講習会~歎異抄(5)~
歎異抄の講習会も、5年目となる。今年は最終回。「後序」と「流罪記録」を、2日間で頂くことになっている。
最初の頃のレジュメは語句の解説は省いていたが、3回目から重要な語句も載せるようになり、プリントや資料が増えてきた。通算プリント№も84まできた。最初からやっていたら、確実に100枚を超えていただろう。
復習の意味で総説を窺い、「後序」4段に分けて、最後に「流罪記録」を頂くことにしたが、文章量に比べて、内容があって、最後は、かなり飛ばしての講義になったてしまった。
これでま何度も歎異抄を読んできた。大学でも、父の講義も、また仏青でも、月例会で2度読み、総括で合宿をして改めて2度読んだ。でも、しっかり自分で講義をし、しかもただ一方的ではなくて、皆さんに問いかける方式をとってきたのだが、
今回は、後序を読んで、「歎異抄」が「歎異」抄と言われる所以が、改めて身に迫ってきた。今回、これまでどうしても前半の聖語篇(10章)が大切で、それに比べると、軽く見られがちな後半の歎異篇(8章)こそが、唯円房がもっとも伝えたかった本書の要であり、また聖人のおこころにかなう、正意の真宗安心とは何かが明らかになると共に、その難しさ、または偏りの心情を味わうことのできる大切な章であることを知らされたのだ。
また、唯円房の心情が色濃くでる「後序」を通じても同じことである。
詳細は、これからいろいろなところで述べることになろうが、最後に、これまで付け足しのように思っていた「流罪記録」を少し丁寧に読ませてもらうことができたのが、今回の、収穫の一つである。ただ時間がなくて、ここは走ってしまったのが残念である。ほんとうは、横曽根門徒系に残る「血脈文書」の「流罪記録」との比較から、附加された意味を考え、最後に、『化身土巻』の後序にある親鸞聖人のご文との違いを、十分味わいたかった。聖人の文章にあって、歎異抄にないものはなにか。逆に、歎異抄にあって、聖人が触れておられないものはどこか。それを見るだけでも、親鸞聖人のお心と、門弟である唯円房との違いがよくよく味わえるのだ。
とにかく自分のためにあった講習会だった。
追記:昨年の歎異抄(4)第15章~第18章の講話CDが完成!
詳細なブリントで、8枚組のCDです。華光会館までお問い合わせください。
今年のものは、これから作製されます。
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