第1回・仏書に親しむ会
「伝道研究会」を休止して、「仏書に親しむ会」を立ち上げた。「真宗の基礎」安心篇の輪読を始めて以来、参加者の顔ぶれも変わり、講義で、初歩的な内容がおおくて、以前のような「伝道研究会」の名称はそぐわない。参加者の力量に合わせ、華光双書を中心に講読(輪読)を行うことにした。
第1回目ということで、これまでの顔ぶれに加えて、初参加の方も3名あって二桁の参加者。華光大会の直後で、その余韻を皆さんと分かち合ったりもした。また、これからの展望も含めて、この集いの趣旨説明も行ったので、本文にはあまり入れなかった。
とりあげたのは、11月1日に発行したばかりの『非僧非俗の心』である。まず、第1編、伊藤康善先生の『伝道精神に燃えよ』だ。伊藤先生が、59歳の信仰座談会中でのご法話。昭和31年、華光会館の創立を訴える特別号の華光誌に収録されている。今回の五十回忌法要の華光大会の直後に読むには、まさにタイムリーな章である。
ほんの最初に触れただけ。次回から、皆様、どうぞ奮ってご参加ください。
「この法を相続し喜ばせてもらうという点においては、信後の活動において、やはり伝道、人に向かって法を説くという、この念願のある人は延びて行くし、この念願のない人は自分一人喜ぶだけの話である。
じっと見ていると、これはやはりライオンの子供が人間から肉の当てがい扶持)をされて食べている間は、肉というものは労せずして頂くものだと思っているが、いよいよ親ライオンの声に導かれて森の中へ出て行くと、翌日から飢えに襲われる。すると鼠(ねずみ)一匹でも捕らねば食って行けない。兎一匹でも、大きなものでは鹿でも飛びかかって行く。こうしていっぺん野獣の血を浴び、この壮烈な戦場へ乗り出して行くと活気が出てくる。
私らでも単に法を聞いて自分一人喜ぶというくらいのことだったら、穏やかなそこらの坊さんとして終わったのであろうが、やはり一人説き、二人説く、その間に血潮を浴びて合戦しなくてはならない。いっぺんその血をなめるというと、俄然として自信が出てくる。」
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