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2018年3月の22件の記事

華光誌の発送

 春の子供大会終わって、華光誌の発送準備に追われていた。

 本体は、久しぶりの外注で少したいへんな思いをしたが、今号は同封物も多い。その作業も、打ち合わせやなどが必要だったので、時間がかかった。

 まずは、4月末の永代経法要のお誘いと法要軸のお誘いだ。

 そして7月の聞法旅行のご案内。今年50回忌をお勤めした、伊藤康善先生のご自坊(當専寺)と墓所、さらには「仏敵」の舞台の野口道場を訪ねる旅である。加えて、大和の御旧跡を訪ねるが、『歎異抄』の著者唯円房の墓所「立興寺」、存覚上人御開基の「願行寺」、さらに蓮如上人との糸車でのやりとりでも有名な大和の了妙尼師の「金台寺」など、なかなか個人ではお参りしないところに行きたいと思っている。

 最後は、建設依頼22年経過した華光会館の大規模修繕募金のお願いである。これは華光誌本体にも役員の記事が掲載されている。いろいろと考慮しながら文章を作ったが、ぜひ、ご一読をいただいた上で、ご協力をお願いする次第です。

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さよなら、京都みなみ会館

Img_5923京都みなみ会館で、最後の映画を見る。本当は、今月一杯だが、最終日の土曜日は福岡に出張中である。

55年というから、ぼくの生まれたことである。ぼくの初みなみ会館は、小学生の時の夏休みだ。東映か何かの映画まつりで、学校のあっせんで映画券が売られて、同級生と観に行ったことをよく覚えている。でも、ここは、長い間、ポルノ専門の映画館だった。それが中Img_5929学校への通学路だったので、ポスター(今なら修正しないとNGのポスター)を見るだけでも、うれしい、はずかし、ドキドキの時期である。そのころ1階のパチンコ屋も健在だった。

その後、RCSが運営になって(それもまた変わるが)、ぼくの手許に一番古い上映スケジュールが、ナンバー18(やっぱりか!)からである。1998年のことだから、20年前ということになる。その時は、インド映画の「ボンベイ」や北朝鮮のプルガサリ(伝説の大怪獣)などが上映されている。でも、その時に見たのは、オバカ映画の「オースティン・パワーズ」だった。その頃は、毎月1、2本は、夫婦で仲良く映画を見に行っていたのであるから、いま思えば信じられないことである。妙なところに話が逸れそうだが、これも無常ということか。

ぼくのみなみ会館のラストは、「死刑台のエレベーター」にした。映画館で見るのは2回目だが、これほどジャズとサスペンスがマッチした映画はない。マイスルのムードは最高だ。このマイルスのレコードも、また完全版のCDも両方持っているが、大画面で見るのはまた格別。

次の映画の上映まで東寺で時間をつぶして、最後に、劇場のサイン入れのドアの写真を撮らせてもらった。

感慨深いというより、寂しい。
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 さようなら~

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東寺のサクラ

Img_5867_2みなみ会館で、最後の映画を見る。本当は、今月一杯だが、最終日の土曜日は福岡に出張中である。

陽気に誘われて、東寺まで足の延ばす。

Img_5876いつの間には、満開に近くまで来ている。
夜にはライトアップされるが、夕方には東Img_5889寺道もたくさんの人が歩いていて、外人さんも多い。
といっても、京都ではまだ穴場のImg_5877方であろう。

今日は、有料拝Img_5891観はせずに、塀の外から眺めてサッーと撮影した。それでもこんな感じである。
これだけのきれいなのだから、来Img_5908年はぜひ、ライトアップも楽しみたいなー。

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龍谷大学ミュージム-マンダラのほとけと神ー

Img_5453 招待券があったので、母も一緒に、龍谷大学ミュージアムへ。

http://museum.ryukoku.ac.jp/exhibition/reg201801.html

「特別展示-マンダラのほとけと神」と題されていた。密教関係はあまり好きではないし、招待券がなければパスしただろう。でも、「仏教の思想と文化-インドから日本へ~」というこれまでのシリーズものImg_5455の一環で、密教やマンダラだけに特化した特別展ではなかった。

第一室は、アジア仏教と題して、ガンダーラやマトゥラー出土の仏像や仏伝の浮彫、経典などが、かなり体系的に展示してあった。これまで見たことのあるものも多かったが、ガンダーラの仏や菩薩たちは精悍で、かつ美しい。インド、西域、そして中国の展示で、まったく密教関係はなかった。

