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2018年4月の15件の記事

真宗カウンセリング研究会総会~愚痴~

華光も高齢化が進んできたが、もっと厳しく、深刻なのが「真宗カウンセリング研究会」の高齢化である。

特に今年の総会は困った。一人を除くと、70代、80代の方ばかりで、PCで行う事務作業ができない方し、月例会の輪読も担当も、代表を含めて「パス」という方ばかり。もっとも母と同じ年の方に、雑用をお願いするわけにもいかない。夜の会合に出席いただくだけでも有難い。

結局、あれも、これも、それも、すべての仕事がぼくのところに回ってくる。事務局長で事務のまとめと、月例会の担当、年1度の会員向けのWSと、真宗カウンセリグWSの世話人を勤めていた。それが、会計担当者が仕事を途中で放り出し、会員管理者がいなくなり、パンフレットの経費削減で担当もし、そのうえ代表代理もあって、仕事が集中してしまっている。

ますます先細りは必死なのに、元気のない消極的な発言が続いては、ぼくも不満を述べることになってしまった。

といっても、新しい方の参加があるので、その方を巻き込んでなんとか進めていきたいとは思う。が、金銭トラブル、世話人間の行き違い、そして新しい会員を巻き込む話し合いまで、すべて白紙一任ではテンションは下がり放しだ。

まあ、こんなところに愚痴を書いても仕方がないが、今日はご容赦くださいませ。

もっとも、一般論でも言えることだが、組織の有りようとして、何故こんなことになったのかの原因も、はっきりしている。仕事が一人に集中していることだけが、不満ではないのだ。いまなら改善の余地が十分あるのが救い。

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華光誌輪読法座

華光誌輪読法座。平日で、メンバーが固定してきた。人数も少なかったが、継続して続いていることだけが、うれしい。

「巻頭言」と「聖教のこころ」を読む。

 この顔ぶれだは、輪読で読解力を深め、より深く内容を理解しようというよりも、読んだ言葉(用語)に刺激を受けて、自分の持ってきた話題をどんどん展開するということが楽しいようだ。だから、いつもちょっと置いてきぼりになるのは致し方なしだ。

「門徒物知らず」読む。

 これは先の年忌法要でも感じたことだが、正しいことを押しつけて、そこだけに固執するのでも、また相手に合わせて妥協し、口をつぐむのでもない、両者の隘路(細い厳しい道)を進む第3の道を模索することが、念仏者として生きるぼくの証だと思っているのだ。その点をもう少し分かち合いたかったが、最後のところで「厳しいなー」と声をいただいただけでも、満足せねばなりまい。

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年忌法要

今日は一日いろいろと多忙だった。朝からRさんと永代経の打ち合わせをしたが、夕方からはYさんと会計月次、そして本典の勉強会もする。これらぼくも勉強になっている。そして、すぐに今夜は年忌法要があった。

ご縁があって、同人方での初めての年忌法要だ。嵯峨大覚寺の方面。同じ京都でも、このあたりはご縁が少ないので、有名な寺院や大本山を横目に進んだが、慣れない雨の夜道に少し時間がかかった。

ご家族の方とはご縁があるが、施主様とは初めてである。ここに到るまで紆余曲折があったが、複雑な件は置いておいて、一度の法供養という形でお受けすることすることにした。同じ浄土真宗てはあるが宗派が違うので法名も違うのには驚いた。

愛する家族が亡くなって、どのようにおまつりするのか。浄土真宗では絶対にこうしなけば祟られるとか、成仏しないとかといった決まり事はまったくない。その意味では、ご遺族が気に済むように行われればいいのである。

しかし、教えとしての浄土真宗は、阿弥陀如来一仏、決して故人を拝むのでも、遺影や位牌、遺骨を供養するのでないことはハッキリしている。亡き方をご縁として、残されたものが聴聞される場なのである。だから故人的に遺影や位牌を拝むことには抵抗がある。

が、一方で、残された方がほんとうに納得されないかぎり押しける気はない。ご本人が気が済むようにおまつりをする以外にはないのだが、ただそれだけならぼくの役割はないので、なんとかご縁を結んでいただきたいというわけである。

仏壇や礼拝の形から入るの大切だ、という先生もおられるのだが、ぼくは、信にめざめたならば、そこからハッキリすると思っているので、まずはどんな形でもご聴聞の縁を結ばねばという姿勢で臨んでいる。それがいいのか悪いのかは分からないがいただいたご縁は大切にしたい。

