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2017年7月の24件の記事

蕎麦の名店と筥崎宮

Img_2672 箱崎のY家のすぐ近くに隠れた蕎麦の名店がある。住宅街の中にあってわかりづらいのに、正午前には行列ができる。他県ナンバーの車まで来ている。ぼくは蕎麦が食べられないのだが、ここは天丼も名物。お安くはないが御馳走になる。

Img_2647 そして観光名所もある。筥崎宮である。例年、その前を通りながら、一度も行ったことがなかった。もちろん神社には用事はない。これを強調しておかないと邪魔くさい人がおられる。以前、Img_2649京都岡崎の平安神宮の大鳥居(京都市美術館前と写る)の写真がブログに乗っただけで、「無碍の一道にもほどImg_2655がある」という抗議をいただいた。無碍の一道に「ほど」があるのには驚いたが、こんなところがたいへん気にImg_2660なる方がおられる。某会で洗脳された方々だろう。

Img_2662 夏越祭で、屋台が出で賑やかだ。
 実は、この神社で,ぜひみたいものがあった。一つは、亀山上皇像。しかし、お目当ての高村光雲作ではないので、これはまたのお楽しみ。

Img_2665  もうひとつが、楼門にある宸翰(天皇の書)である「敵国降伏」の扁額だ。蒙古襲来の昔に戻るが、亀山上皇が元寇の戦勝を祈願し奉納したものである。このあたりは最前線に近い。

   第二次世界大戦末期、これが切手のデザインにもなるが、結局はぼろしの切手で終わる。戦後はGImg_2648HQによって発禁になるが、アメリカ兵がお土産に持ち帰ったとか。日本降伏の戦勝記念とは、皮肉なことである。

 午後の法座に間に合うよう、急いで戻ったが、それにしても暑かった。 
 

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三周忌法要法座で御聞かせ頂いたこと

 一昨年8月7日に往生した父の三回忌法要を営む。三回忌からは一年繰り上がるので、2年がたったことになる。正直、もうかなり昔の出来事に感じている。

 法供養としたので、同人の方も遠近各地から集ってくださった。平日にも関わらず福岡や金沢、豊岡の方もあった。

 正信念仏偈をお勤めした後、ご法話をいただく。単なる父を偲ぶことや思い出に留まることなく、いまの私の法座に対する有り様を指摘くださるご法話をだった。
 今日のお西の法話の流れは、「やさしい法話、わかりやすい法話」を目指しているという。しかし、ほんとうにそれだけでいいのか。「自信教人信」のとらえ方一つでも、千差万別。成っていない自分なので「教人信」と働くことで、そのうち薫習されて、(徐々に)信じる身となるというとらえ方まであるという。しかし「後生の一大事」や「自他力廃立」は、いくら言葉をやさしくて頭で理解したとしても、分かることではない。いまは、真宗の厳しさ、難しさの面は語られることが少なくなった。そこから、自力や「惑・業・苦」などの問題に触れられたご法話。

 そして最後に、この法座だから話したいと、法座に望む態度というか、私が法の上で大切にせねばならない事柄を列挙くださった。

まずは、聖教に親しみ、学んでいくこと。

次ぎに、「仏法のまこと」をストレートに伝えること。ダイヤの鑑定士は、ホンモノのダイヤを見分けるためにホンモノと偽ダイヤを比較はしない。ホンモノの輝きだけに触れていくと、偽物が偽物と自ずと分かるという。

それには人間関係ができていることが重要。法の友を、今生の対人関係のように好き嫌いで語り、「あの人がいるから法座にでない」という態度は、結局、仏様を傷つけていくことになる。

そのためには、念仏者といえども煩悩具足の凡夫には変わらないが、そこに腰を据えず(甘えず)に、自分のありように厳しい目を向けること。

そして、仏法を多くの人と語り合うこと。同人・法友と触れることで、「寂しそうにしているな」とか「うれしいことがあったのかな」などの配慮もできるようになる。

しかし、仏法はただご縁で終わっていてはダメ。その一歩先に進まねばならない。

 ぼくなりの表現も交じってはいるだろうが、我が身に振り返ってみると耳が痛い。真宗は在家止住。対人関係の中で我が身を聞かせていただく教えだ。しかし、我が身を棚に上げて、すぐに目を他人の「善し・悪し」に向いていく。それを法座に持ち込むことは、結局、仏様を傷つけることにならないかというお言葉。厳しい一言。

