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2018年1月の11件の記事

報恩講の準備

 Img_5087報恩講の準備が進んでいる。ぼくもお荘厳や法要の準備、細々した事務仕事を行っている。

 布団や食事、おやつや懇親会の準備は、会館の事務局で進めていくが、同人の皆さんの協力がなければ法座は成り立たない。

 京都の有志の皆さんが、10日、11日と、そうじや仏具のおみがきや荘厳の準備をしてくださる。
 報恩講の法座担当者は、当日の進行や役割分担を差配ある。また運営委員を中心に、分級座談会の担当なども決まっていく。当日、参加できない方でも、掃除を手伝ったり、事前準備に関わってくださっているのだ。これまで総数を考えたことはなかったが、事前準備の段階でも数十名、当日はさらに数十名のお世話役がおられるのだからら、お世話の総数は30名以上の方が関わって、ひとつの法座を造られているということになる。

 さらに、そこに講師や法中、分級司会者などが加わるのだから、実に多くの皆さんが関わり、そして支えられてこの法座が開かれているのだ。しかも華光同人に加えて、専門の業者-仏華や朱蝋、お供え、酒屋に、弁当屋に、布団屋などなど-実にさまざまな皆様のお力が加わってくるのである。参加の皆さんにしてもそうだ。たとえば交通機関ひとつとっても、実に多くの方の尽力があればこそ、私がここに参加できるのである。大きな顔して、自分の力でお参りにしたと自惚れていても、実に十重二十重の、おかげさまが重なりあわねば、私はここに座れないということである。

 ところが、京都のお掃除の方も高齢化が進んできた。最近では、お世話を嫌う方もあるし、組織には入りたくないという方も増えている。親切心から基金を出しあってでも専門業者に任せればよいという声もいただく。しかし、仏法を聞く座とは、「経費を負担したから」とか「参加費を出しているから」といった損得の物差しだけで、はかることのできないおかげでの賜物である。何よりも、なんとか仏法を聞いてもらいたい、ご法を伝えたいという篤い情熱が法座を生んできた。そして、自らの聞法の場を、一丸となって作り上げていこうというプロセスこそが、身をかけた大切な聞法にほかならないのである。なんとか、その伝統を次世代へも伝えていきたい。確かに、お金で解決し専門業者に丸投げした方が、きれいでうまくいくこともあるだろう。しかし、それではせっかくの大切な法への熱情が、スルりと抜けていく気がしてならないのだ。もちろん、時代に合わせて、効率よく準備したり、特定の方だけに負担がかからないような工夫も必要だ。しかし、多くの皆さんのお力が結集されてこそ、私がお聞かせに預かる法座が出来上がり、そこにひとりでも多く方が参画し、共に法座を造っていくことがなけれど、華光に集う意味がないようきがするのだ。

 たとえ、一人でも、二人でもいいのだ。共に頑張っていこうという皆様と力を合わせて、この華光の集いを作り上げていきたいのである。
 

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skypeでの相談

 ある会員から、スカイプ(いわば、PCでの画像付き電話、昔は、テレビ電話って夢の世界だったなー)での信仰相談とういか、カウンセリングの依頼を受けた。これまでスカイプ会議などの経験はあるが、カウンセリングを引き受けるのは初めて。しばしば電話での相談や質疑はあるのだが、画像付きは初めてである。確かに生身で出会うわけではないのだがら、ある程度、相手の表情やしぐさもわかる分、電話相談よりもずっとやりやすいと思った。概ね好評だったようで、これからも定期的に継続して行うことになった。

 このやり方は、初めてなのでまだ試行段階だが、もしうまく継続するようなら、今後は、他の皆さんにも広げられるツールになるのかもしれない。楽しみである。
 
 

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『ギフト~僕がきみに残せるもの』と『わすれな草』

Img_5083 今年最初の映画。京都シネマで、海外のドキュメンタリー映画を続けて2本見る。意図して選んだわけではないが、なぜかテーマも似かよっていた。一本は、難病もの。もう一本は、認知もの。共に運動機能や性格、そして人格まで崩れていく中で、家族の絆や有りようが問われる映画だった。

