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華燭の典

Img_5175 姪っ子の結婚式がある。

 挙式は、西本願寺「安穏殿」という専用式場だ。厳かな雰囲気ある。生の雅楽演奏も入り、司婚者の導師の態度もお声も、堂々として立派なもので、感動的。本当なら、今日、ぼくも熊本のお寺でこのImg_5184お役をやっていたのだなーと考えると、ちょっと感慨深い。法話はなくて、祝辞という形で、一言くださった。いかに、人身が受け難いものであるかのを、覚如様の御文をとしていただく。そんな中で夫婦の縁を結び、共にお念仏の中でいかされていることの不思議さ。そして、どうか「お念仏と共に、ご夫婦、力を合わせて、強く明るく生き抜いてください」というふうに結ばれた。うーん、ひねくれもののImg_5188ぼくには、いつも最後の「強く明るく生き抜く」がひっかかる。真宗の教えが、生活信条になり、単なるきれいごとの生き方になってはいないか。いつものひっかかりだが、まあ今日はこの程度で、とにかくすばらしい式だった。

Img_5210 そのあと、親鸞聖人の御前で、新郎新婦の記念焼香と撮影会。周りの参拝の方々まで、盛んにスマホやデジカメのシャッターを切っておられたのが、おかしかった。

 国宝の鴻の間で、記念撮影まである。こちらはぼくたちは一切、撮影禁止だったが、とても厳かの場所での記念にある撮影となった。

だいたいの流れはこんな感じ→
https://ameblo.jp/irohakyoto/entry-11777615176.html

 Img_5213隣のホテルに移って、身内だけでの披露宴。乾杯のときの祝辞で、ぼくなりに念仏者の無碍の一道をお二人のはなむけに送られていただいた。

 「独り生まれ、独り死ぬの人生の実相。「人生は苦なり」ともお釈迦さまは仰った。その人生は何のためにあるのか。たまたま深い縁で、夫婦の絆を結んだのも、お念仏を申すめた。法然聖人が仰ったように、「ひとりでいるほうが念仏申せるのなら、ひとり念仏せよ。もし、結婚して念仏申せるのなら、結婚して念仏せよ」と。それは、子育てでも、仕事でも、すべてこの世のことはお念仏を申すためにあるのだと。でも、それを貫くことは、けっして易しくはない。特に、いまの世の中、念仏者として生きることは、マイノリティーである。でも、例え少数派であっても、また世間から無視されたり、バカにされることがあっても、その念仏の道を貫いていかせてもらいたい。今日のご縁もそのためにあるのだと。

 若いお二人のためにというより、自分に向けた言葉なのだろう。南無阿弥陀仏。

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