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2017年10月の29件の記事

お通夜・葬儀にて

  台風の影響か、聖典講座のお参りは少なかったが、半数以上の方が、そのままOさんのお通夜に列席した。他にも、遠近からお参りがあって、聖典講座よりも、こちらの方がお参りの同人が多いかった。だいたい前列に陣取っていた。

 長らく体調不良もあって、最近は、会館には出て来られなかったが、その分、奥様が活躍してくださっている。「もう40年以上のおつきあいになるけれど、あの頃の仏青でのことが懐かしいです」という方がおられた。昔は、仏青や運営委員として、華光の活動に尽力くださっていた。一時は、華光誌の印刷のアルバイトをしてくださっていたこともある。ご法の上でも、しっかり背筋が伸びた、いい味わいをされていた。

 浄土真宗のお西のお葬式だ。立派な先生で、親族の皆さんに聖典を配られ、「正信偈を行譜であげます。ページは○○です」「御文章は、末代無智章です。○○ページをご覧ください」「最後に皆様でお念仏いたしましょう」とお勧めくださる。「帰三宝偈」が掲載されている聖典も持参されていた。おかげて、参列のぼくたちも、遠慮なく声をだすことができる。華光同人の参列も多く、フロアーからの声も大きかった。親族の皆様も、勤行されている。熱心な門徒のお家だ。

 通夜のご法話の冒頭で、「さすがにO家の皆さん、大きな声で勤行をしていただきました」と始まった。ご法話は、法名について。浄土真宗では、戒名ではなく、釈○○と、お釈迦様であること。法名「釈獨歩」は、奥様からの要望であること。そして、その獨(一)り、歩むことについて、哲学者のフロムを引用したり、精神科医の「普通がいいという病」の話をされたり、なかなか独創的な法話。「自由」「自由」と行っているが、それには獨りで立つ覚悟が必要で、ほんとうは厳しいこと。しかし、それはけっして孤立することではなく、真に獨立することである。その歩みを法名とされた。では、どこに歩むのか。浄土への歩みである。それならば、真に獨りになったとき、ほんとうは獨りではなくて、阿弥陀様がいつも寄り添い、共に歩んでくださっているというようなご法話だった。

 葬儀もおわり、最後のお別れで、お棺の中には、故人が直筆された「正信念仏偈」と「浄土三部経」、そして「安心決定抄」が和綴の本になって収められていた。どれも達筆の字で綴られていた。そういえば、アメリカのKさんが、まだ日本におられた時、悟朗先生から書道の手ほどきを受けられていて、一緒に習っておられたのがOさんだというメールをいただいた。この達筆は、悟朗先生のご指南ということになる。書写されたお聖教の下には、「昨日、キタサンブラックが勝ったので」と、故人が大好きだった競馬新聞も一緒に収めれていた。

 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

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『阿弥陀経』(8)~諸仏の証誠・護念(2)~

▼ところで、親鸞様は、諸仏のお働きについて、四つの観点から味わわれている。
*親鸞様=「『小経』に、勧信、証成、護念、讃嘆、難易あり」(『愚禿鈔』大意)
 といわれるうち、((1)勧信、(2)証誠(成)、(3)護念、(4)讃嘆が六方段のおこころと窺える。その一つ一つを見ていこう。
 
(1)勧信                                   
「なんぢら衆生、まさにこの『不可思議の功徳を称讃したまふ一切諸仏に護念せらるる経』を信ずべし。」

▼「この経」とは阿弥陀経。その要は、念仏往生の道を勧められるのだから、当然、諸仏方も口を揃えて、念仏往生を勧めれている。またそれは、阿弥陀様の誓願、第十七願の働きによるものである。以下、四つの観点からの諸仏の働きは、すべて第十七願の働きであるので、阿弥陀仏の願いに応じ、釋尊も含めた全宇宙の諸仏方は呼応し、一つになって働いておられるのだ。

*「恒沙塵数の如来は 万行の少善きらひつつ
 名号不思議の信心を ひとしくひとへにすすめしむ」(弥陀経讃・八三首)
*「五濁悪時悪世界 濁悪邪見の衆生には
 弥陀の名号あたへてぞ 恒沙の諸仏すすめたる」(弥陀経讃・八六首)
*「諸仏称名の願(第十七願)と申し、諸仏咨嗟の願(同)と申し候ふなるは、十方衆生をすすめんためときこえたり。また十方衆生の疑心をとどめん料ときこえて候ふ。『弥陀経』の十方諸仏の証誠のやうにてきこえたり。」(『御消息集』十九通・七七六)

(2)証誠(証成)
「かくのごときらの恒河沙数の諸仏ましまして、おのおのその国おいて、広長の舌相を出し、あまねく三千大千世界に覆ひて、誠実の言を説きたまはく」

▼仏の三十二相(大舌相)からも窺える。
 小事の証明=舌を舒(の)べて、面を覆うか、髪際にいたる。
大事の証明=舌を舒べて、大千を覆う。

*善導様=「もしこの証によりて生ずることを得ずは、六方諸仏の舒舌、一たび口より出でて以後、つひに口に還り入らずして、自然に壊爛せん。」(『観念法門』)
*庄松同行=「諸仏さんの舌は落ちて居らぬ」のエピソード

(3)護念
 「一切諸仏に護念せらるる経」・一切諸仏所護念経
 
▼諸仏方の護念もまた、十七願(悲願)の顕れであることが窺える。

*「この世にて真実信心の人をまもらせたまへばこそ、『阿弥陀経』には、「十方恒沙の諸仏護念す」(意)とは申すことにて候へ。安楽浄土へ往生してのちは、まもりたまふと申すことにては候はず。娑婆世界に居たるほど護念すとは申すことなり。信心まことなる人のこころを、十方恒沙の如来のほめたまへば、仏とひとしとは申すことなり。」(『御消息集』二十通・七七八)
*「十方恒沙の諸仏は 極難信ののりをとき
 五濁悪世のためにとて 証誠護念せしめたり」(弥陀経讃・八四首)
*「諸仏の護念証誠は 悲願成就のゆゑなれば
 金剛心をえんひとは 弥陀の大恩報ずべし」 (弥陀経讃・八五首)

(4)讃嘆
 「不可思議の功徳を称讃したまふ」・称讃不可思議功徳 

▼諸仏の勧信、証成、護念はすべて、第十七願-すわなち「十方無量の諸仏が、ことごとく咨嗟(ししゃ・讃嘆のこと)して、阿弥陀如来の名号を称えさせよう」という悲願の顕れである。四番目に讃嘆を示された。
◎六方段には、第十七願の諸仏称名(諸仏咨嗟)の願の成就が明示されている。

*「たとひわれ仏を得たらんに、十方世界の無量の諸仏、ことごとく咨嗟して、わが名を称せずは、正覚を取らじ。(第十七願文・『無量寿経』十八)      
*「十方恒沙の諸仏如来は、みなともに無量寿仏の威神功徳の不可思議なるを讃歎したまふ。(第十七願成就文・『無量寿経』四一)

 最後に、◎諸仏の証誠の理由について、『三帖和讃講讃』から窺っておこう。
一、求道者の疑いを捨てさせるため。    (前出・84首)
二、悲願(第十七願)成就を明確にするため。(前出・85首)
三、聖道の難証を示すため。
 「十方無量の諸仏の  証誠護念のみことにて
  自力の大菩提心のに かなはぬほどはしりぬべし」(正像末和讃281首)
四、浄土の難信により、易行を示すため。
 「真実信心うることは 末法濁世にまれなりと
  恒沙の諸仏の証誠に えがたきほどをあらはせり」(正像末和讃282首)

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『阿弥陀経』(8)~諸仏の証誠・護念(1)~

  『阿弥陀経』正宗分(本論の第三段、証誠勧信【五】の五段目~【十三】に入った。
 正宗分は大きく三段に分かれる。第一段は、阿弥陀仏の極楽浄土と阿弥陀仏の荘厳について讃嘆。第二段は、その極楽浄土に生れる念仏往生についての教説。
 次いで第三段は、釈迦如来と諸仏による証誠勧信で、さらに四節に分科される。 まず一自証【五】では、釈迦如来が自ら広大な利益を自ら知見し、真実であるからこれを説くと宣言し、浄土を願えと勧められる。続いて、二他証【六~十一】は、六方段とも言われ、釈迦如来と同様に、六方に満ち満ちる諸仏方もすべて、阿弥陀仏を褒め讃え、護念・証誠することが説かる。そして、さらに三勧信【十二】と四讃嘆【十三】へと続く(ここは来月へ)。