次の第二室は、日本仏教の展示である。やはり密教関係や国家仏教に関する仏像やマンダラもあったが、半分は、浄土教や浄土真宗のものであった。その意味では、馴染みのあるものも多くて、とても興味深いみせてもらった。

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3月の華光誌輪読法座

  華光誌輪読法座である。20代の若い女性が、ふたり参加くださって平均年齢をぐーっと下げた。

 77-1号の誌上法話は、決して易しい内容ではない。しかし、いまのところあまり反応は寄せられない。ぼくなりには、すべて意図もって書いたつもりだし、いろいろと考えて頂きたいテーマである。要は、よく聞くことを「分かっている」と決めつけないので、わが身に引き寄せて深めていただきたいということだ。そしてもうひとつは、絶対に如来さまのことは、凡夫には理解できないということである。そのために、日頃、聞きき染みないような話題せ載せている。当然、一読しただけでは、理解いただけないのは致し方ない。分からないところは、食らいついてでも尋ねてもらいたいのだが、質問がでるのは、せいぜい「言葉」の意味だけで終わる。理解できないことや、意図が分からなかったら、尋ねてて欲しいものだ。

 実際は、輪読法座なので、話題がないと、どんどん自分のところや言葉の末節に反応して、そこばかり膨らんでいくのが残念な気がする。「空」という言葉から、「空しさ」とい話題になり、そこからまた派生てして、本文と違うところで盛り上がっていた。正直、ぼくとしてはそこが「空しい」気分であった。ぼくの方が、皆さんに、期待したり、求めすぎているのもしれないなー

 

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春の仏の子供大会で感じたこと

 春休みに行われた「春の仏の子供大会」。「講習会」を2月に変更してまで春休みにこだわった。そのおかげで、久しぶりに参加者が多かった。班対抗での活動ができたのである。

 ただ、以前と違ってきている。子供たちもいろいろな個性のある方がおられて、一筋縄ではいかない。じっとしておれなない子もあれば、極端な人見知り、声が出づらい子もいる。個性ではあるが、その中で同時に集団生活や一体感のある集いになるのかは、先生の力量もまた試されてくる。その分、先生も手厚い人数が揃った。幼稚園や小学校の先生も交じっておられるので、どうにか2日間を事故もなく過ごすことができた。それが一番有り難かった。

 そしてもうひとつうれしかったのは、3回の法話のうち、初めて担当される方が2人もあったことだ。二人とも、子供大会の出身である。ひとりは大学生で、トップバッター。テーマ「仏さまについて」である。みんなに問いかけ、そして自分なりに考えたところを述べてくれた。子供のときに「因果の道理」ということが印象に残っていたという。ただ、仏さまに関しては、皆さんの反応(大学生の分級座談)でも、慈悲の面が中心で、なかなか智慧の面が出でこなかったのは、もう少し踏み込んで聞いてもらいたいところだ。

 もうひとりは、子供の時には随分個性的であった男性で、ぼくとしても感慨深い。
 罪悪がテーマである。ほんとうに率直に、分からないことは分からない、喜べないことは喜べないと、自然なところでお伝えくださった。子供時代は、ちょっと悪かったらしくて、それを「帳消し」にしてくれる都合のよい念仏であったらしいが、「それってすごく自分勝手な心ですよね」と、彼は言う。
 分級座談で、誰かがいった。「分からないことは分からないと言っていいのだ」と。当たり前のことであるが、それを率直に表明できるかが、結構、難しい。大人だった同じことである。みんな優等生になってしまう。その方が、信心に近いように間違うのだ。でも、彼は無明ということを、自然体に教えくれたように思えた。

 二人が異口同音に言ったことは、前に立ったらまったく違っていた。難しいかった、ということである。

 その経験が大切である。いろいろと課題もあったので、ぼくもその後で指摘させてもらったが、一度、経験したことで、それがスッーと理解してもらえるのが、よく分かった。簡単なように見えていても、伝えることの難しさを実感することは、結局、どれだけ自分が理解して身になっているのかが、問われることにほかならない。そのことに気付いてもらっただけでも、大収穫の集いだった。

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福井プチ散策~大仏観音と橋本左内

Img_5467  この1週間 雨やぐずついた天気が多かったが、やっと青空となる。
 ところが、サンダーバーで福井駅に降り立つと、小雨である。しかも寒い。今冬の福井の大雪は記録的だったが、さすがに街中の雪Img_5473_2は消えている。でも、各地で桜の開花宣言が続く中で、こちらはまだ梅が花盛りである。別院の紅白の梅がきれいである。

