« 春の仏の子供大会で感じたこと | トップページ | 龍谷大学ミュージム-マンダラのほとけと神ー »

3月の華光誌輪読法座

  華光誌輪読法座である。20代の若い女性が、ふたり参加くださって平均年齢をぐーっと下げた。

 77-1号の誌上法話は、決して易しい内容ではない。しかし、いまのところあまり反応は寄せられない。ぼくなりには、すべて意図もって書いたつもりだし、いろいろと考えて頂きたいテーマである。要は、よく聞くことを「分かっている」と決めつけないので、わが身に引き寄せて深めていただきたいということだ。そしてもうひとつは、絶対に如来さまのことは、凡夫には理解できないということである。そのために、日頃、聞きき染みないような話題せ載せている。当然、一読しただけでは、理解いただけないのは致し方ない。分からないところは、食らいついてでも尋ねてもらいたいのだが、質問がでるのは、せいぜい「言葉」の意味だけで終わる。理解できないことや、意図が分からなかったら、尋ねてて欲しいものだ。

 実際は、輪読法座なので、話題がないと、どんどん自分のところや言葉の末節に反応して、そこばかり膨らんでいくのが残念な気がする。「空」という言葉から、「空しさ」とい話題になり、そこからまた派生てして、本文と違うところで盛り上がっていた。正直、ぼくとしてはそこが「空しい」気分であった。ぼくの方が、皆さんに、期待したり、求めすぎているのもしれないなー

 

|

« 春の仏の子供大会で感じたこと | トップページ | 龍谷大学ミュージム-マンダラのほとけと神ー »

法座と聞法」カテゴリの記事