 

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永代経法要の打合せ

永代経法要の準備のため、Rさんが来館。今月だけで3度目だ。
講師の手配、分級座談会の講師や司会の顔ぶり、信仰体験発表などが決まってきた。当番は、日高支部なので、単独では難しいが、中心になって動ける方が数名あるので、そこは頼もしい。

後は拡大運営委員会の議題である。なんといっても、修繕の問題が大きい。とても幸先よくスタートしたが、皆さんにお願いしていくのはこれらかの話である。
宿泊や食事は締め切っているが、参加はまだまだ大丈夫だ。どうぞ、奮ってご参加ください。

永代経の準備と並行しながら、聞法旅行の準備も進めている。こちらは、野口道場や當専寺(伊藤先生のお寺や墓所)は、旅行社ではなく、直接、拝観の交渉をしている。古ぼけた野口道場が取り壊されていないかかを一番、心配していたが、これはまだ残っていたのが、いちばん安心したことだ。當専寺は、20年前の電話番号が変更(お寺で変更になるのは珍しい)になっていて、なかなか連絡がつかずに困ったが、本山興正寺を通じて連絡先を教えていただいた。快くお迎えいただけるのがうれしい。永代経法要の直前に旅行社にあい、打つ合わせを進めていく予定。もう少しまとまったらまたお知らせします。

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築地本願寺

Img_6261久しぶりに築地本願寺にお参りした。たぶん10年前の結婚式以来じゃないのかなー。

佃島の門徒が中心となって、海を埋め立て地を築いたので、「築地Img_6266御坊」と称されるようになったという。大阪(大坂)の語源も、蓮如上人が最初に使われたが、Img_6265それだけ影響力があったということだろう。

関東の方以外は、初めてお参りされる方もImg_6271Img_6270けっこうあったが、皆さん、その規模や様式に驚いておられた。

ぼくは外国からの観光客が急増していたことに、驚いた。お参りの大半がそうであるようにも見えた。東京駅や銀座からのアクセスもいいし、築地市場を見学する観光客も多いと聞いImg_6273ている。

西本願寺の門前町にある伝道院のモスク風の建物と同じく、伊東忠太氏の設計である。こちらはインド仏教風の建物で、仏塔(ストゥーパー)のようなものが左右にある。最近、国の重要文化財に指定されたそうだ。
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釈迦内柩唄を観る

Img_62825年ぶりに連れ合いが舞台に復帰する。結婚後も、劇団の制作には関わってきたが、舞台に上がることはなかったが、本人にとってもライフワークだといってもいい水上勉作の『釈迦内柩唄』の公演が始まったことも大きい。
http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2013/11/post-f3c7.html

Img_6277たまたま東京法座と公演が重なった。というわけで今回は昼座の代わりに、希望者が観劇することになった。東京支部の方だけでなく、東海支部や大阪、福岡からも集まってくださった。3日間の公演で、20数名も華光から観劇に参加してくださった。ありがとう。主演ではないのに、彼Img_6278女宛に大きなお花まで贈ってくださっていた。たいへん恐縮している。こちらも「ありかとうごさいました」

3週間前から、舞台稽古のために東京に入っていた連れ合いも、久しぶりの舞台にちょっと緊張気味の様子。ぼくも、皆さんにお声をかけてチケット販売をした手前、責任を感じていて、こちらも少し緊張していた。

Img_6259会場は築地本願寺のブティストホール。200名も入ると一杯になる小さめの会場だ。これまで5~600名ほどの大ホールで公演を見てきたので、舞台もずいぶん狭く感じた。しかしその分、観客との距離は小さくて、とても迫力があった。後で分かち合いをしたときに、迫力があったこと、プロ役者さんが上手いこと、そしてテーマに感銘を受けたというのが、異口同音聞かれたことだ。しかも、早めに並んで整理券をもらったので、華光の皆さんは3番からのたいへん早い番号。おかげて前列3番目の中央という絶好の場所に、皆さんが座ることができた。

今回は、俳優座の協力で行われているので、連れ合いのお相手は加藤頼氏。公演前には、加藤剛氏も観劇されたとのことだが、若い時の剛氏を彷彿とさせる、いい男である。連れ合いは、若い男前の旦那だと喜んでいた。主演の有馬さんも半分以上は一人芝居なのだか、ここまで魅せるのはさすがにブロである。