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四十八願のこころ(14)~二十三~二十七願

  たとひわれ仏を得たらんに、国中の菩薩、仏の神力を承けて、諸仏を供養し、一食のあひだにあまねく無数無量那由他の諸仏の国に至ることあたはずは、正覚を取らじ。(第二十三願・供養諸仏の願)
 たとひわれ仏を得たらんに、国中の菩薩、諸仏の前にありて、その徳本を現じ、もろもろの欲求せんところの供養の具、もし意のごとくならずは、正覚を取らじ。(第二十四願・供養如意の願)
 たとひわれ仏を得たらんに、国中の菩薩、一切智を演説することあたはずは、正覚を取らじ。(第二十五願・説一切智の願)
 たとひわれ仏を得たらんに、国中の菩薩、金剛那羅延の身を得ずは、正覚を取らじ。(第二十六願・得金剛身の願)
 たとひわれ仏を得たらんに、国中の人・天、一切万物、厳浄光麗にして、形色、殊特にして窮微極妙なること、よく称量することなけん。そのもろもろの衆生、乃至天眼を逮得せん。よく明了にその名数を弁ふることあらば、正覚を取らじ。(第二十七願・万物厳浄の願)

 前回で二十二願を終え、一山超えたといっていい。二十一願からは、浄土に生まれ仏にとなった者に対するお誓いとなり、その中心は、第二十二願の還相廻向の願なのである。それに続く二十三願からは、還相廻向のおこころから展開していく。そのうち二十三~三十願は、主に浄土の菩薩方に対しての誓願となる。
 まず浄土の菩薩が、一度食事をするほどの短時間に、十方の国々に赴いて無量の諸仏方を供養出来(第二十三願・供養諸仏の願)、それがどのような希望であろうとも、自由自在に供養できるようにしよう(第二十四願・供養如意の願)。もちろん、それらはすべて阿弥陀仏のお力によるものだというのだ。
 さらに、浄土の菩薩は、すべての真実を演説し(第二十五願・説一切智の願)、金剛力士のような力強い体をもち(第二十六願・得金剛身の願)、また国中のものが用いるものすべてが、清らかで美しく輝き、到底はかることができないものにしよう(第二十七願・万物厳浄の願)という誓願なのである。

 その後も、浄土の菩薩方への願いや国土の荘厳についての誓願が続きますが、すべて還相の菩薩のお徳と窺えます。

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広島支部法座in安芸高田篇~迷う~

例年7月は、安芸高田市のYさん宅での広島支部法座だ。

Img_2571広島駅からYさん宅の家業であるジャンポタクシーで迎えがある。10時、新幹線口タクシー乗り場に集合。駅前が改修工事中で、これまでの集合場所が変更になった。迎えの車が目立つので、そこに行けImg_2570ば大丈夫だろうと思っていた。ところが、広いタクシー待合場はガラーンとしている。一望できる2階デッキから眺めても、ジャンポタクシーはどこにも見当たらない。当たりを探し回る。出口を間違えたのかと、昨年まので場所に出向くも、誰もいない。こんな時にケイタイがない者は不Img_2590便だ。タクシーよりも公衆電話を探すのも難しい。

30分は経過した。ここで気がついた。ぼくがいる場所はタクシー降り場で、奥にタクシー乗り場がある。もちろん、そこにもお目当てのタクシーはないし、同乗する同人の方もおられない。もしかして時間を間違えた? 日時を間違えた? いやもう出発した? と不安になって思案をしていると、お声をかけてくださる方があった。ヤレヤレだ。しかしその方もImg_2577お一人で、皆さんはどこにおられるのか? 

