お斎
お昼にお斎を頂戴する。長年続く伝統の味である。器をまもり、味をまもり、そして伝統を守っていく。相続することはなかなかたいへんなことである。ある求道者の方が、確かにお斎は美味だったが、昼食、夕食、そして昼食、夕食と続くと、肉が食べたくなって、コンビニでフランクフルトを貪り食べていたと書かれていた。でも、講師はお斎は昼座のみ、夕食は豪華なステーキが出てきたりする。
有り難いことに、連れ合いも一緒に呼んでくださっている。彼女は、夜の懇親会を楽しみにしているのだか、一昔前に比べると、常連メンバーも多忙になり、年齢と共に無茶ができなくなっている。今夜も、一人去り、二人去りで、2時を過ぎると住職とぼくたち夫婦だけになっていた。初日は久しぶりにA氏もいて、連れ合いが盛んにダメだしをしていのが、面白かった。さすがに最座までは付き合わなかったが、それでも3時近くまで付き合っていたと思う。父と子の長年の確執が一触即発の緊迫した場面まで体験させてもらった。有り難いことである。
休み時間にはお寺の周りを散歩する。3日間ともあいにくの天気だったが、初日はまだ曇り空だった。中庭のさつきが花を咲かせている。例年、菜の花が満開の時間なのだか、今年は様子が違った。護岸工事中で、河原も無残なままだっのはびっぐたした。境内には、樹齢500年近い巨木がかわらず聳えているのだか、実は、少しずつでも風景は変わっていくようである。
| 固定リンク
« 西光寺別修永代経 | トップページ | 本山のツツジ »
「法味・随想」カテゴリの記事
- 修正会(2)~地震~(2024.01.03)
- 今日はご示談(2022.11.25)
- 神鍋高原・八反瀧(2022.11.06)
- 納骨法要(2022.10.29)
- 法に追い立てられる幸せ(2022.05.29)