Img_5481 午前の法座を終え、昼休みに付近を散策。

 福井東別院のお隣は西山派のお寺で、越前福井大仏観音が安置されていた。真新しいものでImg_5478あったが、周りの地名は「大仏○○」というものばかり。古来、大仏が安置されていていたようで、その名残なのだろう。古い石仏のお顔の一部だけがおまつりされていた。

Img_5493 少し歩いたことろに橋本左内生家跡があった。
Img_5490 安政の大獄に連座し獄中死をするので、明治の世を見ずに亡くなったひとりである。享年25歳! というImg_5487若さだ。いま大河ドラマ「西郷どん」ではキーパーソンとなる謎の蘭Img_5489学医として活躍中だ。主君の松平春獄像も少し歩いたところにあるようだか、雨が降り出してきたので、そちらは諦めた。

 ブラブラして午後からの法座に臨む。
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福井法話会にて~仰せを聞く~

Img_5462 福井東別院を会所にした集まりにお招きいただく。いわゆる「組(そ)」の聞法会である。

 『歎異抄』の後序から「親鸞一人がためなりけり」と題して、2座ご法縁を結ぶ。

 最後に座談会を行ったが、いつの間にか顔見知りの方だけになっていた。同人ではないが、昔からのご縁の方が質問された。

Img_5468 法話で「歎異抄」に触れたので「歎異抄」の九章に単する私見を語ってくださった。唯円房の不審に、親鸞さまが「親鸞もこの不審ありつるに、唯円房同じこころにてありけり」と申されたはころである。

 詳細は省略するが、質問者は、信心に不審などおこるのは自力だ。親鸞さまこんなことを仰るわけがない。だから、都合よく唯円が聞いた(聞き間違った)のだという解釈である。

Img_5466 確かに歎異抄の恐ろしいところは、ここにしかない記されないお言葉が多いことだ。しかもそれが、端的で、また身近な話題でますます魅力的に見えてしまうところで、特にここはすぐに握りやすい危険な箇所だ。ここはその趣旨をよくよくお聞きしなければならないところだ。

Img_5498 ただ、自分に都合が悪いから、従来の主張と違うかとはいって、なんの根拠もなく、都合よくねじ曲げたり、自分の解釈や思いに合わないから無理やりなかったことにしようという態度では、ご聴聞にはならない。

 今日のテーマの一つは、「仰せ」を聞くというところにあった。結局、自分で解釈したり、ねじ曲げたりしながら、自分が納得するように「聞く」ことを繰りかえしていても、まったく意味はないのてある。結局、真宗の聞法とは、そう都合よく聞いたり、解釈したりしている「私自身」の有り様が問われていくことであるのだ。

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『淨土法門源流章』一念義 幸西大徳

 昨年4月から凝然大徳の『淨土法門源流章』の講読を受講している。

 凝然大徳は東大寺の学僧であるが、 現在でも十分通用する、三国にわたる全仏教(ただし浄土宗や禅宗はおまけ程度)を網羅する仏教概説書である『八宗綱要』の著者としても有名だ。『淨土法門源流章』は凝然大徳のもっとも晩年の書である。

 冒頭はインド、中国、日本に渡る三国伝来の浄土の法流を、かなり総花的に概論している。法然聖人すら教義に関しての記述はない。ところが、法然門下にとのような門流があるのかから、急に詳しく述べておられる。

 まず法然聖人の弟子の一番手として、幸西大徳(1240-1321)があげられている。ここを3回に渡って読ませてもらった。親鸞聖人の十歳上の先輩で、『歎異抄』の流罪記録に「幸西成覚房」と記されている(證空上人と同じく、この時は預かりとなって流罪は免れるが、後に流罪となる)人物である。

 ところが、一念義と称される彼の教義の詳細をあまり知る機会はない。その理由とてしは、まず著書が多数あったが、ほんどが失われてしまったこと。『玄義分抄』(『観経疏』「玄義分」の注釈書)は現存するが、近代(大正年間)まで発掘されず、それ以前には研究の対象になることが少なかったのだ。
 さらに、『浄土法門源流章』では、京都や阿波で教線を紹介されているが、室町期までにその流派がほぼ消減してしまい残っていない。
 三番目は、同じ法然門下(特に鎮西派)では一念義が嫌われ、幸西も、法然聖人から破門された異端者だという伝記まで捏造(たぶん)されていくこと(捏造といえば、親鸞聖人までも幸西の弟子であったという記述まで含まれている。こちらも根拠はない)。

