは、仏様には、慈悲だけでなく智慧の面があるということをお話をしておきます。

 厳しいお言葉である。

 皆さんはどう味わわれたのか。このところはよく理解できているのかを何度も尋ねてみたが、ほとんど反応はなかった。

 でもうやむやにしてはならないところだ。大半が、その程度の信仰で終わっているということなおだから・・・。

「たいていの人は、善悪の世界に止まってしまう。だから、罪悪や無常がわかりさえすれば、信心だと思っている。浅ましい私のための如来様のご苦労でしたかと、自分の都合のよいところに如来様をひきずりおろしてきておるだけです。ほとんどがそうなっておりますね。」

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