高山支部報恩講
毎年恒例なのだが、今年は会所がいつものF家ではなく、S家でお世話になる。
遠近からのお参りがある。新潟、富山、福井、愛知からの同人に加えて、ご近所や親戚方もお参りくださる。こんな時の法話は、焦点の当て方が難しい。遠方の参詣者は求道者で、かなり厳しいご縁を求めてお出でになった方。一方、ご近所の方は、Sさんに誘われた方がボチボチお参りされる。Sさんのお徳である。
報恩講で「正信偈」さまを勤めした。法話の冒頭は、「帰命無量寿如来・南無不可思議光」のご文のお心をいただくことにしたら、案外、いつもの高山の皆さんが喜んでくださった。
もう一席は、「恩徳讃」のおこころ。日頃、なんとも思わず、こんな厳しいご和讃を付け足しのように頂いていることが、恥ずかしくなる。どれだけ仏法のことにこころ寄せているのか。ほんとうに身を粉にして報じ、骨を砕いて謝して、仏恩を喜んでいるのか。ご報謝どころか、仏法の座に足を延ばさなくても、平気で開き直る。自分を楽しませることには金出しても、仏法のために使うのはおしい。お慈悲、お慈悲と有り難いことはつかむが、まったくお心とは正反対の自分の姿には目をつぶる…。それでいて、平気で、恩徳讃を歌っている。まあ、狂ってますね。庄松さんのありのまま記のエピソードを交えて、お話申し上げた。
その後で、報恩講なのでお斎弁当をいただいた。でも、精進ではなく刺身も入ったかりの豪華版。おいしかったです。どんなご縁の後でも、食欲は別ですね。南無阿弥陀仏
華光誌編集作業も大詰め
高山支部法座のあとも、6日が「仏書を読む会」、9日が「聖典講座」で阿弥陀経の最終回、さらに10日がお寺を会所にした「東海支部法座」と法座か続いてる。
しかし、プログはお休みになっている。
華光誌の編集作業があったのだ。
例年のことだが、新年号の発行は通常号の2倍以上の手間がかかる。11月下旬から始めているが、年内発行のために〆切日が厳守であること。華光誌本体に加えて、「年賀交歓」の作製作業があること。さらに、「年間行事表」の作製もあるが、こちらは、華光大会以降に本部と支部の行事のすり合わせが必要になるなど、かなり頑張らないといけない。
華光誌は校正や編集作業が中心で、作製はRちゃんの仕事になるが、「年賀交歓」と「年間行事表」は、版下作製もぼくの仕事で、古いPCで作業をしなくはならない。年内発行のためのタイムリミットもあるので、かなり効率的に集中して作業する必要がある。申し訳ないが、ブログまでは手が回らず、ちょっと休止状態たった。
若い時のように徹夜の作業は出来なくなった。夜更かしの作業はしても、完徹はなくなった。多少年齢と共に無理が利かなくなっている。でも、その分、経験で補っている部分もあるようだ。
おかげて、華光誌は15日中に。年賀交換も16日に、印刷所に渡せるメドがたってきた。だだ「年間行事表」は完成しても、各支部との確認のすり合わせが必要なので、18日の月曜日の午前中まで、待ってもらうことにした。年内発行のタイムリミットになるが、メドは立っている。もう一息である。
| 固定リンク