 そのような理由が重なり、一般に教義に関してはあまり知られていないなかで、本書は、幸西大徳について、客観的な立場から、当時現存していた著述を繙き、記述されている貴重なものである。

 その凝然大徳は、華厳宗、南都の学僧であり、浄土宗批判をした明恵上人の後輩にあたるから面白い。今日とは異なり、一宗派に固執するよりも、幅広くさまざまな教えを兼学することが高く評価されていた時代であった。彼は、若き日に、法然門下の長西より善導の『観経四帖疏』を学んでいるのだ。

 その意味でも、客観的に法然門下の法流について述べるに相応しい御方であった。ちなみに、この著述には、まだ親鸞聖人の「し」の字も登場してこない(当然、他の浄土宗の祖師方の文献も同様の扱い)。法然没後100年たった時点で、親鸞門流は弱小グループだったのか、その存在感がなかったのである。しかし、ここで一番に取り上げられた幸西の一念義が、この後ほどなく消滅するのに対して、親鸞聖人御一流が、今日まではもっとも興隆することになるとは、当時は想像もされなかったことだろう。その考えると、後々の相続というのもがいかに肝要かが分かる。

 ところで、幸西大徳の一念義は、法然門下でもかなり先鋭的である。一念を「一声」ではなく、仏智の一念ととられている。また、現生不退を説いたり、経に隠顕をみたり、(法然聖人と同じく)菩提心に関してもかなり大胆に捨てものとして述べている。教判も善導の二蔵二教判を受け継ぎ、菩薩蔵頓教の立場で、聖頓・凡頓として、凡頓の立場をとってとられる。

 それらから、かなり親鸞聖人に近いもの(講義では酷似と表現)だと言える。が、個人的には、似かよってはいるが、同一視することはできない部分も多いように思った。
 それにしても法然門下におていても、「ただ念仏申す」という称名(行)一色ではなく、信を強調する立場も強かったことが、これからも窺えた。たとえば『大経』の一念に関して、法然様は善導様に従って、すべて「一念=一声」と解釈されているのだが、幸西大徳は違う。親鸞聖人にしても、信の一念(成就文)と解釈されたり、行の一念(附属の一念)と別けておられるのだ。

 すでに論文等もあるが、実際、親鸞聖人がどれほど幸西大徳の影響を受けられたのかは、興味深いところであった。
 

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日高支部法座雑感(3)

  日高支部の古老たちも、少数になられた。迫力という点では、もう見る影もない。しかし、若い求道者がこられると別である。俄然、厳しく迫っていかれるのである。

 若いお嬢さんが、上品(小さな声で)にお念仏をされていた。すると、

「そんな口先ではなく、五臓(五臓六腑の腹底からの意味)からしんちゃい(しなさい)。その声に当たって、驚きが立つ」と。

 一文不通の泥凡夫である。しかし彼女の中には、仏法が生きている。定番で「とりあえず念仏さえしていれば」というような甘いお勧めでもなければ、「どこにそんな聖教や根拠があるのか」といった理屈でもない。、「お念仏に声の大きい、小さいは関係ないのだ」といった正当な思考の次元の話でもないのだ。

 善知識の仰せにしたがい、五臓から念仏申して、ぶち当てれば驚きが立ったもの、つまり本願にブチ当たったものだけが発しうる生きた仰せ、お言葉にしたがうのか、どうかである。

 しかしである。分かっているといいながら、この仰せに従えない(従わない)のが、また自力の正体の恐ろしさだ。それくらいたいしたことはないとタカをくくっているのだが、それこそがどれだけ自らを欺き、そして迷いを重ねてきたことであろうか。その恐ろしさに気付かずに、ウカウカしていたら、せっかく生きた法縁を逃してしまう。いまこそ、飛び込んでいくのである。

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日高支部法座雑感(2)~四座で四軒~

 それにしても、今回ほど法の相続のすごさを感じさせられる法座もなかった。

 長年に渡り、華光を支えてくださっていた日高の同人の大半が亡くなり、生き残りもずいぶん高齢となられた。このままでは、支部法座の存続も危ないのだが、このところ、ぼくの同世代の同人方が頑張りお世話をくださった。おかげで、今回、10代、20代の参加者が揃ったのも尊かった。