タクシーが入場できる時間が限られていて、屋上の駐車場で待機中なので、皆さんを屋上に誘導されていたというのだ。世話人のHさんは、心配していろいろと電話しておられたようだ。ご迷惑をおかけしました。乗車タクシーが分かってばかりに、不要に探してしまってこんなことになった。

Img_2564と同時に、自分が迷っていることが分かっているから、不安になることよく分かった。迷うとは、しっかりした目的や目標が前提になるからだ。その目標を見失うと心配にもなる。これで正しいのかと不安になる。ということは、目標もなく、行く先も分からない身には、迷っているという自覚すらないということになる。迷いを迷いと知らないということが、無明というのだろう。凡夫のわたしの姿そのもの。なかなか仏法を聞く身にならないはずである。

40分ほど遅れたが、昼食や法座は時間どおりに進んでよかった。

お庭には、いまは蓮が花盛りである。例年より1~2週間遅いだけで見事に咲いていた。
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〈駐車場の軒下にはツバメ。一人立ちはもうすぐ〉
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〈古い巣は、荷物伝ってヘビが上がってきて、親鳥が宿替え〉
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〈見事な自家製野菜のお土産付〉
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大阪支部・京都支部合同法座

  大阪支部と京都支部との合同法座が開かれる。日頃から、大阪支部法座に京都の方がお参りされ、京都法座にも大阪の方がお参りされるので、特に支部間の意識はほとんどない。それはメリットでもあるが、弱みでもある。地元の方は支部意識が低くい。支部法座がなくても、聖典講座や輪読法座、日礼と、近い華光会館で行事があるからだ。でも今日は、京都支部法座だかと珍しくお参りさている方がある。お声かけがあったからだ。ただ合同法座といっても、人数はそれほど多くなかった。もう一つ、せっかくの合同法座だったが、そこを意識することなく、いつものように進行してしまったことは、残念だったといえば残念だ。

  法話は、北海道聞法旅行で味わったことが中心。ところが、お参りの中に参加者ないので、うまく共有できなかった。スライド(写真)を観てもらったが、今回の旅は、実際に現地に立ち、講師の話をお聞きし、この身で味わわなければ、なかなか理解しがたい部分があるのだろう。別のテーマでの感想が続いたので、やはり伝えたかったことは浮いたまま終わってしまったようだ。これも反省だ。

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『阿弥陀経』(6)~正報(阿弥陀仏の荘厳)

 伝道研究会から4日連続で、法座(講座)や勉強会が続いた。6月が休みだった関係で、7月は聖典講座が2回ある。
 
 正宗分(本文)が三段落されるうちの、第一段目で、極楽と阿弥陀仏の荘厳が説かれる。また三つに分けられるうちの、阿弥陀仏の荘厳である。

一、まず、浄土の主である阿弥陀仏を褒め讃えられる一段である。

 釈尊が、「舎利弗、於汝意云何、彼佛何故号阿弥陀」(舎利弗、汝が意(こころ)に於いていかん。彼の佛をなにがゆえぞ阿弥陀と号する)と舎利弗に問いかけられる。四つある問いかけの三番目だが、例によって舎利弗尊者は沈黙されたままで(沈黙で答えられた)、釈尊自らが一方的に答えられる。無問自説経といわれる所以である。

 では、何故、阿弥陀仏と申されるのか。それには2つの意があるという。
 まずは、光明無量(ひかり)の故に、阿弥陀と号する。光明は無量で、十方の世界を照らして障碍するところがない。
ここでは、阿弥陀仏の十二光(『無量寿経』29頁)・無量光仏(光明は無量にして)、無辺光仏(十方の国を照らす)、無碍光仏(障碍することなし)の最初の大切な三つが出されて、阿弥陀様の光明のお徳を讃えておられる。
 
 次いで、寿命無量(いのち)の故に、阿弥陀と号する。
その寿命も無量である。また往生人の寿命も、無量である。自らが寿命無量の仏となられるだけでなく、極楽に生れた者も寿命無量で弥陀同体である。その故に、阿弥陀と号する(申される)のだと、釈尊は説かれた。
 そのことは、『無量寿経』第12願光明無量の願、第13願寿命無量の願、第15願眷属長寿の願に誓われたとおりである。