 一、自証(釈迦如来の自証)【五】の五段目
「舎利弗、われこの利を見るがゆゑに、この言を説く。もし衆生ありて、この説を聞かんものは、まさに発願してかの国土に生るべし。」

◎「我見是利・故説此言(われこの利を見るがゆゑに、この言を説く)」
我とは釋尊、この利とはこれまで説き明かされてきた(浄土の麗しい有りさま、弥陀と聖衆のお徳、念仏往生)による素晴らしい利益、それを自らが知見し、他力念仏こそが真実であることを説く。短い一言ではあるが、「これ一つを説くために出生しただ」という、出世本懐の一代結経を顕す力強いお言葉である。

 二、他証(諸仏の証誠護念)【六】~【十一】
「舎利弗、われいま阿弥陀仏の不可思議の功徳を讃歎するがごとく、
東方にまた、阿●●仏・須弥相仏・大須弥仏・須弥光仏・妙音仏、
かくのごときらの恒河沙数の諸仏ましまして、おのおのその国おいて、広長の舌相を出し、あまねく三千大千世界に覆ひて、誠実の言を説きたまはく、〈なんぢら衆生、まさにこの不可思議の功徳を称讃したまふ一切諸仏に護念せらるる経を信ずべし〉と。」
 
◎釋尊自らの証誠に続いて、六方の諸仏方の証誠護念が説かれるので、別名、六方段とも言われる。
 冒頭で、釋尊がいま、阿弥陀仏の不可思議の功徳を讃嘆していることを述べて、
 同じく全宇宙に満ち満ちる無数の諸仏方も、同じように証誠護念されている様子が、同じ文言で繰り返し述べられる。阿弥陀仏に、釋尊や諸仏が呼応しておられる。

▼古来より、六方段と言われるが、六方も、十方も、共に同じく全宇宙を顕している。
六方=東方、南方、西方、北方、下方、上方。
異本の玄奘訳(『称讃浄土経』)では、十方と説く。十方=東方、南方、西方、北方、下方、上方、四維(東南・西南・西北・東北方)
親鸞様の弥陀経讃では、「十方微塵世界の」(82首)・「十方恒沙の諸仏は」(84首)と「十方」である。

▼恒河沙数の諸仏=ガンジス河の砂粒ほどの無数の諸仏方を表す。
『阿弥陀経』    =六方・三十八仏
玄奘訳『称讃浄土経』=十方・四十二仏
『サッスクリット本』=六方・四十仏    (続く)

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広島での百カ日法要

 週末は、また台風が接近して、雨になった。

   ご縁あって、広島での百カ日法要にお招きいただくことになった。

 施主に願いがある。お父様が亡くなられ、収めきれない思い、もしくは割れ切れない思いを、法座として実現してくださった。8月から、何度も進行の打ち合わせをする。呼びかけ一つでも、最初は親族や親類中心だったが、華光の仲間に増え、さらには真宗カウンセリング関係の方と広がっていく。当然、対象者が変わると、法話のテーマも変わってくる。ただ、ふたを開けないと、誰がこられるかはわからない。それで、法話は、親戚の初心向け、広島の真宗カウンセリングの方向け、さらに華光の方ばかりの時と、3種類を用意しておく必要があった。

 で、蓋を開けてみると、予想外に親類の方がお参りくださった。加えて、真宗カウンセリングで初参りの方もある。もちろん、華光の同人も方もそれなりにお参りされている。ある意味で、三すくみだ。

 でも、こんな時に、カウンセリングの経験が役に立つ。場を信じる力を頂いているのだ。打ち合わせどおり、法要の後は、法話ではなく車座になっての座談会。それも一言ずつのチェックインである。ただ、これもいつもの間にか拡大運営されている。もともとホテルでのチェックインのように、開始にあたってその場に入る作法のようなものが、何故か、かなり長い話となり関わりまでもおこってる。もう、チェックインとはいえない。が、今回は、それがよかった。故人のご兄弟(九十歳を超えておられる)から、故人の人となり、お子様も知らないエピソード、さらに戦争中の秘話などが次々飛び出して、同じような共感される方もでて、深いご縁となった。

 残念ながら、もう少し深めていきたいというところで、高齢のご親戚の皆様は、退席。逆に、華光同人と、カウンセリング関係の方ばかりになったので、初参加のカウンセリング関係の方に合わせて、 真宗とカウンセリングの接点についてのご法話をした。一言でいうなら、カウンセリングというのが抵抗がある方には、真宗カウンセリングとは、僧俗・信未信にかかわらず、共に育ち合う、聞き合う法座でありたい、共に浄土往生を目指す集いでありたいという、大きな願い支えられている、と言いたいのだ。

 最後に、分かち合って4時間の法要は終わった。
 ある意味、温かいご法要ではなかったか。
 また、施主のご姉妹から、一つの区切りになったという声がでる。それが法事の意味でもあるのだ。収まらない思いが、ある場所に収まっていく。もちろん、それですべてが解決したわけではないが、収まる場所(スペース)が出来ることで、重荷が重荷でなくなり(別になくなったわけではないが)、軽くなって、次に進んでいけるのである。プロセスは刻々と流れ、変化する。しかし、悩みがある時は、私の気持ちだけがそこで止まり、淀みが出来る。それが悩みとなっていくのである。別の言い方をすると、苦しみや悩みの状況でも、それがドンドン流れ止まることがないのなら、悩みにはならないのだ。

 お二人のその一言でも、今回の法要の意義があったと感じられた、ほんとうにいいご縁でした。南無阿弥陀仏

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梅小路公園の秋空

Img_3836 仏青大会の後は、巨大台風が接近。その影響で、しばらく天気は悪かった。選挙速報の影響で、報道が少なかったが、台風は大きな被害をもたらしていたのだ。

Img_3844 それにしても、この10月は例年以上に雨が多かった。法座の度に悪天候だった。つまり、週末を狙い撃ちにImg_3853された。もともと10月は、秋晴れのイメージがある。昔、10月10日は体育の日で、晴天の特異日だっImg_3834たが、他にも運動会や遠足などの行事Img_3838が多い月だ。それが、今年は例年の3~4倍の雨が降ったという。

 木、金と、ほんとうに久々の晴天になる。洗濯もしたし、布団も干した。大会を前に散髪もした。をする。帰路、すぐ近くの梅小路公園を少し散歩した。

Img_3840 秋晴れだ。そして、風景はすっかり秋となってImg_3861いる。 空が高い。

 晴天の時は、日中は暖かいが、朝晩は冷える。季節は、間違いなく進んでいる。

 東寺の五重の塔も高い。

 

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台風接近の中での仏青大会

 10月の仏青大会も、台風を心配しながらの法座となった。これで、8月の子供大会、9月の壮年の集いと、3ケ月連続で、行事期間中、またはその直後に台風が接近する事態になった。今年は台風の当たり年ではないが、週末にばかり台風がやってくる。しかも、3度とも宿泊行事の最中にあたるのも珍しい。今回は、超大型台風で、接近前から、強い雨が続いてた。それでも、仏青大会は予定どおり行うことができた。

 いま、仏青世代は、過渡期にきている。後継者が不足している。それでも、今回は久しぶりに人が集まった。ただ、ちょっとオーバーの方もあって、男性はそろって中年ばかり。女性は、大学生世代と、30代。仏青ど真ん中の世代(20代)の方が少ないようだ。それでも、少しずつ世代交代が進んでいる。たとえ少人数になっても、本来の仏青世代を中心しながら進めていったほうがいい時期だ。

 フリーの信仰座談会ではなく、各人に与えられた時間で、自分を語る。それができない方は、硬軟まぜた30個ほどの質問に答えていく。始めての方でも答えられるように工夫されていた。ただ、世話人が想定していたよりも、参加者が多く、この企画だけで、初日と2日目の朝座までかかってしまった。なかなか座談を深めまらない。なかには、一方的な話で終わった方もあったのは残念だった。でも、しっかり自分を開いて話せる人もあるが、それが苦手の人もあるので、フリートークより、テーマが明確な方がよいのだろう。 

 ただ、仏青の皆さんには、これからは、聞く力・話す力を身につけてもらいたい。少なくても、子供大会出身者は、自分を開いて話すことが身についている。本人方は、当たり前なのか、大したことはないように思っておられるが、これも長年のお育ての成果である。ただ知識を覚えたり、詰め込んだりするような育て方はしていない。法話でも、聞いた先生の内容と、そのテーマ、そして自分の思いや意見を、しっかりと聞き分けて伝えることを進めているからだ。sかし、感情的な場面では課題はある。相手の感情に、自分の中の課題や感情が巻き込まれて、この区別がなくなる方もあった。相手の感情や思いに触発された思いがあっても、それがしっかり意志されているのなら、なんの問題もない。でも、相手なのか、自分なのかがゴチャゴチャになってくると、司会進行はできない。また、あまりにも人事で聞いていると、冷たすぎて相手の交流は生まれないが、巻き込まれすぎるのも問題である。このあたりは、分級座談会やカウンセリングのワークショップなどで、しっかりと体験的に学んでもらわないと、身にはつかない。

