寺院の報恩講法要
兵庫県宍粟市での報恩講法要。このお寺への出講は連続で10年近くになる。1年1度だけのご縁では、ご教化という意味では、難しいことも多い。それでも何度も足を運ぶうちに、少しずつだが、参詣の皆様に変化が起こっていくように思える。ここは、4座あるうち1座だけお参りするればいいという、暗黙の決まりのようなものがあっ
た。それが、今回、3座、4座と足を運んでくださる方があった。さらには感想を求めると、一人、二人と発言してくださる方が増えてきている。だんだんと自分のところを話してくださるようになっている。
ご法話は、全徳施名のおこころを、「待つ」ということにからめて、遠慮なくお話申し上げた。分かりやすい話かどうかは分からない。しかし、相手に合わせた話題ばかりではなく、こちらが本気になって聞いてもらいたいことをお伝えするほうが、ぼくも乗りやすいし、皆さんも真剣に聞い
てくださるように思えるようになったのだ。すると、ご満座、ぼくの正面に座った女性は、法話の後半になると胸の前で合掌しながらご聴聞されていた。最後に、感想も有り難かった。
まず、一人でいい。本気で求める同行を、そしてまたほんとうにご法を喜ぶ同行が生まれることを。ご住職も念願されるようになって、また来年のご縁も決まった。
でも、その最初の一人が難しいことも、よくよく分かる。
ぼくが尊敬する広島のあるご住職が仰ったことがある。
「住職の仕事は、ご門徒さんに真剣にご法をお伝えすることだ。しかも一生涯をかけて、やっと一人の方が仏法を喜んでくれるかどうか。それほどの極難信だ」と。
ここまでは腹を据えて、ご教化されておられる方とのお出会いを尊く思っている。
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