ビハーラ実践と仏教カウンセリング~「法然上人の一百四十五ケ条問答」に学ぶ~
『選択集』購読に引き続き、休憩なしで、今度は2時間のカウンセリングの実践を受講する。
1、2回目の講義を知らず欠席したのが惜しまれる。今回はその4回目。~「法然上人の一百四十五ケ条問答」に学ぶ~と題しているが、ほぼ講義はない。簡単な説明のあと、法然上人が受けれた3つの問いを、現代風にアレンジして、パネラーが自分の立場で答えを表明し、参加者もそこに加わって議論を深めていくというのである。予め決められた問いと、立場のことなる3つ答えが用意されているが、それを聞いた上で、参加者がパネラーになってディスカションをし、より深く、また多角的に問題を掘り下げていくというのである。
参加者は少なめで、皆さん遠慮がちだったので、積極的にパネラーになって前に出た発言した。議論していく内に、どんどん深まって、要は、現代に生きる僧とは何か。何もって宗教活動をするのかという本質的な姿勢が浮き彫りになてきた。ぼくも、浄土真宗という立場を表明しつつ、かなりつっこんでことを遠慮なく発言されていただいた。またそのことで、質問が出たり、反論がでて、それを深めていった。
とにかく面白かった。座学ではなく、ロールプレイの実践は、かかわりによって深い学びを生み出す。僧侶や大学教授の地位のある方は、一方的に知識を教えたがるものだ。それだけの経験や学びあると、確かに豊かな話題を聞かせていただくので、それもまた有り難いし、勉強になる。でも、いちばん、力がいるのは、参加者も交えた実践にある。一見、先生が手抜きというか、楽そうに見える。でも、実は、講義や法話は、こちらが用意をして一方的に話せばいいので、ある意味では楽だ。逆に、共に生み出していく歩みは、そこで何がでるか分からないので、常に真剣勝負にさらされる。ましてや、みんながイキイキした集いを造るのには、すごく力用がいる。先生が何もしていないように見えて、深まっていくグループほど、実はそれだけの促進者の器量や経験が必要なのだ。
講師の奈倉先生の受容的な姿勢に学ばせていただくこと大である。終了後、いろいろとお話をさせていただいたが、大学の前に住んでおられたので、ぜひ真宗カウンセング研究会でも、ご指導いただきたいと願った次第である。
来月からは、別講師の「真宗カウンセリング」の実践が始まる。こちらも楽しみである。
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