 ちなみに、阿弥陀は、サンスクリット語の「アミタ」の音写。「ア」は否定、「ミタ」は「量ること」。つまり量ることができない、無量という意味である。つまり。
「アミタ」に続き「アーバ」(光明) アミターバ -光明無量
「アミタ」に続き「アーユス」(寿命)アミターユス-寿命無量

 ところで、善導大師は、『観経』(第九真身観・摂取不捨)と合一して、独自の名義釈(阿弥陀様の名前の意味を解釈される)を展開されている。
「問ひていはく、なんがゆゑぞ、阿弥陀と号(なづ)けたてまつる。答へていはく、『弥陀経』および『観経』にのたまはく、かの仏の光明は無量にして、十方国を照らすに障碍するところなし。ただ念仏の衆生を観そなはして、摂取して捨てたまはざるがゆゑに阿弥陀と名づけたてまつる。彼の仏の寿命およびその人民も無量無辺阿僧祇劫なり。ゆゑに阿弥陀と名づけたてまつる。」(『往生礼讃』七祖篇・662頁)

 さらに、阿弥陀仏は成仏以来、今に十劫を経たと説かれる。
『無量寿経』「成仏よりこのかた、おほよそ十劫を歴たまへり」(28頁)

 正宗分の冒頭で「今現在説法」とあるように、遥か十劫の昔より、今、現在に至るまで、南無阿弥陀仏と喚(よ)びづめでおられるのである。しかもそれだけではなく、阿弥陀さまは、「弥陀成仏のこのかたは いまに十劫とときたれど 塵点久遠劫よりも ひさしき仏とみえたまふ」(『浄土和讃』566頁)とあるように、久遠仏でもあるのだ。

二、次いで、阿弥陀仏に従う極楽の聖衆について語られる一段である。

阿弥陀仏には、無数の声聞の弟子がいて、阿羅漢のさとりを開いている。また菩薩衆においても、同様である。(声聞=自利、菩薩=利他の代表、自利利他円満の味わい) 阿弥陀仏の国はこのような麗しい姿で荘厳されていると述べられる。

三、次いで(現代語版では【五】)、極楽に生れた者は、阿?跋致(梵語・アヴァーイヴァルティカ・阿?跋致迦)すなわち初地・不退転地に住する。その中には、一生補処の菩薩も無数におられると説かれている。

 経文の当面は、「浄土に往生して不退転を得る」と見えるが、聖人は、「浄土ではなく、この世で獲信の端的に浄土往生が決定の身となるので、この世において不退転を得る」と、現生正定聚として頂かれたのは、『唯信鈔文意』(703頁)などに見ることができる。

以上で、正宗分の第一段で、極楽と阿弥陀仏の荘厳を終えて、次回からは、では、その極楽にはどのようにして生れることができるのか、その御利益はなにかという、一番の要のお説法が始まるのである。

 8月はお休みなのて、次回は、9月3日(日)昼1時30分。皆さん、どうぞご参集ください。

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真カ研「交流の集い」

 真宗カウンセリング研究会は、ここ数年、会計の問題でゴタゴダが続いていた。痛みも伴う部分もあったが再出発をすることにした。
 「交流の集い」と称した集いを持つ。主なメンバーがだいたい揃い、新加入の方も2名、元会員も2名の参加がある。外部からの参加はなかったが、こじんまりとしたいい集まりとなる。四名がそれぞれのところを発表する。「棚卸し」として称して、これまでのカウンセリングとの出会いと、いまの居所を確認するお話をくださる。

 またD-pcaを理論的に押さえてくださるお話には、改めていろいろと教えられた。最近の研究会は、真宗カウンセリングの原点であるロジャーズのカウンセリング理論を学ぶ場となっているが、この研究会の独自性である「真宗カウンセリング」について深く掘り下げる時機がきているような気がした。ぼくも、真宗カウンセリングの特色の一つである、二重関係(二重構造)に関することをお話させていただいた。要は、真宗カウンセラーの態度として、相対的次元と絶対的次元の二重性があることが特色だが、二重ではなく一重で十分成り立つのではないかという反論の論文も発表されている。しかし、この二重関係であってこそが、ダイナミックで、かつ融通性のある真宗カウンセリングが展開できるのではないかと考えているのだである。