 大人のお世話を受けるだけなら楽でいい。しかしそれだけでは自立した念仏者とは言えない。そのおかげをいただいたなら、今度はお世話をする側になって、初めて仏法は喜べる。それを日高のお世話の皆様から、強く教えていただいた。至れり尽くせりのお世話があったのだ。

Img_5433 ところが、このごろは法座の有り様は変わったきた。ひとりで費用を負担したり、お役(仕事)を受けたりすることは、どこか損をした気になるという方もある。それより、みんなが平等に負担しあうというのが主流だ。それも時代の流れである。しかし、もしお世話側になれたならば、実は大きな徳をいただくことになる。それには、自分も過去にそのような経験(先輩のご恩を受けたことがある)がない方にImg_5435は、なかなかお世話側には回れなし、またそうなった身を喜ぶことができない。要はいつまでも子供だということである。僕も、若い人達を同乗させたが、今回ほどお世話をできる幸せ感じたことはなかった。なかなかこれが次の世代には伝わらないことろである。

 そして、今回は四座も法座があったが、その四回とも違う同人宅でImg_5436の家庭法座となった。これもみな歩ける距離で、この支部の特色である。それぞれ家ごとで、ご縁のある方がお参りくださったのが有り難かった。久しぶりに出会うこともあったし、初めての方もある。そこに、各地から集まった同行が参集したのである。

Img_5448 華光同人が多数おられても、いまやご自宅を法座会場にされたことがある方は、ほんの一握りとなった。確かに、公共会場やホテルほどの宿の方が、準備しても、皆さんの集まることを考えても、また広さにして、便利で効率的かもしれない。皆さんに、ぼくにも楽なのてある。しかしである。たとえ不自由で、少々不便であっても、家庭法座の妙は格別Img_5407_2だ。

 法座が開かれるところは、それだけ法徳がある場所だ。いや、お釈迦さまのお命が捨ててある地でなければ、法座が開けないとも聞いている。

 仏法は、教義や理屈が立派でも、熱い血が通っていなければ聞く人は生まれない。そこに火を通わせられるのは、お同行さん、お一人お一人の働きにある。今回でも、見ず知らずに若い方に、皆さんが損得を度外視してお世話くださる。しかも、古い同行さんではない。次の世代の方が、20代の方にその姿を見せてくださるのである。いくら立派な能書きを垂れることができても、情もないとご法は相続されていかない。その意味でも、華光でも数少なくなった、ご法の相続の地なのだろう。南無阿弥陀仏。

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日高支部法座雑感(1)~こんなご縁もあるのか!~

  前回の秋の日高法座に続いて、今回も印象深い法座となった。

  日高同人だけでなく、大阪や名古屋からも同人がお参りされる。京都から同乗する方もあった。19歳、20歳の学生さん、他にも20代若い女性もおられる。それが、日高の『おばちゃん』たちから法を勧めれるのである。
  特に、今回は不思議な顔ぶれでの法座となった。法座というより、ちょっとした旅行だったといてもいい。映画にロードムービーというのがあるが、まさに、ロード聞法である。問い合わせがあったのに参加されなかった方、誘ったが断られた方、誘ってもいないに自分で決断された方。急に参加されることになった方。とにかくご縁が面白かったが、中でも、いまだに、ぼく自身でも、こんな不思議な出会いがあるのだなーというような参加の仕方をされた方があった。

 以前、一度だけ、辛い気持ちをカウンセリングした人があった。諸般の事情でそれきりになっていたのだが、今回の法座の前々日に、フラッと会館に来られた。また辛い心境になられて、ぼくのことを思い出してくれたのである。急なSOSで、その気持ちを傾聴させてもらった。その後で、ふと週末の日高法座に同乗されないか勧めたくなった。日高町に両親がおられるのだ。最初は、帰省したら、もう復帰できないのではないかと心配されていたが、この案に同意された。この時、法座へ誘う気持ちは微塵もなかった。帰郷しリフレシュしたらいいと思っていたのだ。

