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『選擇本願念仏集』~三心篇~

 仏教大学の四条センターは一般向けの講座だが、聖教の講読もある。
 今年は、凝念大徳の『淨土法門源流章』を原文に当たっているが、専門的な内容もあって楽しみに参加している。

 もう一つが『選擇本願念仏集』の講読だ。これは途中からの参加となったのは残念だ。じっくりというより、かなり早足なのでもう少し掘り下げて聞きたいが、致し方はない。10、11、12月の三回で、三心篇を拝読した。「至誠心」「深心」「回向発願心」をそれぞれ3回で読む。かなりの分量があり、また二種深信や二河譬などの重要な箇所もあって、三回で読むにはあまりにも勿体ないが、それでも基礎的な押さえはできた。

 この三心は、『観経』に「浄土往生を願うものは、三種の心を発したならば即便ち往生する。この三心を具すれば必ず往生する」と述べられている。がしかし、ただ「至誠心」「深心」「回向発願心」と三心を列挙されるだけで、具体的にどんな心なのか、それをどう発こすのかは、まったく触れておられない。にもかかわらず、さすがは善導さまだ。字訓などからそれぞれのお心深く、また詳細に教えてくださったのである。

 それを法然さまはどう受け取られたのか。そのいちいちにはいまは触れられないが、法然さまは、大半を『観経四帖疏』と『往生礼讃』からの引文されている。ただ親鸞聖人のような独自の読み替えはほとんどない。それでも法然さまが引用される箇所、省かれた箇所、別にところで取り上げておられる箇所など微妙な違いがあって面白かった。

 最後に、私釋段で、三心は「もし一心をも少(か)けぬればすなわち生じることを得ず」との「礼讃」を『選擇集』ではそのまま受けておられる。が、他のところでは、一心に信じ念仏申したならば、三心は自然に具足するというようにも述べておられるのも、法然さまの展開といっていいのだろう。ご文を引いておこう。お味わいください。

 南無阿弥陀仏について、「阿弥陀ほとけ、われを助けたまへということばと心得て、心にはあみだほとけたすけたまへとおもひて、口には南無阿弥陀仏と唱うるを、三心具足の名号と申すなり」 (つねに仰せられける御詞)

「三心・四修と申すことの候は、みな決定して、南無阿弥陀仏にて往生するぞとおもううちにこもり候なり」 (一枚起請文)

「一向念仏して、うたがうおもひなく往生せんとおもうふは行具の三心也。五念・四修も一向に信ずるものは、自然に具する也」 (東大寺十問答)

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