 今後、仏青内部で遠慮し会わないで、ぶつかりあって、コミニケーションを重ねて、いまの皆さんの仏青にしてもらいたい。そんな願いが実現するきっかけとなった大会ではなかったか。

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『カレーライスを一から作る』~最近見たドキュメンタリー映画(1)~

  最近、面白いドキュメンタリー映画を立て続けに観た。すべては無理でも、少し紹介していきたい。

 『カレーライスを一から作る』といっても、別にカレーライスの作り方を教えるわけではない。ほんとうにすべてを一から、自家製で作っていこうという武蔵美(美術系の大学)のゼミを9ケ月間、追いかけたドキュメヘンタリー。ユニークな先生は、医者であり、探検家でもあるでもある関野吉晴氏。これまでさまざまな身をかけた体験をされている。

171004 一から作るというのは、コメや野菜だけでない。スパイスや塩、もちろん肉に、食べるお皿やスプーン(ここは芸大なので専門か)まで、一から作るというのである。
いちばん時間がかかったのが、スパイス類。案外、時間がかからなかったのが、塩だった。野菜やコメだって、思い通りには進まない。それでもいちばんたいへんだったのは、やはり肉だ。四つ足(ブタやウシなど)の動物は、日本では勝手に屠畜できない法律があるので、二本足(つまり鳥類)を育てるということになった。でも、これだけは卵からというわけにもいかないので、ヒナから育てることになった。選ばれたのは、ダチョウである。ダチョウの肉には馴染みないのだが、昔、若狭で子ども大会を開催したとき、会場が農園ということで、宿泊した農機小屋の二階の隣の広場で、ダチョウが飼育されていたことを思いだした。
 
 ダチョウは、とても神経質で、怖がりなので、育てるのが難しいという。ちょっとした物音に驚きパニックになり、走り回って壁に激突して死ぬそうだ。ある程度、事情の分かるところで飼ってもらうが、やはりすべて死んでしまう。ついて、ホロホロドリと烏骨鶏を飼育することになった。ペットと家畜は違う。がどこかペット化すると、やはり最後に卵を埋めるようになった鳥を、「殺す」「殺さない」の話になった。でも、自分達の手でシメテ、捌くことになる。この捌くシーンがひとつのメーンであろうか。
 そして試食。食べるということは、他の命を奪うということ、私が生きるというとは、その連続でしかないということ。それにしても、もともと単純だったものが、さまざまなプロセスをへ、専門化され、複雑になりすぎて、逆に生きものの命を奪っているといういちばん肝心な点が見えなくなっている。そうすると、生きることが命を奪って食べることだという事実が分からなくなると、そのいのちの犠牲の上にある私の命までも希薄となり、結局、生きる意味もきれいごとになるのではないかと思った。

 ちなみに映画が、単行本にもなってます。

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じじばば木馬亭

   同志社のある烏丸今出川から、烏丸御池に向かって、先日、オープンしたばかりの飲み屋へはいる。少し遅めの食事だ。飲み屋というよりビストロの雰囲気に驚いた。もともと京都駅の路地裏で、昭和の雰囲気のお店のオーナー。なかなかのやり手のようで、事業拡大し、こImg_3821れが4店舗目。でも、これまでのお店とは、まったく違う雰囲気の明るいビストロ風の店内。日本酒とワインがメーンだが、料理はワインに合うものが多いか? 味は悪くないし、新しいメニューもある。以前、「人を雇ったらストレスなので」と、ひとりで切り盛りされていたが、今は4名が働いている。オープンまもなしで、厨房も、ホールのスタッフも、かなり不慣れでモタモタである。分からないとすぐオーナーに尋ねている。でもうまくいかづたいへんそう。広がったら広がったで、「これは相当にストレスですね」と話すと、笑っておられた。

Img_3819_2 それにしても、味は変わらずとも、店の雰囲気がひとつ変わっただけで、別のものを食べている気になるのが、不思議だ。確かに、広々して明るい店内で、連れ合いは「ここはトイレがあるのはいい」と行っている。確かに。前の店のレトロな共同トイレで女性向きではなかった。それでもね。なんなくふたりとも、前の店の狭くてディープで、温かい雰囲気が懐かしく思える。
 仕事で近くに宿泊中のRさんをお声をかけることにした。お忙しい中、急なお誘いに快く応じてくださり、おしいい日本酒で盛り上がった。

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中村敦夫朗読劇『線量計が鳴る』~元・原発技師のモノローグ~

Img_3815Img_3816 Rさんに校正を渡しぎりぎりまで仕事をして、急いで今出川の同志社大学に向かう。構内の寒梅館のホールで、中村敦夫の朗読劇を観る。
 整理番号は300番だったが、中央の2列目にの空きがありラッキーだ。休憩を挟んで2時間近く、一人での朗読劇。それでも、飽きさせることなく聞かせるのは、やはりプロ。
Img_3812    啓蒙演劇というジャンルで、情感に訴えて感情を揺さぶるのではなく、問題を指摘し観客を覚醒させ、新しい視野を提供する」というものだ。フクシマを通して、日本の原発にまつわるさまざまな嘘やごまかし、詭弁、さらにチャルノブイリでいま起こっている現実も踏まえImg_3807て、原発の本質を見極めて、ひとりひとりがわかこととして考えるきっかけになればという願いで始まっている。

 オリジナルの朗読だけてなく、プロジェクターを使った講義風で、啓発的な内容で、触発をうけた。もし近くで公演があるようなら、ぜひ足をの運びください。

http://www.monjiro.org/%E3%81%8A%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%9B/

 おまけですが、今回の朗読劇とは別だが、弁護士である河合弘之が撮った映画『日本と原発』(合わせて同じ著者の新書『原発訴訟が社会を変える』)だ。多岐にわたる原発問題の問題点が浮き彫りになってくるので、こちらも面白くて、お勧め。

 最後に、まったく関係ないことだが、主演の中村敦夫氏についての余談をひとつ。

 感想を会館の事務所で話ていたときの会話。。

T「中村敦夫といえば、「シトシトピッチャン、シトピッチン」ですね。
S「いや、それは子連れ狼でしょう。」
T「ああ、子連れ狼は、カツシンか」
S「いや、カツシンは座頭市でしょう。」
と、若いRちゃんには「?」の珍問答が続いていた。

   ちなみに、子連れ狼は若山富三郎(もしくは萬屋錦之介)で、中村敦夫は木枯らし紋次郎である。でもしかーしである。ぼくにとっては、「水滸伝」の林冲(りんちゅう)なのである。日テレが総力を結集した放映記念の大活劇で、中学時代のテレビ番組だった。ぼくが、いちばん影響を受けた番組かもしれない。おかげで、何十年たっても、いまだに水滸伝フリークである。その後、ほんもの水滸伝を読んで時、林冲が主役でないことに驚くことになり、北方水滸伝で、また衝撃をうけることになる。

 まったく原発問題とは別次元の話でした。

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華光大会、総会に向けて

 いま、大きな仕事を3つ抱えている。

 すべて華光大会に向けての作業だが、内容は違う。

 まずひとつは、50回忌と3回忌の大会に向けて、小冊子作り。3編の法話が載るので、小冊子とういより法話集である。これはRさんに提案をいただき、9月下旬から準備をしている。伊藤先生のもの、悟朗先生のもの、そして小生のものの3編を選び、再編集したものだ。最初から意図していたわけではなかったが、3編に貫くのが華光に流れている「自信教人信」の精神ということになろう。これは自分でも不思議なくらいぴったりしたものが集まった。10月はじめに原稿を揃え、そのあと2校、3校とすすんで、本日、やっと校了となった。表紙は、赤に決めた。伝道精神に「燃えろ」である。大会に間に合うことで、一区切りホッとした。 合わせて、華光大会中日の五十回忌法要の企画も準備していかなくてはならないが、これはこれから。

 もう一つは、華光大会というより総会に向けての動きである。昨年の決算と予算を福岡のY先生と打ち合わせ。こちらはかなり厳しい情勢だ。運営委員の交代もある。それぞれに意志の確認などを進めて、だいたいは固まってきた。もう少し固まったところで、役員さんたちと相談をしていかねばならないが、課題は山積。

 3つめは、来年に迫った華光会館の修繕・改築の軒である。設計士のM先生との打ち合わせだが、20年を越えると、内装にも、外見にもさまざまな不具合が起こっている。いまの時点での見積りを提出いただいたが、会計と照らし合わせると、予想以上に負担額が大きい。これまで華光を支えてきてくださった熱心な同行が、高齢になっておられる現状を考えると、正直、かなりの難題だ。それでも、将来の考えると、このまま放置するのは先送りにするだけのことで、いろいろと知恵を絞り、よく相談していかねばならない。

 気軽に法座を開くだけなら、そんな気苦労もないのだろうが、建物を維持し、組織を護持していくには、いろいろとままならないことだらけである。まあ貧乏所帯は、創立の時からで、それなりになるようになってきた。それが当会には相応しいあり方なのだろう。強がりではありますが…。

 どうぞ、皆様、華光大会にご出席ください。五十回忌のあとには、総会もあります。こちらもぜひ!

