お盆の思い出
華光会館でのお盆のお参り。
予定していた家族が急にキャンセルで、うちの家族とTさんだけ。例年は盆休み中のTさんは、会館でのお盆は初めてだという。
勤行を覚えたのも、「正信偈」よりもお盆の「阿弥陀経」が先だった。
初めてご示談を受けたのも、小学校5年生のお盆の時。父は、その日の予定を取りやめている。
その後、父に付いてお盆参りもした。中学生になると2軒のお家だけひとりでお参りもした。子供だったので可愛がってくださった。お勤めを終え、他のお参りに回ってから迎えにくる父を待って、茶の間でジュースを出してもらって、テレビをみせてもらっていた。2軒のお宅とも、引っ越しされて、何十年も前に音信不通だ。
華光会館での盆参は、脇について、ずっと節柝を担当した。導師をするようになったのは、亡くなる3年前のことだ。
そして、父は、襦袢が肌につかないようにと、籐製の(つまり木だ)下着(?)を着るのが夏の風物詩だった。それでも大汗をかいて帰ってきた。これは晩年になっても、同じ光景。でもこの習慣は継承していないが、同じように盆参りは続けている。
なぜか、お盆は、母は一つもなく、父との思い出が詰まっている。
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