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壮年の集い雑感

今回の壮年の集いは、いままでにない雰囲気があった。

 ひとつは台風接近で落ち着かない人がでたことだが、これは状況の問題なので致し方ない。

 もうひとつは、昔の仏青や壮年メンバーたちが数年ぶりに参加されたこと。特に、ぼくのグループは仏青の同窓会メンバーが多くて不思議な気分になった。「学生時代、AさんとBさんの3名で、聞法の集いのあと七条大宮のカフェでお茶したなー」と、ほんとうに忽然と思い出したりもした。なぜか、その時の話の内容も少し甦ってきて、Aさんの心境があまり変わっておられないことに気付いたりもした。もっとも、他の方は覚えておられなかった。

 懐かしい人もあったが、大半はご縁が短い方(5年以内)が主流。そのせいか分級座談会で大人しいくて、ちょっとお通夜の雰囲気。緊張もあったのだろうが、どのような話題をだせればいいのか戸惑っておられるように思えた。教義の質問だったり、有り難いことをいわねばならないと思っておられるのだろうか。ただ、壮年の集いの原点は、子育て、介護、仕事や地域の人間関係、要は多忙同世代の方々が集って、じっくりと仏法を語り合うという趣旨でスタートした。その意味では、10名程度の少人数、そして同じ顔ぶれで、じっくりとという条件は揃ったが、なかなか深まるところまでには至らなかったのは残念。

 そして最後は、原点に戻って聞かせていただこうということを再確認した。ご法話にしても、分級座談会にしても、法の勧め方は、果たして伊藤先生や増井先生のみ教えを、「如是我聞」と継承させていただいてるのだろうか。今回の巻頭言のテーマにしたが、分級座談会の質問から、僕自身にも火がついて、かなりはっきりとお伝えさせてもらった。いつのまにか、仏様の願いを聞くことが前面にで、求道者や息詰まっている方にすぐにお念仏を勧めたり、「とりあえずお念仏」では、まるで浄土宗の亜流に成り下がってはいないか。
 後生の一大事と自他力(信疑)廃立の原点を問うご法話もさせていただいたが、ここはこれからも外さずにお伝えしていきたいところだ。

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