Img_6280二人に比べると連れ合いの演技は、グッと抑えた気味だったのが好印象だ。家族にはやさしい笑顔の素敵な、控えめな母親役なのだが、あるところで、毅然とした態度で死体焼き場で対峙するシーンは、前の米斉加年氏の演出よりもずっとよかった。短いシーだが、彼女の演技と生のチェロ演奏で迫ってくるのもがあった。

感動を受けたとか、人間の悲しい業を感じたとか、昨年の北海道聞法旅行で学んだ朝鮮半島からの強制労働者の遺骨収拾のテーマと被ったとか、いろいろとあって、中には「法話の方が感激します」という方まであったが、まあそれは致し方ないことだ。概ね、皆さんから高評価をいただいて、ほっとしたというのが、正直なところ。

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四十八願のこころ(16)第三十一願~三十二願

「たとひわれ仏を得たらんに、国土清浄にして、みなことごとく十方一切の無量無数不可思議の諸仏世界を照見すること、なほ明鏡にその面像を覩るがごとくならん。もししからずは、正覚を取らじ。」(第三十一願・国土清浄の願)

「たとひわれ仏を得たらんに、地より以上、虚空に至るまで、宮殿・楼観(ろうかん)・池流(ちる)・華樹・国中のあらゆる一切万物、みな無量の雑宝、百千種の香をもつてともに合成(ごうじょう)し、厳飾(ごんじき)奇妙にしてもろもろの人・天に超えん。その香あまねく十方世界に熏(くん)じて、菩薩聞かんもの、みな仏行を修せん。もしかくのごとくならずは、正覚を取らじ。」(第三十二願・妙香合成(みょうこうごうじょう)の願)   

             
 第二十一願以降は、第二十二願(還相廻向の願)から展開して「浄土に生まれて仏となった人々」への願いが中心となります。そして、その浄土がいかなる国土であるかを明らかに誓われたのが、第三十一・三十二願です。お浄土という国土を建立する願いです。
 まず第三十一願は、国土清浄の願といわれています。お浄土は、この上なく清浄であって光輝き、それはまるで澄みきった鏡のようで、すべての諸仏方の世界を映し出してみせようという願いです。
 お浄土に対して私達の国土は穢土で、濁っているから真実が映し出されないのです。一方、磨かれた鏡がすべてを映し出すように、お浄土は清らかに澄みきり、すべてが明らかになるのです。
 次の第三十二願は、妙香合成の願と呼ばれています。お浄土にあるすべてのものが妙なる香りに溢れて、それが十方世界に薫ってよい影響を与えるというものです。
 それに対して私達の穢土には、さまざまな悪臭が満ちています。この身からも口臭や体臭が匂います。そのために芳香剤を使ったりしますが、所詮はごまかしているのにすぎません。でも、お浄土の芳香は、阿弥陀様の清浄な願い、すなわち本願から起こって薫じられた真実、清浄の香りです。それで、十方世界に満ち満ちたその香りを聞いた菩薩は、ますます仏道修行に奮い立つというわけです。「香りを聞く」という表現が面白いですね。

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飛翔

Img_5919新年度が始まった。

今日は、京都市内の多くで、新一年生の入学式がある。何組かの親子連れを見かけた。

東寺のお掘りから飛んできたのだろう。

Img_5922町中の取引銀行の駐車場から飛び立っていいた。

ぼくにとっても、飛躍の新年度にしたい。 

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石川県立歴史博物館~兼六園

Img_6149春先、服装に迷うことがある。 先週の福岡は春のコートを着ていったが、半袖でもいいほどの温かさ。今週の金沢は寒の戻りだそうだが、迷った末、荷物になるコートはやめた。覚悟はしていたが、想像以上にImg_6167寒かった。北陸の天気はころころ変わる。タクシー運転手さん曰く、「弁当忘れても、傘を忘れるな」の典型的な北陸の天気です」と。雨かと思えば日差しがでて、それがすぐ曇って冷たい雨になる。雷にImg_6194なったと思ったら、土曜の夜と日曜の朝、2度も雹にって激しく窓ガラスを叩いた。