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真宗カウンセリング成立(1)

 輪読法座が終え、すぐにレジャメを仕上げ龍谷大学の深草学舎に向かう。

 真宗カウンセリング研究会の月例会は、西光義敞著『育ち合う人間関係』を輪読中。9月で、第1章の「カウンセリングの手引き」が終わり、今月から「真宗カウンセリングの成立」に入った。各章は、それぞれ独立した冊子や論文である。かなり浄土真宗色が色濃く、仏教用語も出てくる。テーマが代わったこともあり、ぼくが担当した。一読しても分かった気がするが、レジュメにまとめ発表するとなると、何度も読み込まなければならない。けっして難解な論文ではない。しかし、これまでに使用例のない「真宗カウンセリング」の表現を使い、その成立の可能性を問う論文なので、ひとつひとつの言葉をいろいろな角度から検討されているので、混乱する箇所もある。それだけしっかり読まないと意味がない気がする。担当したおかげてあらためて学んだこともあった。ぼくにとっては、とてもタイムリーな論文なので、もし担当者が名乗り出ない時は、担当を続けてもいい。自分の勉強になるからだ。

 以下は、今回、読んだところの要旨。

一、仏教とカウンセリングの出会い
◎根本的な”問い”

 仏教=東洋、人間に関心を向け、「人間とは何か」を実践的に追求。仏教学は、人間学。人間が真に人間になる道を示す実践の体系。
 カウンセリング=西洋、人間に関心を向け、人間に関わる臨床対応。西洋を基盤に、人間理解をめぐる宗教・哲学・科学との長い豊かな歴史で育つ。
 つまり両者は、現代の精神状況の中で「人間とは何か」の根本的に問いに、具体的、実践的レベルで直接的にこたえることのできる有力な道だといえる。
 そして、両者(東洋の諸宗教(道)と、西洋の心理学・心理療法)の出会いは急速に進んでいる。しかしながら、欧米の心理学者からのアプローチが中心で、日本側からは乏しい状況だ。

◎浄土仏教と心理学・心理療法

 さらに、日本の仏教側からとなると、さらに不十分。
 中でも、浄土教と心理療法との関係になると、皆無に等しい。

二、真宗カウンセリング成立の可能性
◎「真宗カウンセリング」という言葉

 そんな中で、仏教・真宗とカウンセリングや心理療法の実践的な出会いから、新しい「人間援助の道」もしくは「援助的人間関係の実践体系」か創造できないか。それをかりに「真宗カウンセリング」と名付け、その成立の可能性を探るのが、本稿の趣旨である。

 まず、先行する研究としては、藤田清氏の「仏教カウンセリング」があげれらる。
 藤田氏は、仏教は本来カウンセリング体系である。指示的でも非指示的でも、折衷でもない、縁起的中道的態度をとり、「相談仏教」と名付けて、カウンセリング界を批判した。しかし、十分な検討も評価もされていない。それでも先駆的な問題提起を敬意を払いたい。

 それに対して、「真宗カウンセリング」は、1961(昭和36)年「真宗カウンセリング研究会」創立に始まる。もともとは、「真宗者の行うカウンセリング研究の会」であったが、「真宗カウンセリングを研究する会」と理解されて、継続されてきた。それでは、「真宗」と「カウンセリング」の出会い、関係を理論的・実践的にどう捉えるのか。 

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華光誌輪読法座~「法乞食になって聞け」~

 今日は朝から夜までたいへんな1日だった。

 朝から歯医者で2時間半も診察台に座って、口を空け放し。麻酔があるので、痛みはないが、不快な感じこのうえなし。寝そべっているだけでも、疲労しフラフラになりながら戻ってきて、すぐに輪読法座を行う。終了したら、レジュメを仕上げ、真宗カウンセリング研究会の月例会に臨む。当番なのだ。

 まずは、華光誌輪読法座である。このところ寂しかったが、今月は二桁の参加者があった。東海からも2名、久しぶりの方もあって活気があってよかった。

 巻頭言「法乞食になって聞け」を読む。伊藤康善先生の五十回忌法要を前にした所感である。

 しばしば問題にしているが、法の伝え方や聞き方、信仰のあり方、同人が集う空気感など、最近の変化が気になっている。もちろん教えや説きぶりは、時代と共に、また人が変わばれが変化する。徐々にだったり、知らず知らずということもあろう。また大きな出来事がきっかけになることもある。いい意味で、時代や機に相応していくことも必要だ。ただ、これだけは変えてはいけない、伝えていかねばならないものが明確なのが、華光の集いだ。そのために批判され、孤立しようとも、そこは曲げられない。それかどこにあるのかを改めて確認したかった。もろちん、そんなことは分かっているという方もあろう。しかし、「分かっている」ということと、それが実践できているということは、まったく別のものだ。分かっているのに実践出来ないという自覚があればいいが、実践出来ていると錯覚していくことが、一番恐い。

 たとえば、タイトルの「法乞食になって聞け」ということひとつでもそうだ。これは、伊藤先生の言葉で、悟朗先生からお聞きしたものだ。この言葉をどう捉えるか、皆さんで出し合ったが、各人さまざまな味わいがあって、逆に驚いた。その意味で、分かっているつもりの「つもり」を捨てて、まず率直に語り、聞き合うことが大切である。

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『ユリゴコロ』と『ドリーム』の2本

 寺院法座は、日曜と月曜と続くが、月曜日は朝座がなく、2時までフリー。チェックアウト後の待ち時間で、映画館に行く。りんくうタウンにある泉南イオンである。イオンの映画館は、55歳以上は1100円・6本見たら1本無料、さらに駐車場が無料というので、よく利用する。昨年は、ここで『君の名は。』を見た。

 今年は、夜と朝に映画を2本効率よく観れた。『ユリゴコロ』『ドリーム』である。

 まずは、日本映画の『ユリゴコロ』は、ダークなサスペンス。ある意味で不思議な映画だった。当初、死にとりつかれて、殺人鬼となっていく主人公の女性の心理に共感しずらくしんどかった。特に「血」がでるシーンは苦手だ。
 人との共感する力がなく、「ユリゴゴロ」-どうやら「よりどころ」のことを-もたないまま、冷たく他人の死に出会う時にだけ落ち着ける女性の一生を、まったくそんな母親とは知らずに育てられた息子が、その手記を読むことで、事実に向き合っていくという物語。若き日の両親との出会い、恋人との出会い、母親との再会など、物語の核になる人間関係の偶然の出会い方都合がよすぎるのが難点だが、最後の方は、馴染めずにいた物語にだんだとと入り込んでいく気がした。心に残ったといえばかなり残るし、苦手いえば苦手で、ぼくとしては評価は難しい。

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 一方、アメリカ映画『ドリーム』は、50年代後半、NASAに勤務する黒人の女性たちの物語だ。なかなか面白かった。でも、邦題(日本語タイトル)がいけない。「ドリーム」だけでは、まるでアメリカンドリームを想像させ、努力したものが報われていくかのような錯覚をうむ。実際は、二重の差別(黒人であること、そして女性であること)の中で、その地位を向上させるために先駆となる女性の物語だ。単なる努力だけでは如何ともしがたい差別との戦いの一コマを、宇宙開発やコンピューターという新分野での成功と重ねて描かれている。ほんとうのタイトルは、「Hidden Figures」(隠れされた人たち)というのだ。

