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『ギフト~僕がきみに残せるもの』と『わすれな草』

Img_5083 今年最初の映画。京都シネマで、海外のドキュメンタリー映画を続けて2本見る。意図して選んだわけではないが、なぜかテーマも似かよっていた。一本は、難病もの。もう一本は、認知もの。共に運動機能や性格、そして人格まで崩れていく中で、家族の絆や有りようが問われる映画だった。

 まずは、アメリカ映画で『ギフト~僕がきみに残せるもの』NFL(アメリカンフットボール)スター選手が、引退後に、難病のALSを発症。ALSの啓発や研究援助のために、アイス・バケツ・チャレンジが世界中で広まったのは記憶に新しいところだ。映画では、病気の判明とほぼ時を同じくして、妻の妊娠が分かる。つまり妻は、看護(介護)と育児のたいへんな両立が始まるのである。最初はまだ見ぬ、その後は成長過程に合わせて子供に向けた父親のビデオメッセージがこの映画の元となり、同時に、知名度を活かし、治療法の研究や患者の地位向上のための運動の中心者となっていく。もちろ、そのために家族との関係が揺らいだり、進行する病気を歎いたり、ケンカしたりする等身大の姿が、克明に記録されていくのである。本人のすごさはもちろん、彼に寄り添いながら子育てをもする妻に、家族や献身的に支える仲間の存在も素晴らしかった。
 それにしても、スボーツマンとして健康そのものだった体が、徐々に、徐々に運動機能が奪われていくプロセスは、まさに残酷である。体の筋肉が動くなくなり、歩くことや立つことも困難になる。排泄も自分でできなくなる場面は象徴的だった。そんな運動障害が進行するだけでなく、口や喉の筋肉が弱り声が出なくなり、食べ物が飲み込めなくもなる。痰も吐き出せず、呼吸する筋肉まで衰える呼吸障害までおこってくる。それでいて、症状が深刻になっても、五感や意識はしっかりしているだ。つまり、意志を示せず、食事も、排泄も、痰すら出せず、息もできなくなり、悪化することはあっても回復のすることがないことが、意識しているというのは、ある意味で苛酷なものだった。しかも発症後の余命は、2~5年といわれる。ただ最新テクノロジーを使っての意思疎通や、気管切開の人口呼吸器(多額の負担と24時間介護が必要)の装着で、延命する可能性が高くなっていて、主人公もこの道を選んでいる。ただ残念ながら、いまだ原因や根本的な治療法も解明されていない難病なのである。

 もうひとつが、ドイツ映画で『わすれな草』こちらは、認知症の母親と、寄り添う年老いた父親に、息子がカメラを向けた作品だ。単なる今を写すだけでなく、若き日からの両親の歩みを振りかえていくのだが、これがなかなかユニークで波瀾に飛んだもので面白かった。妻は、テレビのキャスター、父親は数学の大学教授。同時に、社会運動家の活躍し、また夫婦関係もユニークで、結婚中でも他の異性関係が公認されていたという進歩的な歩みをした二人。しかし、年老いた時に、そんな二人が寄り添いながら、その距離が縮まり、またカメラを通して、二人の理解が深まってく息子の視点が、もの静かだが、ちょっと感動的。

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