 まずは、アメリカ映画で『ギフト~僕がきみに残せるもの』NFL(アメリカンフットボール)スター選手が、引退後に、難病のALSを発症。ALSの啓発や研究援助のために、アイス・バケツ・チャレンジが世界中で広まったのは記憶に新しいところだ。映画では、病気の判明とほぼ時を同じくして、妻の妊娠が分かる。つまり妻は、看護(介護)と育児のたいへんな両立が始まるのである。最初はまだ見ぬ、その後は成長過程に合わせて子供に向けた父親のビデオメッセージがこの映画の元となり、同時に、知名度を活かし、治療法の研究や患者の地位向上のための運動の中心者となっていく。もちろ、そのために家族との関係が揺らいだり、進行する病気を歎いたり、ケンカしたりする等身大の姿が、克明に記録されていくのである。本人のすごさはもちろん、彼に寄り添いながら子育てをもする妻に、家族や献身的に支える仲間の存在も素晴らしかった。
 それにしても、スボーツマンとして健康そのものだった体が、徐々に、徐々に運動機能が奪われていくプロセスは、まさに残酷である。体の筋肉が動くなくなり、歩くことや立つことも困難になる。排泄も自分でできなくなる場面は象徴的だった。そんな運動障害が進行するだけでなく、口や喉の筋肉が弱り声が出なくなり、食べ物が飲み込めなくもなる。痰も吐き出せず、呼吸する筋肉まで衰える呼吸障害までおこってくる。それでいて、症状が深刻になっても、五感や意識はしっかりしているだ。つまり、意志を示せず、食事も、排泄も、痰すら出せず、息もできなくなり、悪化することはあっても回復のすることがないことが、意識しているというのは、ある意味で苛酷なものだった。しかも発症後の余命は、2~5年といわれる。ただ最新テクノロジーを使っての意思疎通や、気管切開の人口呼吸器(多額の負担と24時間介護が必要)の装着で、延命する可能性が高くなっていて、主人公もこの道を選んでいる。ただ残念ながら、いまだ原因や根本的な治療法も解明されていない難病なのである。

 もうひとつが、ドイツ映画で『わすれな草』こちらは、認知症の母親と、寄り添う年老いた父親に、息子がカメラを向けた作品だ。単なる今を写すだけでなく、若き日からの両親の歩みを振りかえていくのだが、これがなかなかユニークで波瀾に飛んだもので面白かった。妻は、テレビのキャスター、父親は数学の大学教授。同時に、社会運動家の活躍し、また夫婦関係もユニークで、結婚中でも他の異性関係が公認されていたという進歩的な歩みをした二人。しかし、年老いた時に、そんな二人が寄り添いながら、その距離が縮まり、またカメラを通して、二人の理解が深まってく息子の視点が、もの静かだが、ちょっと感動的。

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廿日市市での広島支部法座

 1年1度の廿日市市での広島支部法座。今日は成人式で、晴れ着姿の新成人に出会た。人数は多くはなかったが、初参加や2回目の方もあって、ちょっと新鮮な顔ぶれ。

 新年、最初の支部法座。それで、会館での修正会のように、正信念仏偈をおあげし、皆さんと一緒に、「現世利益和讃」をいただいた。広島では久しぶりのことだが、皆さんには新鮮だったようだ。初めて「現世利益和讃」をあげさせていただきました、という方もあった。

 法話も、「門徒物知らず」というテーマで。昔から、広島の本願寺派のご門徒は、安芸門徒と呼ばれ、筋金入りの念仏者も多い。いまだにこの地域では、お葬式でも位牌は使われないし、習俗や神信仰、お墓についても、きっぱりと他力念仏の立場を貫いておられる方が多い地だ。それでも、今回、初めてこの言葉を聞いたという方もけっこうあった。また、「一文不通」の意味だと思っておられた方もあったよで、ちょっといつもの法話とは違う角度からの法話となった。

 座談会は、まずは一口ずつの感想を回したが、法話のことだけでなく、自分を開いた率直な発言が多かった。そのことが、受容的で、温かな空気を生んで、なかなかいい雰囲気で、座談会が進んだのではないかと思った。

 どうぞ、今年もよろしくお願いします。

 来月は、※次回は、2月3日(土)昼1時~5時
 広島駅(マツダスタジアムすぐの)荒神集会所が会場。

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『観無量寿経』始まります

 昔(聖典講座が婦人講座と呼ばれいていた40年以上前)から、1月と8月は聖典講座はお休みだ。でも、今年は1月に聖典講座を開催した。報恩講前で、お世話役の方も初参加くださり、いつもとは違う顔ぶれが集まってくださった。

 区切りよく今日から『観無量寿経』へ。おさらいの意味で浄土三部経の概観から入った。これが三度目なので、今回は『観経』を中心にした構成にして、最後に本山から発行されている『観経』王舎城の悲劇のDVDを見てもらった。

 浄土真宗では、親鸞聖人の影響で、『観経』といえば序文の「王舎城の悲劇」を中心に味わっているが、正宗分の中心となる「定善・散善」は、十八願の他力念仏へ誘引するための方便、流通分の他力念仏の付属こそが真実であるという立場があって、どうも三部経の中でも、一番馴染みのない一段低いお経と理解されがちだ。さらに、善導様によって決定版が出されたことで、その見方が固定化されてしまっているという問題点もある。

