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真宗カウンセリング成立(1)

 輪読法座が終え、すぐにレジャメを仕上げ龍谷大学の深草学舎に向かう。

 真宗カウンセリング研究会の月例会は、西光義敞著『育ち合う人間関係』を輪読中。9月で、第1章の「カウンセリングの手引き」が終わり、今月から「真宗カウンセリングの成立」に入った。各章は、それぞれ独立した冊子や論文である。かなり浄土真宗色が色濃く、仏教用語も出てくる。テーマが代わったこともあり、ぼくが担当した。一読しても分かった気がするが、レジュメにまとめ発表するとなると、何度も読み込まなければならない。けっして難解な論文ではない。しかし、これまでに使用例のない「真宗カウンセリング」の表現を使い、その成立の可能性を問う論文なので、ひとつひとつの言葉をいろいろな角度から検討されているので、混乱する箇所もある。それだけしっかり読まないと意味がない気がする。担当したおかげてあらためて学んだこともあった。ぼくにとっては、とてもタイムリーな論文なので、もし担当者が名乗り出ない時は、担当を続けてもいい。自分の勉強になるからだ。

 以下は、今回、読んだところの要旨。

一、仏教とカウンセリングの出会い
◎根本的な”問い”

 仏教=東洋、人間に関心を向け、「人間とは何か」を実践的に追求。仏教学は、人間学。人間が真に人間になる道を示す実践の体系。
 カウンセリング=西洋、人間に関心を向け、人間に関わる臨床対応。西洋を基盤に、人間理解をめぐる宗教・哲学・科学との長い豊かな歴史で育つ。
 つまり両者は、現代の精神状況の中で「人間とは何か」の根本的に問いに、具体的、実践的レベルで直接的にこたえることのできる有力な道だといえる。
 そして、両者(東洋の諸宗教(道)と、西洋の心理学・心理療法)の出会いは急速に進んでいる。しかしながら、欧米の心理学者からのアプローチが中心で、日本側からは乏しい状況だ。

◎浄土仏教と心理学・心理療法

 さらに、日本の仏教側からとなると、さらに不十分。
 中でも、浄土教と心理療法との関係になると、皆無に等しい。

二、真宗カウンセリング成立の可能性
◎「真宗カウンセリング」という言葉

 そんな中で、仏教・真宗とカウンセリングや心理療法の実践的な出会いから、新しい「人間援助の道」もしくは「援助的人間関係の実践体系」か創造できないか。それをかりに「真宗カウンセリング」と名付け、その成立の可能性を探るのが、本稿の趣旨である。

 まず、先行する研究としては、藤田清氏の「仏教カウンセリング」があげれらる。
 藤田氏は、仏教は本来カウンセリング体系である。指示的でも非指示的でも、折衷でもない、縁起的中道的態度をとり、「相談仏教」と名付けて、カウンセリング界を批判した。しかし、十分な検討も評価もされていない。それでも先駆的な問題提起を敬意を払いたい。

 それに対して、「真宗カウンセリング」は、1961(昭和36)年「真宗カウンセリング研究会」創立に始まる。もともとは、「真宗者の行うカウンセリング研究の会」であったが、「真宗カウンセリングを研究する会」と理解されて、継続されてきた。それでは、「真宗」と「カウンセリング」の出会い、関係を理論的・実践的にどう捉えるのか。 

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