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四十八願のこころ(16)第三十一願~三十二願

「たとひわれ仏を得たらんに、国土清浄にして、みなことごとく十方一切の無量無数不可思議の諸仏世界を照見すること、なほ明鏡にその面像を覩るがごとくならん。もししからずは、正覚を取らじ。」(第三十一願・国土清浄の願)

「たとひわれ仏を得たらんに、地より以上、虚空に至るまで、宮殿・楼観(ろうかん)・池流(ちる)・華樹・国中のあらゆる一切万物、みな無量の雑宝、百千種の香をもつてともに合成(ごうじょう)し、厳飾(ごんじき)奇妙にしてもろもろの人・天に超えん。その香あまねく十方世界に熏(くん)じて、菩薩聞かんもの、みな仏行を修せん。もしかくのごとくならずは、正覚を取らじ。」(第三十二願・妙香合成(みょうこうごうじょう)の願)   

             
 第二十一願以降は、第二十二願(還相廻向の願)から展開して「浄土に生まれて仏となった人々」への願いが中心となります。そして、その浄土がいかなる国土であるかを明らかに誓われたのが、第三十一・三十二願です。お浄土という国土を建立する願いです。
 まず第三十一願は、国土清浄の願といわれています。お浄土は、この上なく清浄であって光輝き、それはまるで澄みきった鏡のようで、すべての諸仏方の世界を映し出してみせようという願いです。
 お浄土に対して私達の国土は穢土で、濁っているから真実が映し出されないのです。一方、磨かれた鏡がすべてを映し出すように、お浄土は清らかに澄みきり、すべてが明らかになるのです。
 次の第三十二願は、妙香合成の願と呼ばれています。お浄土にあるすべてのものが妙なる香りに溢れて、それが十方世界に薫ってよい影響を与えるというものです。
 それに対して私達の穢土には、さまざまな悪臭が満ちています。この身からも口臭や体臭が匂います。そのために芳香剤を使ったりしますが、所詮はごまかしているのにすぎません。でも、お浄土の芳香は、阿弥陀様の清浄な願い、すなわち本願から起こって薫じられた真実、清浄の香りです。それで、十方世界に満ち満ちたその香りを聞いた菩薩は、ますます仏道修行に奮い立つというわけです。「香りを聞く」という表現が面白いですね。

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