 それが、当日、彼の明るい雰囲気に触れてみて、法座に誘う気持ちになった。たとえ勤行や法話だけでもいいと思った。ところが、結果は、喜んで4座ともフル参加である。皆さんの話をニコニコしながら聞いておられる。まったく縁のない方ではない。お祖父さん、お祖母さんは、華光同人。お父さんの命名は(彼は知らなかったが)悟朗先生である。それでも、これまでまったく縁がなかった。子供会を含めて、法座も法話も初体験だ。たぶんお念仏の勧めなどに、驚かれたこともあっただろう。事情を知らない日高の『おばあちゃん』に法を勧めれたりもしていたのが、おかしかった。

 しかし、この2日間で、さらに顔つきが明るくなり(人相が変わるなー)、声の大きさや言葉も、別人のようになっておられたのは驚かされた。受容されていく経験と、法の威力であろう。

 いまだに僕自身も、こんな不思議な縁があるんだと驚いている。まさに遠く宿縁を喜べである。

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1ヶ月遅れの、、。

なぜか、おやつにケーキを食べるという。

Img_5400思い当たることはなかったが、おもむろに「56」のローソクが立つ。誕生日なんか、すでに1ケ月以上も前なのに、なぜに今ごろなのか?

ローソクに火を着けたときに、来客がある。

遥かブラジルから、子供たちからの誕生日のプレゼントも持ってきてImg_5401くれた。

といっても、彼女の来館はメーンはぼくではない。以前から母との晩餐の約束なので、着物姿だ。連れ合いとの顔合わせも、4度目となる。

気を取り直してお祝い。ローソクの「5」も「6」も、これからしばらく使えるだろう。もちろんいのちがあればの話。

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遅延

 それほど、今日は天気も、気温も、一足早い春のように心地よかった。

 広島駅の改札口では通常だったが、ホームに立ったら少しだけ様子がおかしい。発車時刻になっても、隣のホームの列車が発車しないのだ。やっと拡声器をもった駅員が、静岡で停電が発生して、出発時刻が未定だという説明が入った。その間、一度のアナウンスもなし。

Img_5380 ぼくが乗車予定の新幹線は、まだやってこない。4分前に出発予定の、前の列車の自由席に座ることにした。東京駅を含めて、各駅で団子状に列車が連なっていて前が開かないことには、次も動かないというのである。

 30分ほど遅れて出発したと思ったら、岡山駅までにも3度ほど、徐Img_5382行と停止を繰り返している。妙なところで止まるので、最初は珍しかったが、新大阪駅を前にかなりの時間を待たされた。

 雨や雪などでの遅れは、何度か経験している。一度、「不発弾の処理」(事前予告あり)で、遅れたこともあった。しかしこんな好天なImg_5377_2では、予想外である。幸い、行きではなくて帰路だったので助かったが、今夜は、明日までに締切りの巻頭言(こちら9割方完成)や校正作業があったので、気は急いた。でも乗ってしまった以上は、おまかせである。

 結局、100分ほど遅れて京都駅着。倍以上、時間がかかった。じっと座っているだけだが、疲労も倍以上。

  遅い夕食の後で、原稿をまとめた。名古屋~広島~華光誌と、今週末も頑張りました。

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早咲き

 Img_5371広島の会場は、マツダスタジアムのすぐ近く。この2階である。

 眼下の公園に、サクラが満開である。

Img_5374 ぼくが写真をとっていたら、2階から覗く人があって、、「早咲きのサクラですね」とImg_5354教えてもらった。

 これは昨年も確認ずみで、「ウメかな」と考えていたら、、初夏には小さなサクラボの実Img_5359_2がある。

 ウグスイが止まっていた。ウメならぬ、サクラにウグイス。

 それにしも暖かい。しかも好天で、気持ちがいい。2月は、とにかくImg_5355寒かった。サクラは、冬の寒さが厳しいほど、その厳しさで目覚めるという。そして、このところの陽気で、早い開花が予想されている。うんと寒い分、色づきがよいというのである。

 人間でも同じかもしれないなー。

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広島支部法座にて

 「全分他力-つまりすべて阿弥陀さまのお計らい-なので、私の方から獲信に関して手出しが出来ない」という発言があった。

 要は、宿善まかせなので、こちからとやかく計らうことができない。すべて阿弥陀さまのお働きなので、待つしかない、という趣旨である。

 一見、殊勝にも聞こえる発言だか、たぶんご本人も気付いておられないが、その裏に恐ろしい自力疑心が蠢いているのではないか。

 もしほんとうに、全分他力-つまりすべて阿弥陀さまのお計らい-だというのなら、そのお呼び声は、いま、もうすでに私に届いているのだ。

「碍は衆生にあり」-分厚い分厚い疑蓋がその声に耳を塞いでいるにも関わらず、どこかで、阿弥陀さまのせいにしていないのか。第一、他力で待っておられるのは阿弥陀さまの方だ。私の方ではない。