 その後の臨時総会や懇親会も楽しかった。参加の皆さんにもいろいろと刺激になったようで、10月以降の月例会では、『育ち合う人間関係』のなかの「真宗カウンセリングの成立」の章を読む進めることが楽しみである。

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『教行証文類』の輪読会

 前回は顔合わせで、今月から中味に入る。龍大大学院ドクターで学ぶYさんと「総序」を読む。教義的な問題点というより、ここはじっくり味わいながら読ませていただく。弥陀の本願に出遇った聖人の喜びと深いおこころが滲み出る文章である。

 講本によっては、微妙だか、科段(段落分け)が違う点もあって、そのあたりの比較も面白かった。ただ、そのことで全体として見失うことがあるわけではないので、ここは、ぜひ、最後まで読み終えた暁には、もう一度、味読させていただこうと思っている。

 

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7月の伝道研究会~平生業成~

 伝道研究会で「真宗の基礎」安心篇を学ぶのも、あと数カ月となった。得益篇(安心の価値)に入って、今月は「平生業成」である。親鸞さまは、直接「平生業成」という用語を使ってはおられないが、浄土真宗の教義の独自性を示すものである。

 「平生業成」の「平生」とは臨終に対する言葉で、「業成」とは業事成弁、もしくは業因成就の略である。つまり、私の往生は、平生の信の一念の時に決定するのであって、臨終を待つものではない。臨終を待ち、来迎をたのむのは諸行往生の人にいうのであって、真実信心のものは、その一念の端的に、摂取不捨の利益をたまわり、この世で正定聚不退の位に住するのである。だから、親鸞さまは「臨終まつことなし、来迎たのむことなし。信心の定まるときに往生また定まる」と(『消息集』第一通)と断言されているのだ。

 今日の浄土真宗でも、この平生業成の立場を強調している。臨終も、来迎もたのまないのである。しかし、「信心の定まるときに往生また定まる」の「信心の定まるとき」というところは、たいへん曖昧なまま誤魔化されている。覚如さまのいう「平生のとき善知識のことばのしたに、帰命の一念を発得せば、そのときをもって娑婆のをはり、臨終とおもふべし」が通じるか、通じないかである。信心が定まるときとは、「平生のとき善知識のことばのしたに、帰命の一念を発得する」ときにほかならない。そのときが、娑婆のをはり、臨終なのである。つまり、私の迷いの根源である自力の心が死ぬ時なのだ。しかし、三度の飯がうまいうちにこの葬式をすませたと言い切れる真宗念仏者が、余りにも少なくなった。その味がないのなら、「平生業成」も単なる言葉の上だけの喜びで終わってしまうのだ。どんなに「有り難い、有り難い」と言っても、いちばんの要が喜べないとは、なんと寂しいことか。

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祇園祭・前祭の山鉾巡行

 Img_2372_2連れ合いと一緒に、祇園祭(前祭)の山鉾巡行へ。

 この時期、厳しい暑さはつきものだが、今年は、幸い雨でもなく曇り空である。昨晩の宵山に行くつもりだったが、出かけに急な雨になってやめたのだ。今日は歩き回らずにじっと待っているのだが、薄日でも汗が流れてくる。観ているだけで疲労感はあるが、朝9時から始まってすでに1Img_2523時を回り、それぞれの山鉾が町内に帰っていく、最後の辻回しである。出発した時は、元気だった巡行の参加者の疲労の色も濃いだろう。新町通を下って四条通にでる角で、見学した。

 この時間になると見物客もかなり減ってはいるが、それでも人込みと暑さは少々の苦行だが、何度見てもいいものは、いいな~と、楽しんだ。写真はちょこっとですが、少し雰囲気を。

 以前の(前祭)の山鉾巡行の記事はこちら。
http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/post-31b2.html
http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/post-6da5.html

