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年忌法要

今日は一日いろいろと多忙だった。朝からRさんと永代経の打ち合わせをしたが、夕方からはYさんと会計月次、そして本典の勉強会もする。これらぼくも勉強になっている。そして、すぐに今夜は年忌法要があった。

ご縁があって、同人方での初めての年忌法要だ。嵯峨大覚寺の方面。同じ京都でも、このあたりはご縁が少ないので、有名な寺院や大本山を横目に進んだが、慣れない雨の夜道に少し時間がかかった。

ご家族の方とはご縁があるが、施主様とは初めてである。ここに到るまで紆余曲折があったが、複雑な件は置いておいて、一度の法供養という形でお受けすることすることにした。同じ浄土真宗てはあるが宗派が違うので法名も違うのには驚いた。

愛する家族が亡くなって、どのようにおまつりするのか。浄土真宗では絶対にこうしなけば祟られるとか、成仏しないとかといった決まり事はまったくない。その意味では、ご遺族が気に済むように行われればいいのである。

しかし、教えとしての浄土真宗は、阿弥陀如来一仏、決して故人を拝むのでも、遺影や位牌、遺骨を供養するのでないことはハッキリしている。亡き方をご縁として、残されたものが聴聞される場なのである。だから故人的に遺影や位牌を拝むことには抵抗がある。

が、一方で、残された方がほんとうに納得されないかぎり押しける気はない。ご本人が気が済むようにおまつりをする以外にはないのだが、ただそれだけならぼくの役割はないので、なんとかご縁を結んでいただきたいというわけである。

仏壇や礼拝の形から入るの大切だ、という先生もおられるのだが、ぼくは、信にめざめたならば、そこからハッキリすると思っているので、まずはどんな形でもご聴聞の縁を結ばねばという姿勢で臨んでいる。それがいいのか悪いのかは分からないがいただいたご縁は大切にしたい。

 

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