 また、日本人には理解しがたい、時代背景の理解があると、より愉しめる。ソ連との冷戦時代、宇宙開発(軍需開発そのもの)競争が激化。ソ連に先を越される「スプートニク・ショック」で、水をあけられたアメリカは焦っていた。宇宙開発では、ソ連がリードしてきたということがある。もうひとつが、この時代は、南部では黒人差別が公然とおこなれわていたこと。バスの座席も、トイレも、職場のボットにも、白人は、有色人種を差別してきた。NASAは、南部のテキサス州ヒューストンにあるのだ。そして、黒人社会においても、女性のエリートは男性によって差別されていた。つまり、黒人であること、女性であること。この二重差別によって、どんな能力があろうとも、職業や結婚など社会の中で虐げられていく存在であるということだ。
 上司にあたる白人女性が、部下の-能力があり、管理職の仕事をさせられながらも、ヒラにとどまる-黒人女性に、「私は差別主義者ではない」といい訳シーンがあるが、そこにも差別の実態が垣間見えてくる。ほかにも、今日のネット社会の先駆けとなるIBMの導入など、今日にもつながる社会の予感が窺える。

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泉佐野寺院布教

Img_3804 日・月と泉佐野への寺院布教である。例年、この時期に報恩講を勤めておられる。だいたい好天に恵まれるのだが、今年は両日とも雨。それもかなり強く降っている。もう何年になるのだろうか。ここも高齢化の波は押し寄せてきている。ぼくより若い参詣者は、華光の関係の方だけだ。

Img_3805 例年、だいたい同じ顔ぶれで、檀家さんの他にも、近くの寺院の熱心なご門徒さんが両日ともお参りくださる。皆さん、熱心には聞いてくださている。ただ、それは皆さんの反応を感じるだけであって、ほんとうはどう聞かれたのか、また何を聞いておられのか、という分かち合いには至らない。なかなかここのところはご理解をいただけないのが残念である。たとえ、こちらが熱を入れて話したとして、自己満足で終わることもあるだろう。逆に、反応が乏しいと空しい気持ちもする。

 毎回、寺院布教の度に思うことだが、座談会とまでいかなくても、少人数でもいいので、聞いたところを共に分かち合ったり、喜びあったりする集いをもちたいとは願ってはいるが、なかなかうまくいかない。以前、ちょっと強く動いたことかあったらしく、それ以降、拒否反応が続いているようだ。ずっと課題をもちながらも、今年も、最後に、「何かご質問や感想はありませんか」とお尋ねした程度で、特に声がないまま終わってしまった。もちろん、檀家さんへのご教化はご住職の役割なので、この法縁をどう生かされるのかはおませかするしかないが、せめてこの時だけでも、分かち合いをするように理解を求めていきたいと思わされた。 

 

 

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一周忌の法要

 一周忌の法要に大阪の豊中市に向かう。

 昨年の9月。台風の日だった。さまざまなご因縁からご示談に窺った。そして、「また次に。来月にでも」とお別れしてから1ケ月後には、その方のお葬儀を引き受けることになっていた。まさに「またね」なかったのである。あれからもう1年。早いようで、ものすごく昔のようにも思える。この間にも、さまざまな無常のご催促があったが、相変わらず人事として生きている。

 ご主人と、お子さんたちの家族というほんとうの身内さんだけでの法要だ。このことがご縁で、お孫さんたちは子供大会にも参加してくれるようになった。それで、法要の最初に「子どもの聖典」でお勤めをした。小さな子供さんでも、ここだけなら飽きずに座ってくれるだろう。続けて、皆さんと共に勤行くださるように、お『正信偈』さまをあげさせていただいた。

 法話は、子供さん向けにしたが、仏縁の浅い方にも向けていた。先日の無着先生から教えていただいた、おっぱいと、へその緒の話だ。結局、私は親の恩徳なしには生まれてこれなかったということだ。しかし、まったくそんなことは何も知らない。当然、実感などない。しかし、ひとつでもその恩徳が欠けていたなら、今の私はここに座っていない、という事実を聞かせていただく。人身受け難しということだ。では、それはなんのための命なのか。あらためてお母さん、お祖母ちゃんの法要の前に、ひとりひとりが考え、聞いていただきたい。

 一周忌の法要を勤めた後は、墓所に参って納骨も行った。ご姉妹は、ホッとされたという。形の上でもひとつの区切りがついたという雰囲気がした。形はこれで一区切りとなったので、これからは落ち着いたところで、改めて親の願い、そのお心をしっかり味わっていかれることだろう。南無阿弥陀仏

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最後の伝道研究会

 講習会のテキストであった「真宗の基礎~安心篇」も、「名号論」「信心論」「称名論」、そして「得益論」と続いてきて、今月で、最後の「得益論」が終わった。長かった。真宗は現当二世の御利益を説くが、当来世の御利益である「還相廻向」ついて学んのだが、研究会の最後を、還相廻向で終えることができたのは、やはりよかった。

 ところで、これまてのテキストが終了すると同時に、長年続けきた「伝道研究会」も、しばらく休止することにした。来月からは、「仏書に親しむ会」を立ち上げる。これは、今の参加者の関心や力量、意識を踏まえた上でのことだ。というのも、もともとは先生方や司会者レベルの方々が、法座での反省も含めて、伝道や教義の研究を行うために続けてきた勉強会だった。一時休止されていたものを、30年ほど前に復活したのだが、それがだんだん先生方も多忙となり、同人の方、一般に広く参加を求めるようになった。京都の同人の女性が中心である。「安心篇」のテキストに、皆さん悪戦苦闘だったと思うが、よくこれまでついてこられたと思う。

 しかし、いま内容では「伝道」という命名がおかしいし、これ以上深く教義や聖教を深めるという雰囲気もない。もう少し皆さんの力に添った形を模索していた。お聖教に親しむという形式でもよかったが、それは「聖典講座」があるし、7月から「ご本典」を読む会は立ち上げている。というけとで、この集いでは一から華光双書を読むことにした。伊藤先生や悟朗先生の著述をしっかり読ませてもらいたいし、いまは品切れになっている「一願建立と五願開示」や「種々の安心問題」などの伊藤先生のものへと進んでいきたい。ということで、まずは悟朗先生の「親指のふし」の第1章からおこなうという告知をした。

 ところが、その後、11月の華光大会に向けて小冊子を編集が進んでいる。伊藤先生の50回忌と、悟朗先生の3回忌を勤めさていただくので、それに合わせて、伊藤先生、悟朗先生、小生の3編の法話を掲載するもので、小冊子というより、かなりまとまったものになっている。

 それで、急遽、これを読むことにした。といっても、まだ完成してはいないが、11月1日の発行を目指して、編集作業が進んでいる。タイトルは「非僧非俗のこころ」~華光を貫く精神~である。

  名称=「仏書に親しむ会」

 日時=11月8日(水)夜6時50分~9時

 内容=新刊「非僧非俗のこころ」~華光を貫く精神~の輪読

 

 

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国東半島の神や仏たち(8)~両子寺~

Img_3667_2  ここまで国東半島の七ケ寺の寺院を巡ったが、いずれも豊後高田市の地名である。これから訪れる両子(ふたご)寺は国東市になる。地図でImg_3670みると、両子(ふたご)寺のある両子山が、ちょうど国東半島の真ん中あたりになっていて、その周りに六郷満山の寺社がひしめき合っているが、ぼくたちが訪れたのは、西南の方面で、Img_3679北や東の方には足を延ばすことはできなかった。

 ここは少し距離はImg_3677あったが、いちばん観光客が多かった。定期観光パスもきていた。といっても10数名ほどである。平日、雨天ということを差し引いても、やはり静かではあImg_3681る。

 まずは不動明王がまつられた本堂の護摩堂に参詣。天候は悪いが濡れた緑のもみじが美しい。風情のあるお寺だ。

Img_3687 両子山を寺境に奥で広がっているが、雨が強くなってきて、さすがに奥の院までは無理だ。大講堂にはお参りする。鎌倉からImg_3688南北朝の作と言われる阿弥陀三尊や壁画がおまつりされているのだ。いまの大講堂は新しい建物で、明治期に廃仏毀釈の法Img_3669難で喪失して、平成になって再建されたものだという。ところが門が堅く閉められている。どこにも入り口がない。雨の中でせっかく足を延ばしたのに残念である。受付で尋ねると、雨天のために開門Img_3695しないと言われた。それならそうと、先に言ってよ~という気分である。開門がないので拝観料を徴集しなかった富貴寺の対応とは異なる。

 でも、もうひとつ観ておきたいものがある。仁王さImg_3709まで有名のだ。国東半島で古さ、大きさともに一、二を争うものだそうだ。雨が靜寂な雰囲気が一層引き立てる。この前にかかる赤橋が無明橋という。無明の橋Img_3698_2を渡り、仁王門越えて、山門に近づく仕組みであるが、今回は逆のコースでお参りして、受付で場所を訪ねて最後にお参りした。神仏習合で、山門にはしめ縄が貼ってある。ちなみにここだけなら拝観料はいらない。
 