 そんなこともあってか、今回の質疑でも、どんな態度(姿勢)で、これから講義に臨めばよいか?とか、DVDを見ても韋提希夫人には共感できでずに、ただ眺めて終わってしまったが、どうすればよいのかというような声がでた。

 それを聞きながら、別に無理に共感する必要もなければ、受験勉強ではないのだから、こう理解しなければならないという囚われは、むしろ邪魔になるかもしれない。しかも、皆さん、初めて読ませてもらうのだろうから、別に構えることなく、虚心坦懐、己を空しくして読ませてもらえばいいのである。そして、善導様や親鸞様のご指南を仰いでいけばいいのである。最初から、こう感じなければならないとか、こう思わなければならないというのは、あまりにも不自由だ。むしろ、初めて読む世界を、わくわくと楽しんだり、知らないことには、素直に「ヘエー」と驚いていけばいいのではないだろうか。

 ※次回は、2月4日(日)昼1時30分~5時

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まもなく報恩講さまです

 もしそれ知識の教えなくば 永久の闇路に迷いぬらん

 親鸞聖人の報恩講さまが、近づいて参りました。親鸞聖人の御徳を讃え、そのご化導に御報謝に申し、共に仏徳讃嘆いたします。法要がございます。ご法話は4座で、限られた時間となりますが、分級(ぶんきゅう)座談会では、共にこころを開き、仏法を語り合いましょう。 

1月13日(土)昼座(13時30分)法要・法話・座談会 夜座(19時)御俗抄・法話、座談会
1月14日(日)朝座(9時)勤行・法話・座談会 昼座(13時30分)法要・法話・全体会

 宿泊や食事の申込みの〆切日ですが、8日までならまだ大丈夫です。奮ってご参加ください。なお、食事などが不要の方も、事前にお申し込みいただけると有り難いです。
皆さんのご参詣をお待ちしております。

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青空の本願寺

Img_5073 4日朝、予約していた初めての三菱京都病院に向かう。何度も通ったことのある道だったが、一筋入ったところに、病院があるのはまっくた知らなかった。新年の頭ということで逆にImg_5076空いていた。診察も淡々とすんで、今日は様子を見ただけ。月末から、2回に分けて親不知を抜くことになった。

 予想外に診察が早く終わって、その足Img_5080で、西本願寺へ。週末の聖典講座で使用する「観無量寿経」のDVDを購入する。「王舎城の悲劇」のスライドはあるが、「観Img_5078経」に「涅槃経」を加えたアジャ王の物語が主なので、それは別の機会に見ることにして、総花的な映像が欲しかった。

 来月には、このブックセンターの3階で、Img_5082_2結婚式に出る。

 国宝に指定された阿弥陀堂、御影堂にもお参りをする。 風は冷たいが、青空が広がっている。日が差すところは気持ちがいい。ところが、晴天のこの時間だけ。2時間後、お昼をすませて、京都シネマに自転車で出かけたら、冷たい雨が、みぞれになって、すごく冷え込んできた。

 今年の冬は、どうも寒い。

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来客? 珍客?

 正月2日目。来客もなくゆっくり1日を過ごした。風邪気味なので、ちょうどいい。

3階で、名古屋からの洋風おせちを、姉一家も一緒に食べていたら、電話がなる。タクシーの運転手、「すぐ近くまで来ているが、華光会館が分からない。教えてほしい」と。正月の来客は珍しいことではないが、夜8時を過ぎてからの来客は珍しい。しかも、場所が分からないというのは、お参りされたことのない方か、高齢者の可能性もあるが、それなら夜の訪問はないだろう。母が、「アメリカのお同行さんかな」と言った。突然、来られることはこれまでも何度かあったのだ。ところが、「すぐ近くまで来ている」と言われわりに、10分たっても現れない。「華光会館を目印に路地の方ではないか」とも思ったが、それならここに電話はかけて来ないだろう。 

そのうち、チャイムがなる。1階に降りて、姿をみて、「ああ、なるほど、あなたでしたか」と、一気に合点がいった。初来館ではないが、場所が思い出せず、十条駅からタクシーに乗ったというである。おいしいコーヒーがあったので届けてくださった。

