第4回「念仏と黙想と語らいの集い」
1回キリで終わらずに、第4回までやってきた。
今年も尊い集いとなった。冒頭、少し詳しく注意や説明を行う。あとは、一同が車座に座り、称名念仏する。ああ、この感覚、忘れていたなーと思った。1年前のことたが、このお念仏の響きは新鮮だ。地鳴りというか、波が押し寄せるような念仏の声が押し寄せ、響いてくる。5分、10分など、大声で集中するとアッという間である。
静かな時間を持つ。ここはもう雑念、妄念ばかり。それがまたいい。冷静にクールダウンできるのだ。
そして分かち合う。これもさまざまである。自分のいまのところで語る方もあれば、知的な話題や過去を語る人もいる。今回は、参加者同志のところで、関わりも活発だった。いろいろと気付かせてもらったり、学ばせてもらった気がする。特に、最後のセッションは学ぶところが多く、尊かった。
今回は、このあと、お聖教を一文をそれぞれいただいた。これがまたよかった気がする。解釈で終わることもあるが、身に寄せて味わえたなら、それはそれで有り難い。
ただ、それだけに1回1回のセッションに時間がかかって、称名念仏の機会が少なくなったのは残念だったが、それはそれで内容が充実していたのではないだろう。
お念仏は決して、醉わすものではない。目覚めとはよくいったもので、己の無漸無愧の姿を知らせていくばかりだ。しかしそれだけではない。同時に法蔵菩薩のご苦労を思い知らせれる。皆さんのコメントの中から、それを教えてもいただいた。メンバーの中には、力のある同行もおられて、的確な関わりをしていただけた。その意味でも、尊い集いになってきている。
未経験の方も、ぜひ、ご参加ください。
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