≪先頭の長刀鉾↓≫
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 ≪芦刈山↓≫
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  ≪函谷鉾↓≫
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 ≪月鉾↓≫
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 ≪月鉾と綾傘鉾↓≫
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≪白楽天山は外人さんはが担ぎ手↓≫
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 ≪鶏鉾↓≫
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北海道聞法旅行(9)~現金な話~

Img_2277 4日目は、朝9時に、小樽のホテルで解散し自由行動へ。帰宅される方、北海道での会合にでられる方、石原裕次郎記念館を目指す方もる。大半は、運河や街並みを散策し、北一硝子のお店の前まImg_2279でご一緒して、ここで解散する。

 ぼくたちはすでに買い物をすませていたので、ここのカフェでゆっくしたあと、レトロImg_2295を街並みをブラブラして、最後に旧日本銀行小樽支Img_2298店を見学する。贋札を防止するための高度な印刷技術の実際に触れたり、同じ素材での1億円の重さやImg_2300積み上げたものをみたりするだけでも、けっこう面白かった。

 アメリカ訪問記は観光篇までで法座篇に入る前に、完全に途切れてしまったが、北海道聞法旅行は最後までたどりつくことができた。でも最後は、なぜかお金の話で終わった。経済の仕Img_2302組みよりも、日本銀行券そのものの話題がImg_2309興味深いとは、まったくもって現金なものであった。

 アメリカから参加のK夫妻と連れ合いとは札幌駅で別れて、そのまま帰宅の途についた。4日間、ほんとうに有意義な旅でした。こんな旅の楽しさは、ご一緒する皆さんにも左右されるけれど、その意味でも楽しい旅行をさせていただきました。ありがとう。
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 ≪裁断前の二千円札↑≫
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  ≪これで1000億円↑≫
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   ≪1億円は10㎏↑≫
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  ≪積み上げると1億円は1m↑≫

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北海道聞法旅行(8)~小樽で聖徳太子~

Img_2237_2 食べ過ぎ、飲み過ぎ気味で、深川から一路、小樽へ。6時の夕食予定を8時に変更し、小樽の海鮮料理を楽しむ。が、一部、これが苦しみのタネになっておられた方もある。キリスト教での貪食(大食)の罪だ。あれだImg_2244_2け飲み食いしたら当然か。せっかくおいしい海鮮類が勿体ない。

 たまたまメンバーのおひりがお誕生日。みんなでバースディソングを歌う。すると、Img_2242_2お店の方が「お誕生日なら、どうですか。花咲蟹です」といわれる。おお、サービス?と思ったら、しっかり商売。なぜか、みんなでプレImg_2258ゼントするのではなく、お祝いを受けた方がお返しでご購入。高いバースディソングとなったようだ。

Img_2255  最期に皆さんで、今回の旅の分かち合いをした。

 このお店は小樽とは無関係な「聖徳太子」飛Img_2257鳥支店という。こんな絵が掲げられていた。

開演妙法度衆生
従於西方来衆生
  傳東燈方粟散生
 敬禮救世観世音

 親鸞さまは、聖徳太子を救世観世音と仰ぎ、六角Img_2261堂に参籠され、法然上人と出遇いとつながっていくのだ。  

 でもなぜこの店名? 理由を聞くと、「お客さImg_2268んのお声を幾重にも聞けるように名付けました」とのこと。聖徳太子は、最近の教科書では、厩戸皇子と習うようだが、別名は、豊聡耳(とよさとみみ)という。同時に10名のImg_2271訴えを聞き分けた故事に寄っている。

 お店をあとに小樽の街へ。ライトアップは15分前に終わったところで、ちょっと残念だったが、みんなで散策。

 かなりお疲れモードだったが、今夜もホテルに戻ってから、3夜連続での懇親会。メンバーはほぼ同じ顔ぶれ。楽しかったです。

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北海道聞法旅行(7)~荻原果樹園の宴~

Img_2180 時間は押したが、一乗寺をあとに連れ合いの実家の荻原果樹園へ。義父や義母は、カンボジアで一緒の方もあって、懐かしい再会Img_2198をしばし楽しんだ。広い農園も、今年の春にりんごの樹を斬って風景が変わっていた。いまはさくらんば狩りの真っ最中。土曜日ということで、観光バスやマイカーがーがやってきていて、びっくりした。いつも静かな果樹園しか知らImg_2178ないからだ。

