« ご示談 | トップページ | 早咲き »

広島支部法座にて

 「全分他力-つまりすべて阿弥陀さまのお計らい-なので、私の方から獲信に関して手出しが出来ない」という発言があった。

 要は、宿善まかせなので、こちからとやかく計らうことができない。すべて阿弥陀さまのお働きなので、待つしかない、という趣旨である。

 一見、殊勝にも聞こえる発言だか、たぶんご本人も気付いておられないが、その裏に恐ろしい自力疑心が蠢いているのではないか。

 もしほんとうに、全分他力-つまりすべて阿弥陀さまのお計らい-だというのなら、そのお呼び声は、いま、もうすでに私に届いているのだ。

「碍は衆生にあり」-分厚い分厚い疑蓋がその声に耳を塞いでいるにも関わらず、どこかで、阿弥陀さまのせいにしていないのか。第一、他力で待っておられるのは阿弥陀さまの方だ。私の方ではない。

 南無阿弥陀仏に飛び込むことこそが、他力のお働きであることを聞かねばならない。
 

|

« ご示談 | トップページ | 早咲き »

法座と聞法」カテゴリの記事