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報恩講の準備

 Img_5087報恩講の準備が進んでいる。ぼくもお荘厳や法要の準備、細々した事務仕事を行っている。

 布団や食事、おやつや懇親会の準備は、会館の事務局で進めていくが、同人の皆さんの協力がなければ法座は成り立たない。

 京都の有志の皆さんが、10日、11日と、そうじや仏具のおみがきや荘厳の準備をしてくださる。
 報恩講の法座担当者は、当日の進行や役割分担を差配ある。また運営委員を中心に、分級座談会の担当なども決まっていく。当日、参加できない方でも、掃除を手伝ったり、事前準備に関わってくださっているのだ。これまで総数を考えたことはなかったが、事前準備の段階でも数十名、当日はさらに数十名のお世話役がおられるのだからら、お世話の総数は30名以上の方が関わって、ひとつの法座を造られているということになる。

 さらに、そこに講師や法中、分級司会者などが加わるのだから、実に多くの皆さんが関わり、そして支えられてこの法座が開かれているのだ。しかも華光同人に加えて、専門の業者-仏華や朱蝋、お供え、酒屋に、弁当屋に、布団屋などなど-実にさまざまな皆様のお力が加わってくるのである。参加の皆さんにしてもそうだ。たとえば交通機関ひとつとっても、実に多くの方の尽力があればこそ、私がここに参加できるのである。大きな顔して、自分の力でお参りにしたと自惚れていても、実に十重二十重の、おかげさまが重なりあわねば、私はここに座れないということである。

 ところが、京都のお掃除の方も高齢化が進んできた。最近では、お世話を嫌う方もあるし、組織には入りたくないという方も増えている。親切心から基金を出しあってでも専門業者に任せればよいという声もいただく。しかし、仏法を聞く座とは、「経費を負担したから」とか「参加費を出しているから」といった損得の物差しだけで、はかることのできないおかげでの賜物である。何よりも、なんとか仏法を聞いてもらいたい、ご法を伝えたいという篤い情熱が法座を生んできた。そして、自らの聞法の場を、一丸となって作り上げていこうというプロセスこそが、身をかけた大切な聞法にほかならないのである。なんとか、その伝統を次世代へも伝えていきたい。確かに、お金で解決し専門業者に丸投げした方が、きれいでうまくいくこともあるだろう。しかし、それではせっかくの大切な法への熱情が、スルりと抜けていく気がしてならないのだ。もちろん、時代に合わせて、効率よく準備したり、特定の方だけに負担がかからないような工夫も必要だ。しかし、多くの皆さんのお力が結集されてこそ、私がお聞かせに預かる法座が出来上がり、そこにひとりでも多く方が参画し、共に法座を造っていくことがなけれど、華光に集う意味がないようきがするのだ。

 たとえ、一人でも、二人でもいいのだ。共に頑張っていこうという皆様と力を合わせて、この華光の集いを作り上げていきたいのである。
 

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