先々週の福井はまだ梅だったのに、もうすでにサImg_6173ラの見ごろが済んでいる。一気に咲いて、この天散ってしまうということ。会場からのサクラもいま一つ。

Img_6177法座が終わって、列車までの時間、金沢散策。寒さと雨をさせて、Img_6199支部長さんお勧めの「石川県立歴史博物館」へ。

http://ishikawa-rekihaku.jp/

赤レンガの風情のある建物が3棟。もともImg_6204とは陸軍の兵器跡だったのが、文化施設に生まれ変わっている。お勧めは、一向一揆の資料があること。加賀の一向一揆は、日本史唯一、「百姓が持ちたる国」を生んだ。そのImg_6208関連品や詳細なビデオ上映があった。蓮如上人や顕如上人のことも分かって、15分ほどだが、見応えはあった。

今も道場形式の趣ある寺院が残っているようだ。この地には、蓮如さま以降、真宗の歴史Img_6216が息づいていることがよく分かる。他にも、能登を中心にした民衆の信仰や生活に根ざした「祭り」シアターも見応えがあって、公共なので安価でありながら見応えはあった。また、加賀本多博物館も並館しているImg_6218のだが、加賀といえば「前田家100万石」なのに、なぜ「本多家」?と不思議に思うなのなら、ぜひに。

Img_6232せっかくここまできたで、兼六園も少し散策する。一昨年は、満開サクラ、昨年は、まだ早かったが、今年はかなり散りかけている。同じ時期でも、毎年変わる。入場料が無料だったのImg_6221は、前回も同じ。でも、天候のこともあり人手は少なめだった。とにかく寒い。晴れていたのか雨になったかと思うと、白いものも交じっている。みぞれである。傘を持つ手も冷たい。足早に駅に戻った。

今日は、ストーカー聞法中のSさんと一緒。写真撮影にも協力してもらった。ありがとう。
 彼女Img_6219とは新しいご縁だが、京都はいうまでもなく、先月から、東海、日高、そして北陸とご一緒している。彼女曰く「私はスタンプラリー聞法です」と。なるほど、各支部を順番に回っているわけですね。ストーカーよりもこのネーミングのほうがぴったりくるようだ。毎年一人ぐらい、こんな人が出るのだが、やはり若い人は感性が柔らかい。でも、聞法は、スタンプが全部たまったからといって完了とはいかないので、ご用心。
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金沢での北陸支部法座

金沢での北陸支部法座。

初日の昼座、顔ぶれをみて驚いた。福井、石川、富山、新潟と地域は同じだが、長年のご縁の方の参加がなく、ここ数年の間にご縁きできた方々ばかりだ。同人会員も、半数強いくらいというから、運営はたいへんだろう。しかしこれからの可能性はあるということになる。

初めてお会いする方も数名あったので、冒頭、一言ずつお声をいただいた。その中で、「ある方と、19願、20願、18願の三願転入のことで、本願の順番という話題かでた。ぜひそのことをお聞きしたい」との要望がでる。予定はなかったが、聖典講座やあるお寺の寺報に書いている話題なので、お話申すことにした。ただ、皆さんのお手許に資料を配れなかったのが残念だったが、第1願から11願、そして第12願から20願、さらに21、22願までを、その次第や展開を少し詳しく申し上げた。

結局、日頃、本願とか四十八願といっても、皆さんがご存じなのは、五願開示の11、12、13、17、18と、22願、さらに19、20願ぐらいまで。それも、18願や19願の内容を精査されているわけでもない。ただ何となく聞いている程度で、ましてやその他の願になると、何もご存じなかった。

特に国中に生まれた人天に誓われるところから始まる1~11願のおこころ。それを実現させるための12~20願のおこころ、さらには、18、19、20願の意味と、17願がなぜ「行」なのかなどなど、とにかく盛り沢山の内容になった。おかげで、昼座の座談会の時間は短くなったが、「本願のこころを聞く」といっても、いかに上滑りでしかとられていないかを聞いてもらえるいい機会となったようだ。もっとも四十八願を覚えたからと言って、御心に触れなけらば意味のないことは言うまでもない。

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厳しい言葉

 「仏書を読む会」は、悟朗先生の「二つのカサ」。編集段階で何度も読んでいる。そもそもの華光誌作製中にも、法話をまとめたのはぼくなのだが、もう忘れている。小冊子編集段階で何度も読んでいても、こうしてみんなと輪読するのとは訳が違う。