 南無阿弥陀仏に飛び込むことこそが、他力のお働きであることを聞かねばならない。
 

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ご示談

 今年に入って、「ご示談をお願いしたいのですが…」というお申し出が増えている。
 
 すべては受けれらないので、「座談会で発言してみませんか」とか、「スカイプで聞きましょうか」と対応したり、「原則、会員の方が中心です」と言ったりもしている。

 どうも、一対一ではないと、なかなか座談会では話しづらいという方が多くなっているようだ。ただ、ご示談といっても、最後の詰めというより、まだ聞法の緒という方もおおくて、大半は、いまのところの心境をお聞きすることが多い。持ち時間のすべてを発言されつづける方だっておられる。

   実は、僕自身もご示談というより、カウンセリグ的な姿勢で臨んでいる。

 カウセリングの実践勉強を始めて35年以上が経過したが。このところ、少しは聞けるようになったなーと思えるようになった。聴きながらもいろいろ試している。聞くポイントを別に置いてみたり、言葉の奥の気持ちにフォーカスしたり、少しレスに工夫したりと、試行錯誤をしているのだ。僕自身も、大勢の法座の場よりも一対一の方がじっくりと聞かせて頂けるのだろう。

 たぶん、今後も機会は増えてくるだろうな。

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華光誌編集作業

 今回の華光誌は、かなり手こずった。

 いつも会館で作製してくれているRさんが産休に入るので、久しぶりに外注に出すことになったからだ。ほぼ(9割方)、ぼくでもできるが、きれいなルビと2段のタイトルだけがうまくいかないので、改めて組んでもらうことになるからだ。そのためには、いつもの口頭ではなく、字体や大きさの指示をいちいち書き込まねばならない。
 そこに、加えてちょっとした行き違いから、完了しているはずの手直し作業がうまくいかないこともあって、印刷所との約束前夜は、かなり焦った。「仏書に親しむ会」が終わってからも、切迫しながらの作業である。若い頃は、華光誌のために何度、徹夜の作業をした。でも、さすがに最近はない。要領も得たこと、かつ計画も立てられるようになったからだが、今回だけはちょっとピンチだった。

 それでも3時頃までは頑張ったら、だいたい完了して、後は朝の作業で補えるところのメドがたってよかった。

 ただいつもと違って、このあとにまだ校正が何度かやってきて、表紙などの座業も待っている。それでも、翌朝には渡せて、ちょっと一息。ただ、月曜日までに表紙関係の作業があり、巻頭言も書かなくてはいけないが、束の者やすらぎだ。

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抜歯~親知らず(3)

 いよいよぼくの2度目の番がやってきた。

 今回も上下2本同時に抜く。

 こんなことでも、一度、経験があると、気分はぜんぜん違う。しかも、前回は軽かったので、今回もどこか呑気である。

 が、唯一の不安は、連れ合いの腫れ上がった顔だ。あれを見れば、ちらっと心配もおこるが、どうも先生の話を聴くかぎり、心配はなそうそう。素直にはえているようだ。

 前回のように10分ほどで終わった。しかも今度は縫わなくてもいいので、抜糸の必要もない。

 ただ、しばらく止血しなかったので、口のなかは気持ちは悪かったが、翌日にはだいたい止血した。おかげでさまで、腫れもなく、痛みもほぼない。

 いろいろと心配したが、杞憂に終わった。でも、同類にならなかった連れ合いは、なんなとく不満そうである。ちなみに、彼女は、下旬に抜歯が控えているが、難物であるという。つまり、ぼくと違って素直ではないということだ。健闘をお祈りしております。南無阿弥陀仏

 
 

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高山」法座の会場周辺

Img_5324 法座の昼休み、家庭法座の会場を周辺を散策する。

 100メートルのところ寺院と、そして神社の鳥居が見えている。このあたりは、いわゆる高山の古い街並みで、メーン観光地である。

Img_5326 ブラブラと散策するにとてもいい場所。

Img_5332こちらのお寺は、華光会館を建替え時に、「壮年の集い」の会場とImg_5337なって勝久寺だ。

22年ぶりに訪れた。中には、山本Img_5340仏骨先生の書で、H名人が彫った「香光荘厳」の扁額があることを思い出した。でも、今日は会合中で参詣は出来ず、残念。こんなに近いのなら、次の機会にはぜひ訪れたい。

