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『選択本願念仏集』~ただ念仏の行者を摂取したもう~

 今日は、仏教大学の四条センターでの講義を連続して受ける。

、まずは、『選択本願念仏集』の購読である。前回で、大経攝要が終わって、今日から、「観経攝要」(七、八、十、十一、十二章)に入り、第七章の「光明ただ念仏の行者を摂する」の篇。

 「弥陀の光明、余行の者を照らさず、ただ念仏の行者を摂取したもうの文」で、
『観無量寿経』の第九真身観、そして善導さまの『四帖疏』の「三縁の文」と同じく『観念法門』が引用され、それを受けた法然さまの私釈段が、問答形式で述べられているのだ。

 如来の光明は念仏者のみを照らして、余行のものを照らさないのかというと、まず一つは善導「三縁の文」から。三縁とは、親縁、近縁、そして増上縁である。もうひとつは、それが本願だがらというのである。念仏が本願であるから照らして、摂取不捨される。「本願最も強(こわ)し」である。 

 ところで、本願とは、根本の願なので「本願」というのだが、浄土宗では、願いが成就したその本(もと)の願なので「本願」という説明だった。三縁のところでもそうだが、ちょっとの違いが面白かった。

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