 サクランボは、いまは佐藤錦。このあと南陽になると、さらに大きく甘味がます。今年Img_2195はやや不出来だそうだが、それでImg_2189も取り立てのサクランボは甘くておいしい。

 山小屋でジンギスカン鍋を楽しむ。ほんとうに「楽しんだ」。今日は、年に数回しかない暑さだ。冷房のない場所で、24名が寄せ合いながら、鍋を突つきあう。さぞかし暑Img_2228いだろうと覚悟をしていたが、広々してた山間の風がはいってきた気持ちよく、苦にはImg_2208ならなかった。それにしても、皆さん、食べる食べる。そして、男性陣(数名だが)は呑む、呑む。まだ昼間だというのに、ビールに、男山の一升瓶があっと言う間に空になってしまった。さっきまので研修や法話はどこに行ってしまったのか。ほんとうに無明とはよくいったもので、Img_2341煩悩具足の凡夫の集いである。

 アルコールで気が大きくなったのか、皆さん、たくさんのさくらんぼのお買い上げいただいた。ありがとうごさいます。
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北海道聞法旅行(6)~白骨ならぬ黒骨~

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  朱鞠内湖では、レイクハウスに宿泊。ここでも殿平先生を囲んで、遅くまで懇親会をもった。
 朝食前に朱鞠内湖を散策。靜寂の中に、ただ鳥たちが歌い、静かにさざ波が押し寄せる。たまたまボート乗り場の方と立ち話をするうち、「いつでも遊覧船を出しますよ」とお話をいただいた。
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 急遽、予定変更し、遊覧船乗車することにした。船上の風が気持ちいい。見えている島々は、もともと山だったところが、水没せず頂きだけが残っている。人造湖でありながら、70年も経つと道立自然公園として、豊かな自然を育んでいる。
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 湖から雨竜ダムと慰霊碑を観る。船内の説明テープは、ダム建築の経緯、そして多くの犠牲者がでたことにも、きっちりと説明されていて驚いた。その後は、湖畔でのフィールドワーク。 
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 建設会社の造った慰霊塔。これは、犠牲者を偲ぶというよりも、むしろ会社の威信を高めるような巨大なものだ。
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 国家や政府ではなく、市民が協力しあって造られた記念碑をめぐる。
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 そしていよいよ発掘現場へ。少し山を入った共同墓地の裏手にある。途中の山道は、さまざまな鳥が鳴き、美しい花々が咲いている。エゾアジサイが美しい。
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 熊笹が覆い繁る発掘現場。ここから多くの白骨がでできた。
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Img_2147 先生から、ある高校生のエピソードが披露された。真っ黒な遺骨を発掘され、後ずさりする高校生に、遺骨を手できれいにするように指示する。誰も動かないなかで、率先してお骨を洗った女高生があった。その後の分かち合いの言葉を、先生は印象深く覚えておられた。Img_2145彼女は、身内が死んでも死体に触れるのは恐かった。もちろん、最初は、いやいや骨を洗っていたが、そのうち、見ず知らずのお骨がいとおしく感じられ、そこで過去といまとの出会いとなったというのだ。実は、その高校生が連れ合いだったというのである。先生とは同じ高校の演劇部の先輩・後輩という関係であって、高校生の時から何度か遺骨収拾作業に加わっていた。改めてお互いにご縁の深さに驚いた。
 白骨と書いたが、埋められた骨は真っ黒だという。
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 深川市一乗寺に参詣。短いものだか、ぼくも法話をさせていただいた。身で聞くこと、そして暗黒の歴史は、過去ではなく、いまも私の下にはいのちの犠牲の上に生きていること。それでいて、わたしは何も知らない、まさに無明である。そして、その無明破る、生死を超える道こそが浄土真宗であることなどをお伝えした。お寺の坊守さまや若住職もご聴聞くださって、有り難かった。
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唯一、聞法旅行らしかったかなー。

