『標的の島~風(かじ)かたか』
以前、お東の九条の会で講演を聞いた三上知恵監督作品。『標的の島~風かたか~』は、高い評価を獲ている『標的の村』(キネマ旬報ベストテン文化映画第1位)『戦場ぬ止め』(キネマ旬報ベストテン文化映画第2位)に続く第三弾だ。
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鑑賞中も、鑑賞後も、なんとも言えぬやり場のない感情が沸き上がってくる。悲しみのようでもあり、怒りのようでもあり、絶望的な無力感でもあるのだか、そのものではなく、なんとも形容し難い痛みに襲われる。
あまりにも理不尽なのである。でも、その一端を造っているのは、まぎれなくいまの私達であることも事実だ。民主主義とは何か。正義とは何か。そして、ほんとうの軍隊は誰が、誰を護るのか。標的の島とは、沖縄のことかと思っていたら、そうではない事実に驚愕するしかない。
『ハクソーリッジ』が72年前の沖縄での日米戦争であったなら、それは今もまた形を変え日米の正義の名のもとでの理不尽が沖縄の人達を苦しめているという「事実」に目を背向けてはならない。
詳細のストーリーは、なんらかの機会でぜひご覧いただきたいのでここでは触れない。ただ声だかな反戦映画ではなく、沖縄の豊かな文化や風習も随所に現れ、どこか未来への希望もある映画だった。最後に、このタイトルの~風(かじ)かたか~ということについてだけ監督の言葉から触れておこう。
2016年6月19日、過去最も悲しい県民大会が那覇で開かれた。炎天下の競技場を覆い尽くした6万5千人は、悔しさと自責の念で内面からも自分を焼くような痛みに耐えていた。二十歳の女性がジョギング中に元海兵隊の男に後ろから殴られ、暴行の末、棄てられた。数えきれない米兵の凶悪犯罪。こんな惨事は最後にしたいと1995年、少女暴行事件で沖縄県民は立ち上がったはずだった。あれから21年。そのころ生れた子を私たちは守ってやれなかった。
大会冒頭に古謝美佐子さがの「童神」が歌われる。(略) 被害者の出身地の市長である稲嶺進さんが歌の後にこう語った。「今の歌に『風(かじ)かたか』という言葉がありました。私たちはまた一つ命を守る風除け-『風(かじ)かたか』になれなかった」。とう言って泣いた。会場の女性たちも号泣した。
できることなら、世間の強い雨風から我が子を守ってもりたいというのが親心。でも、どうやったら日米両政府が沖縄に課す残酷な暴風雨の防波堤になれるというのか。勝算はなくても、沖縄県民は辺野古・高江で基地建設を勧めるトラックの前に立ちはだかる。沖縄の人々は、未来の子供たちの防波堤になろうとする。
一方で日本という国も今また、沖縄を防波堤にして安心を得ようとしている。中国の脅威を喧伝しなが自衛隊のミサイル部隊を石垣・宮古、沖縄本島、奄美に配備し、南西諸島を軍事要塞化する計画だ。その目的は南西諸島の海峡封鎖だ。だが、実はそれはアメリカの極東戦略の一貫であり、日本の国土もアメリカにとっては中国の拡大を封じ込める防波堤とみなされている。
この映画はそれら三つの「風かたか」=防波堤を巡る物語である。
(公式パンフレットの「ディレクター・ノート」より)
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