           お釈迦様のお小言
  でも、このお小言だけで済むかというと、もう一つある。それは聞いたような顔をして、聞いていない心が腹底にないか。疑うとるやつがあるじゃないかという「信と疑い」のお小言が、最後に出て来るんです。他宗では問題にしないが、真宗では、ここが命とりです。単に悪人だといってお小言があるのではなくて、悪人なるがゆえに救わずにはおかんのだということを、「私でございましたか」と受けないから叱られるのです。それを聞かせてもらったら、こんな尊く、優しく、もったいないことはないのだが、たいていの人は、善悪の世界に止まってしまう。だから、罪悪や無常がわかりさえすれば、信心だと思っている。浅ましい私のための如来様のご苦労でしたかと、自分の都合のよいところに如来様をひきずりおろしてきておるだけです。ほとんどがそうなっておりますね。まあ、ここでは、仏様には、慈悲だけでなく智慧の面があるということをお話をしておきます。

 厳しいお言葉である。

 皆さんはどう味わわれたのか。このところはよく理解できているのかを何度も尋ねてみたが、ほとんど反応はなかった。

 でもうやむやにしてはならないところだ。大半が、その程度の信仰で終わっているということなおだから・・・。

「たいていの人は、善悪の世界に止まってしまう。だから、罪悪や無常がわかりさえすれば、信心だと思っている。浅ましい私のための如来様のご苦労でしたかと、自分の都合のよいところに如来様をひきずりおろしてきておるだけです。ほとんどがそうなっておりますね。」

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「夢の天国さくらの園」原谷苑

 Img_3305連れ合いは、3月下旬から東京住まいである。4月14日からの舞台稽古や準備があるからだ。それが稽古の空きで、急遽、戻ってきImg_3322た。2日間だけの休みである。

 母を連れてサクラを観に行く予定の日だった。だんだんと歩くのが不自由になっている母は、カバン車を押して歩ける範囲Img_3304_2なので、段差のあるころや石畳、砂利道はNG。行ける場所が限られてきた。それが今年Img_3321は、Tさんお勧めもあって「原谷苑」に行くことになっていた。名前だけは聞いたことがある程度で、初めて訪れる。最近はサクラの隠れた名所として認知されてきているようだ。

 道中は、金閣寺から衣笠山を行くか、御室から八十八ヶ所の山を超えていくのかの二通りがある。行きは天神川沿いのサクラを見ながら進み、御室仁和寺の脇道を上がってった。御室桜は「五分咲き」の標示がある。遅咲きで有名だか今年はかなりImg_6118早い開花。そこから細い急な山道を進むと原谷の集落が開けてくる。ちなみに帰路は、金閣寺の方に降りてきた。金閣寺の塀沿いを走るが、木々があって肝心の金閣寺はまったく見えなImg_6011い。

 荒れた山沿いを切り開いた山中にあって、さくらの時期は、麓でシャトルバスに乗れかえなければならない。しかも入場料は変動制で、サクラの時の入山料は、お一人Img_3347様1,500円というから、かなり高め。円山公園や哲学の道なら無料である。

Img_6112_2 が、その値打ちは十分にあった。見事なサクラの園である。

 パンフレットには、「夢の天国さくらの園」Img_6030原谷苑とある。まさに夢のような光景だ。最近は、サクラといえば染井吉野となっているが、ここは枝垂れ桜が大半で、山桜などの種類も咲き誇っている。そこに、椿や雪柳、木瓜などがImg_3326色添えを揃えている。このあたりは、十分計算されているようで、しだれ桜のピンクに、白い桜がまじり、他の花が色添えを揃えている。

 山の荒れ地を開いただけに、坂道やなだからでも上下した山道で、母はかなり苦戦している。それでも、床几やベンチがあっちこっち点在Img_6063しているので、なんとか座ることはできた。母が行けたのは、行程の1/3程度だが、それでもその見事さに、何度も感嘆の声を上げている。もし、最初からこんな山だったら諦めていただろうが、知らぬが仏で、そのおかげで、みんなサクラを堪能することができたのだろう。