遠くからせっかくお出でくださったのだ。お酒を飲んでいたが、道場で勤行をした。聖典を見ながら、「漢字は難しいですね」と仰る。それから、しばらく談笑。12月の東海支部法座での法話について質問された。「あの時されていた、頭に「こ」のつく話が聞きたい」と。いーや、これは困った。まったくわからない。いろいろと尋ねるが、要領を得ない。「ああ、もしかして五劫のことかな」というと、「私は囲碁をやっているが、劫というのがある」という話題に変わって、もう法話のことはなくなって四方山話が続く。たまにチラチラと本音に近い言葉も出るがすぐにまた流れていくが、けっこう面白い話が多くて、興味深く聞かせていただいた。

最後は、「私も忙しいので失礼します」と。近くのスーバーに寄ってから、三重まで帰るといわれた。お酒の話題がでたので、「次回は、おいしいお酒をもってきます」と約束してくださって、お別れした。気をつけてお帰りください。

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祇園

Img_5063 修正会を終えて、家族で外食。
  京都の繁華街は、ずいぶん賑わっている。四条の南座前の交差点は黒山の人盛り。祇園の花見小路も、八坂神社に近くこともあっImg_5062てか大勢の人が歩いていた。忠臣蔵で有名な「一力」を通って一筋目。

Img_5041Img_5045 たまたま年末に情報誌で見つけた初めてのお店。お茶屋を改造したのだろうか。

 これがよかった。京都の正月Img_5047料理のイメージ。お雑煮も、白味噌の丸餅、金時人参に、蕪。八寸は、お節料理のちょこちょこした盛り合わせ。クワエなど京野菜が使われていた。

Img_5051 大人ばかり6名と、去年より人数が減って寂しくなったが、お酒もおいしくて、元旦から御馳走になりました。

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修正会~門徒物知らず~

 風は少し強く肌寒いが、穏やかな元日を迎えた。

 修正会にお参りの皆様へのご挨拶に」ついて、連れ合いが尋ねてきた。「明けましておめでとうございます」とは言っちゃいけないのか?と。それを尋ねるには理由がある。悟朗先生が、「別に正月はめでたくない。ほんとうに明けましてというのは、迷いの闇が破れた時だ。その時にこそ、初めておめでとうなのだ」という法話のエピソードを、どこかで耳に挟んでいるからだ。といって、別に目くじらを立てる必要もない。そのこころを理解したものならば、堂々と言えばいいのである。

Img_5020 ということで、新春の法話のテーマは「門徒物知らず」に。もうひとつ理由があっって、昨年末のカウンセリングの会合で、「実家は浄土真宗ですが、門徒もの知らずなので、真宗の教えは知りません」とご挨拶される方があったのだ。残念ながら、本来の「門徒物知らず」の意味ではない。これはしばしばよく間違われることなので、改めて「門徒物知らず」の意味を申し上げることにした。

 お参りは例年より多めだ。初参加の方も多かった。ご夫婦で、ものImg_5029すごく久しぶりにお参りくださる方もあって、うれかしった。また、毎年、この修正会だけお参りくださる方もあるのだ。

 例年のように、一同で、「正信念仏偈」をあげ、「現世利益和讃」を頂く。ぼくは、年末から風邪気味で、声の調子が悪かったが、なんと皆様に助けていただいて、勤行を勤めることができた。

Img_5033  法話は、「門徒物知らず」を中心に、年末年始の所感と、今年の目標を話した。結論からいうと、阿弥陀仏に帰依し、信心一つでお救いに預かるのであるから、他の神仏を頼まず、初詣なども行わず、おみくじや御札などの占い、まじないを否定し、葬儀でも物忌みをせず、いわば世間一般の習俗に馴染まないものを(他派からの批判として)「門徒物知らず」と揶揄されたものである。しかし、それは決して恥ずかしものではない。むしろ、そこを貫きたいものだ。

 その意味で、そんな浄土真宗の念仏者は、世間では少数派だろう。加えて、華光に集うものは、その真宗の中でも少数派に属する。つまり、マイノリティーを堂々と生きることこそ、無碍の一道である。決して、多数派に流されたり、媚たりするのでも、また原理主義的に孤立したり、理解者だけで群れたりするのでもなく、どうその一道を歩みのか。ひとりひとりのご信心のありようが尋ねられる大切な要点と思うのだが、如何? 具体的にお話したが、テーマをもう少し練って、温めていきたいと思っている。

 どうか、今年もよろしくお願いします。

 

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迎春

 恭 賀 新 年

Img_5011_2 旧年中は、たいへんお世話になりました。

 今年もどうぞよろしくお願いいたします。

 さて、新年を迎え、また新たな気持ちでスタートを切りたいです。

 何かと遅れがちなのに、まとまって1週間分をアップすることもある「かりもん」ブログですが、本年も、どうぞよろしくお願いします。
 「『迎』はむかふるといふ、まつといふ、他力をあらはすこころなり」 (唯信抄文意)

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