 近くには拝観したいお寺はまだまだあるが、別府から半日で、これだけ効率よく回れて大満足だ。このあたりで別府温泉に戻り無着成恭先生を尋ねることにした。

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   長々のお付き合いありがとうございました。

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国東半島の神や仏たち(7)~天念寺と川中不動~

 Img_3598少し間かあいたが、大分国東半島の寺院を後2ケ寺を紹介する。

 長安寺から遠くない場所に天念寺と川中不動があった。川沿いの道を進むと、川の中に巨石が鎮座している。対岸には、岩壁に密着Img_3594して、茅葺きのお堂と神社が見えている。ともにとても美しい風景。ここは無人で拝観Img_3615料は不要(お賽銭)。テープによる解説もある。駐車場も無料だ。

 川中不動は、天念寺の前を流れる長岩屋Img_3613_2川(天念寺川)にあるが、もともとは氾濫する川を鎮めるために建立されたという。中央Img_3660が不動明王で、両脇にコンカラ、セイタカ童子が刻まれている。不動明王は3.2mもあるという。童子のお顔がユーモラスであImg_3662る。川沿いには曼珠沙華が咲いて、花添えている。

 それより、今回いちばんすばらいしと思ったのが、天念寺である。別名「天念寺耶Img_3664馬」と称されているが、奇岩を背に、本堂、Img_3655庫裏、そして六所権現社という神社を中に挟んで講堂が続く、神仏習合を示す建物である。残念ながら、本堂は工事中で、ブールシートに覆われていたImg_3656が(それでも拝観ができた)木造の釈迦如来が安置されている。川の氾濫で流れた旧国Img_3646宝堂をはさみ、六所権現社という神社が続く。社が裏手の奇岩に食い込みように立てられていた。

Img_3643 そしてそのとなりの茅葺きのお堂が講堂。薬師如来が安置されている。ここでは毎年旧暦の正月7日に、修正鬼会(しゅじょうおにえ)が厳修されるという。その時Img_3635に使用され松明が飾られていた。なんでも、鬼を追い出すのではなく、鬼を歓迎するという全国的には珍しいものだという。国Img_3637東の社寺は、六郷満山といわわれるが、これは「神と仏と鬼の郷」とも言われている。神仏だけではなく、「鬼」が入るところに、豊かさや重みを感じさせられる。建物の風格といい、寺と神社の神仏習の姿といい、たいへん感銘を受けたのであった。
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広島県立歴史博物館にて

Img_3773 福山駅の目の前に福山城がある。お城を中心に美術館や博物館などの文化施設がたくさん集中している。なかなか福山を訪ねるご縁もない。もしかすると、今年が最後かもしれない。というわけで、在Img_3733来線の乗継ぎを利用して、お城に隣接した広島県立歴史博物館を訪ねた。http://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/rekishih/

 メーンは、草戸千軒遺跡の復元や出土品Img_3767の展示が中心で、別名「ふくやま草戸千軒ミュージアム」といわれてImg_3736いる。草戸千軒とは、福山湾岸で南北朝に栄えた港町でその後衰Img_3744退し、それが川の氾濫で水没したのだが、ものが、中世の街並みの遺跡の出土品や、原寸で復元されたと街並みが再現されている。出土したものは、料理や生活に使Img_3746われる日常品が中心だ。鍋や釜、食器、包丁(重文の包丁)や、まじないや占い(やはり(重文の陽物)に使われたものもある。当日の人々の等身大の生活を知る上で貴重なものだが、陶Img_3747_2器は大陸との交流も窺えるものだ。

  ところで、第1室は瀬戸内の歴史を、古代から近代までを体系的に展示されている。ここでいちばん驚いたことは、展示物はの大半が複製品であることだ。ぼくもこれでまで各地の美術館Img_3741や博物館を訪れたが、国宝級のお宝でもないのに、これだけあれこImg_3739もこれも複製というのは、かなりがっかりさせられた。劣化が進むものは展示が難しいだろうし、複製の方がもともとの状態をよくImg_3761顕していることもある。

  しかしこれだけ(複製品)の標示が多いと、Img_3757_3ほんとうに公立の博物館として、展示する意味があるのか。複製技術を堪能できるという意味では、広島県立複製博物館と命名したほうがすっきりする。しかも写真撮影は禁止。複製品なのにだ。意味が分からない。まったく混雑はしてはいない。ほんものではないので劣化することや著作権があるわけでもImg_3787ないのだ。でも第2展示だけは撮影OK。しかし、同じ出土品でも、第3室はまた撮影禁止となる。
 ちなみに、東京国立博物館は、(フラッシュや三脚は禁止だが)複製ではないほんもの国宝でも、自由に撮影できた。ここは特別だけど。

 

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福山家庭法座

   週末の東京法座を終えて京都は途中下車し、体育の日は広島福山での法座に向かう。 

 10月の広島支部法座は、福山での家庭法座である。広島市内の方には、備後までは少し距離があるが、皆さんご参加くださる。当主が亡くなり空き家になっているが、また今年も法座会場として提供くださっている。

法話は、壮年の集いでのご縁、そして大阪や大分でのご示談などのご縁の実例を中心にした。「汝、一心正念にして直ちに来れ。我よく汝を護らん。すべて水火の難に堕することを畏れざれ」の本願招喚の勅命に信順された人達の姿を通して、何を聞くのかを改めてお伝えした。
 
 人のことではないのだ。私の後生の一大事なのだ。大勢のなかのひとりではない。「汝」と名指しをされて、私に呼び声されているのなら、直ちに飛び込むしかないのである。

 私達のところにまで流れてきた、華光の原点に立ち戻ることの大切さを痛感されられるご縁でもあった。

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盛り上がった東京支部交流会

 あと2ケ所、国東の神仏巡りの旅行記は続くのだが、今週末は3連休で、東京支部法座と広島支部の福山法座が続けてあった。

Img_3723 まずは、東京支部法座である。いつもは法座が4席あるが、今回は企画があった。本部に合わせ、年度末(10月から新規)の総会がある。当初、夜座を総会にあてるということであったが、ぼくから、昼座のあとの夕方に総会、夜座は、懇親・交流会にしてはどうかと提案した。というのは、最近の東京は、新人も増えているが、宿泊の参加者は少なく、宿泊の懇親会に参加者が激変している。ぼくは、昭Img_3729_2_2和の男で古いのだが、呑みにケーョンがたいせつだと思っているのだ。今の仏青の皆さんにはこれはなかなか受けないのだが、人間、飲み食いをたり、一緒に寝泊まりしてもしてこそ、「裏もみて、表もみせて、散る紅葉」の味わいがあると考えている。その点、法座の優等生顔が増えて、ちょっと寂しい気分でいるのだ。また最近、法座から遠ざかっている方が、東京支部には多い。直接、聞いた訳ではないが、間接的にImg_3730_2は、批判めいたことをはなしておられる方もある。法の勧め方もあれば、ぼくに対するわだかまりやご批判もあるようだ。といてっも、すべて、間接的に聞いた話なので、直接、ぼくの耳には入ってはこない。せっかくなので、いいたいことがあれば、直接、ご批判なり、ご意見くださればいいというので、今回の交流会を提案したのだ。とはいっても、東京支部の主催。ぼくは直接関与していないので、参加者があるか、誰が来るのかは知らされなImg_3731かった。

 ところが法座に参加した全員が、総会にも参加され、そしてすべて(同人以外の方も含めて)が交流会にも参加してくださったのである。日頃、くだけた場で話したことのない方も交じっておられる。なによりも全員参加ということだけでもテンションがあがる。会場近くの中華料理の二階に集ったが、始まるなりどのテーブルもわきあいあいとした雰囲気である。しかもここは、貸し切りで、安くてボリュームもあり、2時間呑み放題という願ったり、叶ったりのお店だった。年代ものの紹興酒が何本も開いた。随分、盛り上がったし、法座ではみられないような明るい姿もみることができた。いろいろな方ともお話したし、何より皆さんもとても喜んでおられた。

 ご機嫌で、飲み助2名を2次会に誘った。すると、「なぜ、私達にも声をかけないの」と女性陣もゾロゾロとついてこれらた。気付くと宿泊者全員が集まっていた(支部長さんだけはお休み)。ぼくこのあたりで知っていた、ちょっとこじゃれたイタリアンのワインのお店に座っていた。ここでは、泡と赤を飲んで、門限ぎりぎりに帰った。さすがにぼくはダウンしたが、女性陣は部屋で遅くまで三次会もあったようだ。