Img_5348  そのときもいった屋台会館(中には入らず)や、古い街並みをブラブラと散策。
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3月の高山支部法座~厳しい一道~

 3月の高山支部法座。例年、寒い日も多いが、今年は珍しく温かった。いや、この前後だけが温暖で、今年の冬の寒さは特に厳しかったということだ。

  初日は、「門徒物知らず」考と題して。迷信や俗信などの風習に疎い真宗の有り様が、「念仏者は無碍の一道なり」といわれる、何物にも妨げられない歩みとなるのかがテーマ。実際は、(特に高山のような)゛古い共同体が残る地域では、周りが真宗者であっても、神社の行事や風習と共存しながら、真宗は生きている。蓮如上人のご教示である。「信心は内面に蓄えて、外面は王法仁義で生きよ」、つまり権力や体制とは、軋轢や摩擦を起こさず、内面深く信心を守りということが、深く真宗者に根付いてしまったのである。

実際は、職場や付き合い、家族でも、神社にお参りするが、「『南無阿弥陀仏』と申します」とか、「たとえお参りしても、皆さんのように祈願の必要がないので、楽なものです」との声があった。

決して、目くじらを立てる必要はないが、この「楽です」の一言が、ひっかかった。

ぼくには、現実生活で、この白道を貫くことは容易ではないように思えるからだ。大多数の群れる道ではなく少数派の小径を歩みことは、時に多数派からの冷笑もあり、時に軋轢も生み、また権力との衝突も起こりうるからである。もちろん、内面を抑え、和を保つとことも大切だが、社会や周りの顔色を窺い外面は隠して粛々と従う道が、ほんとうに「楽」な道なのだろうか。それで、私が念仏者であった爪痕を有縁の者に残すことができるのか。

もし、変人や異安心の誹りが恐ろしいだけなら、無碍と言えるのか。といって、ただ自信を貫き、強く頑に拒否すればよいのかと言うと、その態度が、時に「我れ善し、彼れ悪し」と、他者を批判(破邪)し、ただ安全な仲間うちだけの喜びで終わり、他者との対話の機会を摘んでいくようにも思える。

 結局、この両者の隘路(狭く険しい道)こそが、我々が歩む厳しい一道ではないのか。常に「本当にこの歩みでいいのか」と、自問し、揺れながらでも、祖師の歩まれた一道に帰ろうというのが、今日の念仏者の証のように思えてならないが、簡単に答えられなないが、だだ楽でありながらも、厳しい道のようにぼくには思えている。南無阿弥陀仏い

 

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希望舞台「釈迦内柩唄」ご案内

今日、連れ合いは、東京で、舞台発表の新聞記者会見に臨んでいる。3年ぶりに舞台復帰である。

4月13日(金)・14日(土)・15日(日)、「釈迦内柩唄」(しゃかないひつぎうた)という希望舞台の劇を、築地本願寺のブディストホールで公演する。

 作家、水上勉氏の戯曲で、すでに486回講演されてる。連れ合いは、俳優座の加藤剛の長男、加藤頼氏と夫婦役で出演する。直接、浄土真宗の教えとは関係はないが、「花つくし」という信心数え唄が登場したりする。本願寺や各教区の七五〇回忌記念事業としても、何度も講演されてる名作で、全日本仏教会が後援である。

http://www.kibou-butai.com/syaka/index.html

(ここの写真にも写ってます)

 ところで、ぼくも、同じ日(4月14日(土)~15日(日))に、文京区大塚の林野会館での東京支部法座に臨むことになっていた。

 そこで、皆さんと相談して、通常の法座に加えて 1日目昼座(14日(土))の舞台を観劇することにした。開場は1時30分で、終演は3時40分頃となる。

  既に、東京支部や東海支部から、何名かが参加されるようだ。前売券(大人3,500円)があと少し残っているが、小ホールなので当日券はないかと思われます。
 参加きぼう方は、3月30日(金)(なるべく早めに)までに、お申し出ください。ご質問も、ご遠慮なくどうぞ。

 観劇の後、夕食を共にし、19時からの法座に臨む予定。広くご参加をお待ちしています。

http://keko-kai.la.coocan.jp/event/2018/detail/04/tokyo2018-4.htm

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