日高支部法座(1)~頑魯の者~
週末は日高支部法座だった。
最近は夫婦でお招きいただくことか多かったが、公演で東北出張中の連れ合いは休み。その代わり、Nさんのお誘いで、京都、愛知、三重など各地から5名の方が参加された。事務のTさんを始め会館からの同乗者もあり、車中からすでに賑やか。
初日の昼座、夜座、そして2日目の朝座、昼座と4座あった。それぞれ会所(会場)も違えば、参加のメンバーも異なる。法座や座談会の様子もことなったが、それぞれに特色があり、それでいて4座を通した一貫性もあって、(最近の日高支部法座の中でも)かなり活発な法座になった。
まずは12年前にご往生された谷本瀧雄さんの十三回忌法要をお勤め。法話の大半は故人への思い出である。ぼくがいちばんお世話になったお同行さんのお一人だといっていい。その瀧雄さんという人格を通して聞かせてもらった仏法話である。その後、奥様やお子様だけでなく、全員で故人の思い出を語り合ったが、どの話にも響くものがあって有り難かった。
瀧雄さんは、カウンセリングを学んだり、子供会のお世話をするだけでなく、悟朗先生からは書道の手ほどきをうけておられた。そこで雅号をいただかれたが、それが「頑魯」(がんろ・源信僧都が自らを「かたくなな愚か者」と名乗られた)というのてある。家族方も認めておられたが、この「かたくなな愚か者」という名前ほど、彼にぴったりのものはない。この性格は、融通の効かない頑固者として厄介でもあった。
しかし、こんな話も残る。十数年前のことだが、華光から距離を置いておられた現支部長のRさんに、法座の度に断られても、断られても、また断られても、お誘い続けて、同時に毎回、手紙を書き続けておられたそうだ。しかもRさんは、その手紙を開封もせず、まとめて燃やしていたというのである。それでも、とうとう子供会のお世話をくださり、支部法座にも参加されるようになられ、今では華光の中心を担いお世話をくださるようになられた。まさに、頑に信じて、ずっと待ってくださっていた方があったのだ。
その執念、今度はぜひお子様たちに届いてほしいと願った。子供大会や仏青にも参加くださっていたのだから、宿善のある方たちなのがら、そう願わずにおれなかった。
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