 おススメです。
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年忌家庭法座

恒例のF家の年忌を兼ねた家庭法座。対象は、同人のご家族と、親戚の方。

もう10数年続いてる。皆さんと顔見知りになってきた。それでも一足飛びにはいかない。口に出して「南無阿弥陀仏」と念仏を申すことを何度も話して始まったが、今では、共に「正信偈」とお勤めし、お念仏を申してくださるまでにはなっている。

親戚は高齢の方なので、恒例の法話もわかりやすい話に努めている。今回は、阿弥陀さまの差別のない本願のお心を、お釈迦さまのエピソードを交えてお伝え申し上げた。法話は20、30分程度だが、難しくなかったと思う。福岡でも課題にしているところだか、短いご法話ならわかりやすいお話をすることができる。これは長年、日曜学校や子供大会の経験をさせてもらったことで、仏典の逸話などを中心にしているからだ。

最後は、四方山話になったが、迷信や俗信を気にされているとこもある。こちらはしっかりご聴聞いただけばいいので、これを聞けたのもご縁である。

 

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バー「別府橋」 & 牧のうどん

Img_6001九州支部法座の楽しみのひとつは、夜座が宴会になることだ。福岡での法座では、「博多しゃぶしゃぶ・あり田」で御馳走になる。

今夜はおいしいワインをいただいた。二次会は、あり田に隣接した奥にあるバー「別府橋」で。ここもずいぶん顔ぶれが違って、新鮮。

Img_6002翌日の昼食はうどんを食べた。福岡といえば長浜ラーメンが有名だが、うどんもうまい。福岡名物の「ごぼ天うどん」を食べる機会が多い。

今回は、「びっくりするうどんにしましょう」とAさんの提案。「なにがびっりくなのかは食べてからImg_6004のお楽しみ」ということで、釜あげうどんの「牧」(まき)というお店に。福岡中心のローカルなチャーン店だが、中心部よりも郊外に展開しているようだ。駐車場は車で溢れ、広い店内は客で賑わって行列ができていた。

店内は写真禁止なので、肝心のうどんの写真も撮れなかったが、麺は、平べったい。「硬い」「普通」「やわらかい」を選ぶのだが、特に柔らかい麺はこしがなく、早く食べないとどんどん麺がだしを吸って、量が膨らんでいく。そこにだし(スープ)を足して食べていくのだ。最初は、別に普通の量だと思ったが、食べても食べても減らないので、「「びっくりする」ということか。同席した3名の方は、完食できず残されていた。それでいて安い。ごぼ天は400円ほどだったと思う。そちらも、人気なのか。

法座の報告よりも、おいしいものを食べたことのほうが、スラスラと書ける。まさに凡夫である。

 

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九州支部法座~課題~

Img_6005岡での支部法座。今回は、Y家の家庭法座ではなく、A家の新装になったご自宅が法座会場だ。以前、お店にマンション用のビルを建てられて、その最上階が会場なので、とにかく展望がすばらしかった。

快晴なのに、今日も新幹線は遅れた。前回の広島は帰路だったが、今回は行きなので気分は焦る。無携帯のぼくが唯一不便に思う時である。まだ新幹線の車内は公衆電話があるので、助かる。それでも車内電話からは通じない携帯もあるので、会館経由の伝言ゲームが続いて逆にやきもきすることになった。結局は30分の遅れで到着。予定通りバスに乗って会場へに向かったが、10分ほどの遅刻で助かった。

今回は常連が欠席で、初参加者が二人おられた。一人が学生さんで、もともとお店のバイトの方。もう一人は、新婚でご縁を結んでくださっている。お二人とも、浄土真宗も、仏教も聞いたことがないという方であるが、その意味では、もっともっとかみ砕いたお話をしないといけないと反省した。それでも、翌日もまた来てくださったのがうれしかった。前回の誌上法話にも触れたが、ただわかりやすいというだけでは、何も残らない可能性がある。常識で終わったり、いままで持っておられた宗教観(だいたい世間的な)をなぞるだけなら、初めての聞法の意味が薄くなる。もちろん、自分で何かテーマを持ってこられた場合は、そこを尋ねていけばいいのだが、知人や家族に誘われたケースはなかなか難しい。今回は後者なのだが、イヤイヤではなく、積極的に参加くださったことは、うれしかった。どこまでご理解いただいたかは別にして、あとは連れてきてくださった方にサポートしてもらいながら、次のご縁を結んでもらえればうれしい。

ぼくも課題にして勉強していきたい。

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