法友を見舞う
法座のあと、福井の日赤病気に法友をお見舞いにいく。
かなりお悪いと聞いていた。ご本人の口から「もう長くはない。年内も危ない」という話もきいた。やるべきことはやり尽くされてはいるが、まだまだやりたいこともあっただろう。高齢の方ではないだけに、とても無念だろう。
ところが、ベットに寝ながら、六字釋のかなり厚い解説書を読んでおられた。脇にはパソコンが置いてある。最後に自分思いを、残された縁者や子供たち、孫たちに伝えたかったというのだ。そのために、最後の力を振り絞り、全身全霊をかけて、遺書といってもいい、文章を書き終えられたのだそうだ。
執念である。
まったく予想外の訪問だったらしく、たいへん喜んでくださって、ほとんどの時間を仏法の思いを語り続けられた。まさに篤い言葉が続いた。お疲れにならないのだろうかと思うほど語り続けられた。
お見舞いにいった僕の方が、元気をもらい励まされていた。
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