泉佐野寺院布教
日・月と泉佐野への寺院布教である。例年、この時期に報恩講を勤めておられる。だいたい好天に恵まれるのだが、今年は両日とも雨。それもかなり強く降っている。もう何年になるのだろうか。ここも高齢化の波は押し寄せてきている。ぼくより若い参詣者は、華光の関係の方だけだ。
例年、だいたい同じ顔ぶれで、檀家さんの他にも、近くの寺院の熱心なご門徒さんが両日ともお参りくださる。皆さん、熱心には聞いてくださている。ただ、それは皆さんの反応を感じるだけであって、ほんとうはどう聞かれたのか、また何を聞いておられのか、という分かち合いには至らない。なかなかここのところはご理解をいただけないのが残念である。たとえ、こちらが熱を入れて話したとして、自己満足で終わることもあるだろう。逆に、反応が乏しいと空しい気持ちもする。
毎回、寺院布教の度に思うことだが、座談会とまでいかなくても、少人数でもいいので、聞いたところを共に分かち合ったり、喜びあったりする集いをもちたいとは願ってはいるが、なかなかうまくいかない。以前、ちょっと強く動いたことかあったらしく、それ以降、拒否反応が続いているようだ。ずっと課題をもちながらも、今年も、最後に、「何かご質問や感想はありませんか」とお尋ねした程度で、特に声がないまま終わってしまった。もちろん、檀家さんへのご教化はご住職の役割なので、この法縁をどう生かされるのかはおませかするしかないが、せめてこの時だけでも、分かち合いをするように理解を求めていきたいと思わされた。
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