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「仏書を親しむ会」~二つのカサ(1)~

 久しぶりに「仏書を親しむ会」。

 寒い夜の集いなので、参加者が少ないと予想していたが、珍しく二桁の参加者。この集いに初参加の方も2名あった。

 今日から、悟朗先生の「二つのカサ」を読む。

 華光誌に掲載した時も、今回の再編時にした時も、何度も目を通している。校正もしている。
 しかし、その時は、文字の間違いがないか、おかしな表現はないかという編集者の眼で見ている。「わが身」に引き寄せては読んではいない。だから、今回、すごく新鮮な甥もがした。
それも皆さんが疑問に思ったり、心にひっかかったり、味わったりすることを発言してくださったから、ぼくもいろいろと気付かされた。
 たった4節読んだだけだったけれど、「こんなことあったかな」の驚きの連続。

 心のオーバーホールはどうだろうか。それは、どこまでもご法を聞かせてもらう以外にはない。信心決定した者は、信心の溝さらえで、再々に法水を流させていただく。未信の方は、懺悔の心を持つ。「恥ずかしいなあ、浅ましいなあ、もったいないなあ」と思うことが、心を若がえらせていく道でしょう。

 叱られるような厳しいご縁に会ったら、少しはまともになるのかというと、ならんですね。もともとが駄目なんです。
 でも、私の自性は、まだどこかに自分を輝かしいものとして、夢見ておる。それが、法のおかげで、ご縁に会ってみれば、皆もぎとられてしまう。私は、それを知らされて、力なくして終わるしかないと思う。ところが、いつのまにか仏様のご苦労、親の財産を横どりにして、自分の箔にしてしまういやらしい心です。

の側で考えておる仏法と、
 仏様の側で私を考えてくださっておる仏法とは違うんです。
が手を合わせておる南無阿弥陀仏と、
 阿弥陀様が手を合わせてなさる南無阿弥陀仏とは違う。
らは、私の側から南無阿弥陀仏を見てるだけ。
 阿弥陀仏が帰命してなさる南無阿弥陀仏は、私らにはわからない。
そんな私に、私というものを心の中に抱き込んでくださって、この南無阿弥陀仏として現れて来てくださるまでに、どれほどのご苦労があったか。
「たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ」と親鸞聖人が絶叫せずにおれなかった、長い間のお育てというものを、かいま見させてもらうわけです。

南無阿弥陀仏

 次回「仏書に親しむ会」は、3月7日(水)夜18時50分~21時

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