 ただし、いまちょっと疎遠組の皆さんは、今回も不参加。ここはかなり残念だった。できれば、顔を合わせた上で、言いたいことがあるのならその気持ちやお考えを聞きたいとは思っていたが、その点では、参加が叶わずに残念ではあった。それでも、いま参加の皆さんのお気持ちがひとつになったという意味では大収穫。もっとも支部の総会はいろいろと課題があったようで、まとまるには少し時間が必要かもしれない。

 今回は、法座の内容ではなかったが、いい法座を作っていくには、お金や時間、人間関係も重要であるということだ。

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国東半島の神仏たち(6)~長安寺~

Img_3579  中世の六郷満山で最大の寺勢を誇っていたとされる長安寺へ。

   別名、“花の寺”と呼ばれている。いまは芙蓉が花盛り。しかし、雨である。参拝客は誰ひとりなくひっそりとしていた。収納庫も閉まってImg_3582いて呼び出しである。本堂でお参りしていると、お寺の方から「朱印帳ですか」と尋ねられたので、拝観をお願いする。お寺の組合?で決まっているのか、やはり拝観料はImg_3435300円也。

 収蔵庫に収められているのは、国の重要文化財でもある木造「太郎天」と二童子像Img_3584_2である。なんとも不思議な像だ。仏像? それとも神像? 解説によると、もともと修験道の守り本尊である“天狗神”を表しており、不動明王が修験の極致にある者の前に顕れる時に太郎天Img_3592の姿をしていると考えられていたという。ふ~ん、よくわからない。とにかく太郎天像は童子の姿をし、単純に神像とも、仏像とも言えない、不思議な像ではあるが、あんまり感激はない。

 あと、やはり重要文化財の銅板の法華経が保管されていた。本物は読みずらいが、複製のもので補完した。

 まあ、なんとなくこんなものかな~という保管庫だった。 写真は以下のブログで、、。

 http://www.city.bungotakada.oita.jp/page/page_03462.html

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国東半島の神仏たち(5)~富貴寺~

Img_3515_2 ここまで道路もよく整備され、お寺の間の間隔も思った以上に近くて順調に進んで、いよいよ富貴寺である。

定期観光バスが留まっていたが乗客は数名とまばら。清閑という言葉が相応しい、参道の細い階段を上っていくと仁王門があり、右Img_3574手の本堂をすぎると、お目当ての阿弥陀堂である。富貴寺大堂といわれているが、三Img_3526間四間なのでけっして大きなお堂ではない。それでも、九州では唯一の国宝の阿弥陀堂で、しかも現存する最古の木造の建築は平Img_3530安時代の後期のものだという。どっしりした安定感のあるたたずまいで、風格もある。銀杏が落ちて、あたりに匂いがただよっていImg_3570た。

 やはり雨のため、その門は堅く閉ざされ、重文(旧国宝)の阿弥陀如来坐像や浄土図の壁画は見ることができなかった。ただ拝観料Img_3551300円を徴集されないのは、かなり良心的である。内部はみられなくても、国宝のお堂をゆっりく拝ませてもらえたのはよかった。やはり境内には石塔や板碑がたくさん建立されていた。本Img_3537堂に、阿弥陀坐像のお写真があったのでカメラに収めた。

 お昼をすぎ門前の食堂は近所のおばちゃんたちが食べていたが、名物の椎茸飯と田舎汁を食した。

 素朴な味だがおいしい。お店のおばちゃんに、雨で拝観できなかったことを残念がっていると、「どうImg_3553せ横から眺めるだけで、よくは見えませんよ」と笑って、「それよりこれがよく分かるから」と親切Img_3572にパンフレットをくださった。ありがとう。

 内部は観れなくても、静かなたたずまいに満足し、次に向かった。
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≪↑実物は見られなかったが、本堂の写真で拝観≫

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国東半島の神仏たち(4)~元宮磨崖仏

  真木大堂を後に、今回のメーン富貴寺に向かう。Img_3498_2
 道中、右手に神社をすぎると、すぐ磨崖仏を見つけた。すぐに車を戻す。手元のガイドブックには出ていなかったので、もし道に面していなかったら、通り過ぎていただろう。大きな岩肌に、不動明王を中心とした5体の像が彫刻されている。
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 なかなか立派なものだが、ここまで拝観してきた仏さまは、平安時代(藤原時代)の作なので、室町時代となると時代は下がるが、それでも国の指定史跡である。写真は、不動明王。
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 最近(21世紀になって)磨崖仏を覆う堂が設置され、まだ真新しい。
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田染八幡神社の北側の岩壁に抉られた龕(がん=仏像をおさめる厨子)に、不動明王を中心とした5体の像が彫刻。不動明王の左側にはかって制咤迦童子があったと言われるが、現存していない。地蔵菩薩(声聞像)は他の像に比べて小さく、後世に付け加えられたものであるとされる。

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 せっかくなので隣の神社にも立ち寄る。田染元宮八幡社(たしぶもとみやはちまんしゃ).というそうだ。当然、八幡神社である。このあたりの古刹や神社は、宇佐八幡宮がもとになっているのだ。仏教の宗派では天台宗が大半。
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やはり神社でも仁王さまがおまつりされていたのが、特色的。

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国東半島の神仏たち(3)~真木大堂~

Img_3434   国東半島といっても、いつくかの市町村に分かれているが、このあたりは豊後高田市である。

  それにしても、のどかな田園風景。半日、国東半島の山間部をImg_3431回ったが、結局、一軒のコンビニも見かけなかった。自販機もそうそうない。日本の原風景でようだ。農業遺産の棚田もあるが、Img_3438稲刈りはこれからのところも。観光客も疎らで、誰とも会わないお寺も何カ所かあった。Img_3448真木大堂もそのひとつ。帰りに老夫婦に出会ったImg_3450だけだ。

 真木大堂は、六郷満山65ケ寺のうち最大の寺院であったいわれるが、今は衰退し、幻といわれる伝乗寺を継承しているといImg_3472う。しかし伽藍に往時の面影はないが、収納庫には立派な仏像群が安置されていた。御本尊の阿弥陀如来像は丈六の寄せ木造りの坐像Img_3481で、四天王が守護し(この組み合わせはなかなか面白い)、右手に不動明王と二童子(ただし福岡に出張布教中?)、左手に大威徳明王像。六面(お顔6つ)六臂(6本の手)六足という異形の明王で、水牛にまただっておられる。いずもに旧国宝(戦前)で、今は重Img_3478文だが、威風堂々とした、表情豊かなお姿は、文化力の高さを感じさせられのには充分である(ただし写真撮影は禁止。ガラス越しの拝観だった)。

 ひっそとしたかわいいお堂がImg_3487旧本堂だが、菊花の紋章がついていることからも、寺格の高さがしのばれる。

Img_3484_2 また国東半島の六郷満山仏教文化の特色として、多くの石仏、五輪塔、宝塔などの石j造の文化財を散見することができる。このお寺のお庭にも、(けっして古いものではないが)さまざまな仏塔類が安置されていた。ひとつひとつ見て回るだけでも、面白かった。ほんの少しだけご紹介。詳しくは左の写真の案内板で、、。

http://www.makiodo.jp/

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≪↑大威徳明王像。ポスターを撮影したもの≫

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国東半島の神仏たち(2)~熊野磨崖仏~

Img_3387_3 しめ縄のはった鳥居がある。み仏に会いに行くのだが、ここは熊野神社である。神仏習合だ。https://www.showanomachi.com/spots/detail/136

Img_3389 目の前に、石積の坂道が前に広がっている。なんでも、鬼が一晩で作り上げたらしいが、不規則に石が並ぶ。滑る石面を、傘を差しながら歩くのは注意が必要だ。途中から勾配がきつくなる。若い10名ほImg_3413どの団体とすれ違ったが、みなレインコートを来て手ぶらだ。かなり足元が危ない。

 まだ先まで石積みが続いている。どこまであるのImg_3411心配していたら、途中の左にお目当ての熊野磨仏が姿を顕した。

 国の指定史跡で、しかも重文である。なかなか立派なお不動さまと如来像である。45年も前に臼杵の大日如来の頭部を見た時は、予想外の小ささに拍子抜けしたが、こちらはなかなか立派な磨崖仏だ。不動明王Img_3404はユーモラなお顔。一方、大日如来は穏やかななかにも厳しいお顔に見える。大日如来の頭上には、種子(しゅうじ)曼陀羅(まんだら)の彫刻があるが、雨と紅葉でうまく映っていない。(詳しくは右の案内板で)

