『阿弥陀経』(9)
『阿弥陀経』も、いよいよ最後の段だ。正宗分(本論)は大きく三段に分かれる。
第一段は、阿弥陀仏の極楽浄土と阿弥陀仏の荘厳について讃嘆。
第二段は、その極楽浄土に生れる念仏往生についての教説。
第三段は、釈迦如来と諸仏による証誠勧信である。
この第三段は、さらに四節に分科される。まず一自証で、釈迦如来が自ら広大な利益を自ら知見し、真実であるからこれを説くと宣言し、浄土を願えと勧められる。次いで二他証で@は、六方段と言われ、釈迦如来と同様、六方に満ち満ちる諸仏方もすべて、阿弥陀仏を褒め讃え、護念・証誠することが説かれる。ここまでが先月で、今回は、第三段の後半。諸仏の勧めに続き、釋尊が「阿弥陀如来のみ教えを信じなさい」という懇ろなお勧めをされて、『阿弥陀経』の説法を説き終えられるところである。それを、広く、三「勧信」【十二】とみて、まず名号を聞くものの利益をあげ、次いで発願の利益をあげられて、信を勧められる章。最後に四「讃嘆」【十三】では、諸仏が釋尊の不可思議な功徳を称讃されておられることを説いて、阿弥陀如来のみ教えを信じることを勧められて、正宗分(本論)は終わる。
最後は、特に付属もなく、形式的な流通文(るずうぶん)で『阿弥陀経』は結ばれるのである。
勧信(聞名不退の勧め)では、六方の諸仏方の証誠護念に続いて、釋尊の懇ろな信の勧めが説かれるが、聞名利益と発願利益で信を勧められる二節に分け窺った。
冒頭は、釈尊が「舎利弗、於汝意云何~」(舎利弗、汝が意(こころ)に於いていかん~)と、舎利弗に問いかけで始まる。舎利弗への四つの問いかけの最後。「なぜ、この経を『一切諸仏に護念(護り念じ)られる経』と名付けられたのか」を問われる。やはり舎利弗尊者は沈黙されたままで(沈黙で答えられた)、釋尊が一方的に説法される。ところが、釋尊は問いには直接的には答えず、聞名のご利益を説くことで暗示されるいってもいい。
このあとは、長くなっていくので、ぜひ、聖典講座の通信CDでご聴聞ください。
なお来月は、12月10日(日)昼1時30分から。
『阿弥陀経』の最終回で、全体のまとめです。
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