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四十八願のこころ(14)~二十三~二十七願

  たとひわれ仏を得たらんに、国中の菩薩、仏の神力を承けて、諸仏を供養し、一食のあひだにあまねく無数無量那由他の諸仏の国に至ることあたはずは、正覚を取らじ。(第二十三願・供養諸仏の願)
 たとひわれ仏を得たらんに、国中の菩薩、諸仏の前にありて、その徳本を現じ、もろもろの欲求せんところの供養の具、もし意のごとくならずは、正覚を取らじ。(第二十四願・供養如意の願)
 たとひわれ仏を得たらんに、国中の菩薩、一切智を演説することあたはずは、正覚を取らじ。(第二十五願・説一切智の願)
 たとひわれ仏を得たらんに、国中の菩薩、金剛那羅延の身を得ずは、正覚を取らじ。(第二十六願・得金剛身の願)
 たとひわれ仏を得たらんに、国中の人・天、一切万物、厳浄光麗にして、形色、殊特にして窮微極妙なること、よく称量することなけん。そのもろもろの衆生、乃至天眼を逮得せん。よく明了にその名数を弁ふることあらば、正覚を取らじ。(第二十七願・万物厳浄の願)

 前回で二十二願を終え、一山超えたといっていい。二十一願からは、浄土に生まれ仏にとなった者に対するお誓いとなり、その中心は、第二十二願の還相廻向の願なのである。それに続く二十三願からは、還相廻向のおこころから展開していく。そのうち二十三~三十願は、主に浄土の菩薩方に対しての誓願となる。
 まず浄土の菩薩が、一度食事をするほどの短時間に、十方の国々に赴いて無量の諸仏方を供養出来(第二十三願・供養諸仏の願)、それがどのような希望であろうとも、自由自在に供養できるようにしよう(第二十四願・供養如意の願)。もちろん、それらはすべて阿弥陀仏のお力によるものだというのだ。
 さらに、浄土の菩薩は、すべての真実を演説し(第二十五願・説一切智の願)、金剛力士のような力強い体をもち(第二十六願・得金剛身の願)、また国中のものが用いるものすべてが、清らかで美しく輝き、到底はかることができないものにしよう(第二十七願・万物厳浄の願)という誓願なのである。

 その後も、浄土の菩薩方への願いや国土の荘厳についての誓願が続きますが、すべて還相の菩薩のお徳と窺えます。

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