Img_3416 雨が強くなって、休む場所もない。まだ奥の院はあるが、連れ合いは脇目も降らずに降りだしImg_3418_2た。晴れていれば問題はなさそうだが、帰りはかなり危険。ぼくも右手に傘、左手に杖と両手がふさがっているで、手すりもつかめずに滑らないように注意して下りた。法座の帰路なので革靴だったので、こちらもたいへんだった。

 もし訪れる方は雨の日は注意のこと。レイコートや運動靴、スニーカー類がお勧めです。

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≪↑鬼が一晩で築いたと言われている乱積の石段≫
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≪↑不動明王像は、高さ約8メートル≫
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≪↑大日如来像は、高さ約6、8メートル≫

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国東半島の神仏たち(1)~胎蔵寺~

 無着先生のお住まいをあとに、国東半島に向かう。

Img_3429 国東半島の山間部には、独自に発達した神・仏習の仏教文化が花開いた。六郷満山といわれるのだが、幸い、明治期の廃仏毀釋で、仏像や寺院が破壊されることも少なかっのか、いまだに独自の神仏習合の文化や遺産が、素朴なまま残っている。これまでの何度も大分の観光地を観てきたが、地の利が悪い(車がないと難しい)こImg_3373ともあって、ここだけはご縁がなかった。

 地の利に加えて、もう一つ心配だったのImg_3372が天気だ。いちばんのお目当てのお寺は雨が降るとお堂の拝観ができない。ところが、残念ながら予報適中で、雨だ。しかもかなり強く降っている。がっかりしたが、下調べもしたので、時間内には出来る限り多Img_3374のお寺を見て回ることにした。

 道中、あちこちにお寺や神社があった。中でもImg_3380願成就寺の山門はなかなか立派だったが、ここはパスして最初に熊野磨崖仏に向かうことにした。急な石段があると聞いていたので、元気なうちにと考えた。

 細い山道を通って駐車場へ。熊野磨崖仏に向かう入り口の右手に、まずお寺があった。そこには「ここは別の宗教法人です。拝観料はいりません」と書かImg_3427れている。

 やはり六郷満山の五番札所で「胎蔵寺」。この先、神社でもお寺でも見ることになる、仁王立像がお出迎え。お庭の石仏たちには金箔が貼られている。東南アジアの仏教徒の作法のようである。やたら現世利益の案内がある。
http://taizouji.info/

  簡単にお参りをすませて、山道を登る。雨は降っているが、さほどキツイみちではない。ただやたらカニが道を歩いている。このあと、どのお寺でもカニと遭遇することになるが、ここではカマキリを運んでいた。ここまでは楽勝かなと思っていた。(つづく)

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ユーモア精神

Img_3363_2 2日間の法座が終わって、もう1日、別府温泉に泊まった。翌日は国東半島の仏さまを巡礼することにしていた。そしてもうひとつ連れ合いには会いたい方があった。2年前にも計画はあったが、地震キャンセルになったので、2年ごしである。

 別府温泉にお住まいの無着成恭師を尋ねた。東北の山形のイメージを強いが、最後は、国東半島にある曹洞宗の禅寺(九州総まImg_3364_2_2とめの寺)を建て直されていたからであろうか。

 今回は、連れ合い劇団でお世話になっており、特に、体調を崩された奥さまをのお見舞いをしたかったのてある。

 このあたりだろうとは予想していたが、なんと宿泊したホテルにほぼ隣接する場所にお住まいだ。ケアー付きの高齢者向けのマンションであったが、なんと地獄のど真ん中。目の前は白池地獄。ところが、朝は、連絡がうまくつかず、ちょうど出かけちれた直後。それならImg_3369と、電車に乗る前のわずかな時間でもと、夕方に再訪問した。

 生活綴りかたや山やまび学級という一世を風靡した独自の教育論を持たれた教育者として、またユニークな禅僧とてしも有名だ。何よりも、「子ども電話相談室」の名物回答者としても有名だ。

 もちろん、ぼくは初対面。たまたまお見舞いの娘さんをお見送り中だったが、マンションの受付女性をハグして、「ぼくの恋人です」と笑わせおられる。「母乳がでる穴はいくつあるか知ってる?」といきなり聞かれた。連れ合いが首を傾げていると、初対面のぼくにも尋ねられた。「さあ?」と答えると、「さっそく今晩、奥様のお乳で数えてね」といわれて、『おっぱい教育論』という新刊をくださった。

 ちょうど、奥様を看護士さんが観ておられたが、その横でも、「彼は浄土真宗の僧侶なので毛があるけど、ぼくはないやろう。もう毛(儲け)がないからや」と笑わせれている。いやいや、それを言うならぼくだって、かなり「もう毛(儲け)が薄くなってます」といわざるおえない。それにしても介護が必要な奥様とお住まいだか、まったくそんな暗さがない。九十歳をすぎられても、ユーモア精神で溢れたバイテリティー溢れたお姿には脱帽。勉強になりました。

 

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九州支部法座~一歩前に~

 初日の昼座。法話のあと、一言ずつの自己紹介がおわり、すぐにAさんと向かう。1年ぶりである。今回のご正客と定めていた方だ。昨年、初めてご縁を結び、ご示談となったが、とうとうお念仏の声がでなかった。そのことを1年間、ご本人は心にかけつづけておられた。ご高齢で、しかも喉頭ガンの治療もあって声が出にくい中での決死の参加である。

 最初から、「獲信させてもらいたい」とか、「ここで聞かせていただく」と、ありありと「ご信心が欲しい」と意気込んでおられる。でも、焦りは禁物だ。その言葉には乗らないで、「『聞きたい、聞きたい』というお気持ちはよく分かりますが、何を聞かせていただくのですか。褒美ばかり気になって、肝心のコースを走らないとゴールはできませんよ」と。でも、「何を聞くのか」と改めて問われると、しばらくは自分の欲しい気持ちばかりを述べられる。相手は高齢者である。相手のペースで、その都度受けながらも、「では、何を聞くのでしょう」と何度も聞き返す。やっと「ご本願を聞かせていただく」いう答えがでる。では、「ご本願とは何ですか」と問う。分かっているつもりでも、改めて問われると息詰まられたようだ。でも、与えられた答えではなく、ご本人の口から聞きたかった。もちろん、もし分からなければ、「お教えください」と頭を垂れて聞けばいいのである。自分に問われておられたが゛「阿弥陀様のお呼び声です」という答えが出る。

 では、「阿弥陀様はなんと呼んでくださっていますか。Aさんが阿弥陀さまになって、前に座っていると仮定したAさん自身に呼びかけてください」と。でも、これはなかなか難しい。主語が自分になられる。目の前にイスをおいた。サイコサラピーでいうところのエンプティー・チェエーである。なかなか高齢の方には難しそうだったので、ちょっと目に入ったSさんにAさん役をお願いした。この時、彼女は、「あ、私がでなければ」と思っていたのである。以心伝心であった。

 おかげで、Aさんもイメージをもちやすくなられたようだ。改めて、「阿弥陀様のなんと呼びかけてくださっていますか」と問うと、「アッ」と声に出していわれた。何かに触れられたのは確かだ。誰からが、代わりに声をだされたが、あえて制した。本人自身の声でないと、今は意味はない。そこで、「それを声に出してください」というと、「Aよ、直ちに来れ。今すぐこい」といわれたのである。目からはスーと涙が出ている。「そう! 汝一心正念にし直ちに来れ。我よく汝を護らん」とぼくも言った。そして、AさんよくのSさんに、「Sさん、今度は阿弥陀さんになって、今のAさんに声をかけて上げて」と頼んだ。一瞬、戸惑われたが、「ありがとう。よく聞いてくれた」と、頭を下げて、Aさんを拝まれたのだ。もうそれだけで充分だった。

 「さあ、Aさん、南無阿弥陀仏様にお念仏申しましょう」とお勧めした。下は冷たいタイルである。クツも履いたおられるし、第一、足もお悪い。お名号の前に、「まあ、仕方ないのでここに座られたら」とイスを勧めたが、なんとイスを避けて、お名号様の真ん前にクツのまま正坐されると、頭を床にすりつけて、「申し訳ありませんでした。勿体ない。南無阿弥陀仏」と懺悔されて、お念仏されたのである。ノドの具合がお悪いので、決して大声は出ないが、それでも精一杯のお念仏である。皆さんも、一緒にお念仏されて、この数年、関わり続けてくださっていた支部長のTさんも、本人以上に喜んで、共に並んでお念仏されている。

 もしかすると、ぼくは、もうAさんとは今生最後のご縁になるのかもしれないが、なんとも言えない尊いお姿に、共にお念仏せずにはおれなかった。まさに阿弥陀様の念力である。
 

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