『カレーライスを一から作る』~最近見たドキュメンタリー映画(1)~
最近、面白いドキュメンタリー映画を立て続けに観た。すべては無理でも、少し紹介していきたい。
『カレーライスを一から作る』といっても、別にカレーライスの作り方を教えるわけではない。ほんとうにすべてを一から、自家製で作っていこうという武蔵美(美術系の大学)のゼミを9ケ月間、追いかけたドキュメヘンタリー。ユニークな先生は、医者であり、探検家でもあるでもある関野吉晴氏。これまでさまざまな身をかけた体験をされている。
一から作るというのは、コメや野菜だけでない。スパイスや塩、もちろん肉に、食べるお皿やスプーン(ここは芸大なので専門か)まで、一から作るというのである。
いちばん時間がかかったのが、スパイス類。案外、時間がかからなかったのが、塩だった。野菜やコメだって、思い通りには進まない。それでもいちばんたいへんだったのは、やはり肉だ。四つ足(ブタやウシなど)の動物は、日本では勝手に屠畜できない法律があるので、二本足(つまり鳥類)を育てるということになった。でも、これだけは卵からというわけにもいかないので、ヒナから育てることになった。選ばれたのは、ダチョウである。ダチョウの肉には馴染みないのだが、昔、若狭で子ども大会を開催したとき、会場が農園ということで、宿泊した農機小屋の二階の隣の広場で、ダチョウが飼育されていたことを思いだした。
ダチョウは、とても神経質で、怖がりなので、育てるのが難しいという。ちょっとした物音に驚きパニックになり、走り回って壁に激突して死ぬそうだ。ある程度、事情の分かるところで飼ってもらうが、やはりすべて死んでしまう。ついて、ホロホロドリと烏骨鶏を飼育することになった。ペットと家畜は違う。がどこかペット化すると、やはり最後に卵を埋めるようになった鳥を、「殺す」「殺さない」の話になった。でも、自分達の手でシメテ、捌くことになる。この捌くシーンがひとつのメーンであろうか。
そして試食。食べるということは、他の命を奪うということ、私が生きるというとは、その連続でしかないということ。それにしても、もともと単純だったものが、さまざまなプロセスをへ、専門化され、複雑になりすぎて、逆に生きものの命を奪っているといういちばん肝心な点が見えなくなっている。そうすると、生きることが命を奪って食べることだという事実が分からなくなると、そのいのちの犠牲の上にある私の命までも希薄となり、結局、生きる意味もきれいごとになるのではないかと思った。
ちなみに映画が、単行本にもなってます。
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