お通夜・葬儀にて
台風の影響か、聖典講座のお参りは少なかったが、半数以上の方が、そのままOさんのお通夜に列席した。他にも、遠近からお参りがあって、聖典講座よりも、こちらの方がお参りの同人が多いかった。だいたい前列に陣取っていた。
長らく体調不良もあって、最近は、会館には出て来られなかったが、その分、奥様が活躍してくださっている。「もう40年以上のおつきあいになるけれど、あの頃の仏青でのことが懐かしいです」という方がおられた。昔は、仏青や運営委員として、華光の活動に尽力くださっていた。一時は、華光誌の印刷のアルバイトをしてくださっていたこともある。ご法の上でも、しっかり背筋が伸びた、いい味わいをされていた。
浄土真宗のお西のお葬式だ。立派な先生で、親族の皆さんに聖典を配られ、「正信偈を行譜であげます。ページは○○です」「御文章は、末代無智章です。○○ページをご覧ください」「最後に皆様でお念仏いたしましょう」とお勧めくださる。「帰三宝偈」が掲載されている聖典も持参されていた。おかげて、参列のぼくたちも、遠慮なく声をだすことができる。華光同人の参列も多く、フロアーからの声も大きかった。親族の皆様も、勤行されている。熱心な門徒のお家だ。
通夜のご法話の冒頭で、「さすがにO家の皆さん、大きな声で勤行をしていただきました」と始まった。ご法話は、法名について。浄土真宗では、戒名ではなく、釈○○と、お釈迦様であること。法名「釈獨歩」は、奥様からの要望であること。そして、その獨(一)り、歩むことについて、哲学者のフロムを引用したり、精神科医の「普通がいいという病」の話をされたり、なかなか独創的な法話。「自由」「自由」と行っているが、それには獨りで立つ覚悟が必要で、ほんとうは厳しいこと。しかし、それはけっして孤立することではなく、真に獨立することである。その歩みを法名とされた。では、どこに歩むのか。浄土への歩みである。それならば、真に獨りになったとき、ほんとうは獨りではなくて、阿弥陀様がいつも寄り添い、共に歩んでくださっているというようなご法話だった。
葬儀もおわり、最後のお別れで、お棺の中には、故人が直筆された「正信念仏偈」と「浄土三部経」、そして「安心決定抄」が和綴の本になって収められていた。どれも達筆の字で綴られていた。そういえば、アメリカのKさんが、まだ日本におられた時、悟朗先生から書道の手ほどきを受けられていて、一緒に習っておられたのがOさんだというメールをいただいた。この達筆は、悟朗先生のご指南ということになる。書写されたお聖教の下には、「昨日、キタサンブラックが勝ったので」と、故人が大好きだった競馬新聞も一緒に収めれていた。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
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