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北海道聞法旅行(5)~笹の墓標~

Img_2021   美瑛を後に、旭川経由で深川の一乗寺で殿平先生と合流し、幌加内町に向かう。

 深川から幌加内に入ると観光客はいない。しかし、ここにはは日本一のものが3つある。  一つは、車窓一面に広がるソバ畑。ソバの栽培面積、収穫量が日本一だ。7月下旬になると一面が白い花に覆われ、見事だという。が、残念ながら、ぼくはソバが食べらず、まったく興味はない。興味がないどころか恐いといっていい。そして、二つ目が、人造湖としては日本一の広さを誇る朱鞠内湖だ。そして三点目は、日本でもっとも極寒の地であることだ。 Img_1967

Img_1939_2 車中から殿平先生のお話をいただく。一気に観光モードから研修モードへ。

 日本一の人造湖である朱鞠内湖はどうしてできたのか。戦時中、Img_1935北大の演習林に北海道の電力不足を解消するために、当時東洋一といわれた雨竜ダムが建設されていく。大企業の利権も絡んだ一大事業のために多くのアジア人やImg_1950日本人がタコ部屋に捕らわれ、過酷な労働下で多く犠牲者を生み、十分な埋葬されることのないまま忘れ去れていたというのだ。これまでそのような強制労働は、捕虜やアジア人だけだと思っていたが、巧みに騙されたりはめられたは日本人も同じこと。今でいう貧困ビジネスの負のループにはまった日本人も多くいたことを初めてしった。大半が、まだ若い20代の若者だ。 

  まず資料館でもある湖畔の旧光顕寺へ。Img_1934

  緑豊かなすばらしい場所にある。しかし、冬になると極寒、かつ豪雪の地になる。ここは、いま「笹の墓標」記念館となっている。作家の森村誠一氏がこの地を訪ね、それがサスペンス小説になっている。一乗寺や殿平先生の活動などはフィクションで、半分が推理小説だが、これがとても面白い。
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 勤行の後、パネル提示を見学したり、1時間の記録映画を見せていただく。一昨年の遺骨返還のドキュメンタリー映画だ。知り合いの僧侶も映っておられた。若き日、友達と朱鞠内湖に釣りなどの遊びにこられた先生が、僧侶であることを知ったこの寺の檀家さんが、「誰のものかわからない位牌が、たくさん保管されているが、処分したい」と相談を受けたという。それらはダム建設の期間に集中し、しかもみな若い方や朝鮮半島の方の名前が多いことに不審を懐かれ、そこから調査が始まったというのである。
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 ぼくの下手な説明よりも、このテレビ番組をご覧いただければよく分かる。

   こちらはドキュメンタリー映画の予告編。僕たちが見せてもらったのは最新作。

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北海道聞法旅行(4)~美瑛の丘~

   美瑛駅や中心街を通って、美瑛の丘に向かう。
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 まずは展望公園で記念撮影をして、風景や買い物を楽しみ。じゃがいもやとうもろこしを買う人もが多かったが゛ぼくは、洒落た工芸作家のお店あったので、銀を加工したネックレスを、母にプレゼントした。
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 パッチワーク路やさまざまな撮影で有名になった木々を目当てにする観光客も多い。
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 こちらは「ケンとメリーの木」。むかしむかしのスカイラインのコマーシャルに使われたという。今から40年も前の話。それなのに、中国人観光客や若い人達に人気があるのは、なんとも不思議。
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 「親子の木」は、父親と母親、その間の子供という構図。
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 そして「セブンスターの木」は、タバコのパッケージに使われていたものだ。
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 それにしても、南仏のような風景(行ったことはないのでイメージ)で美しい。
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参加者の農家の方に教えてもらったが、これだけきれいに見せるには、雜草を除去したり、成長を揃えたり、日頃から手入れがたいへんだというのだ。当たり前のことだが、専門家に言われると納得させられる。
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 しかもこれは観光資源のためにやっておられのではない。実際の育て、収穫品するためである。別に観光客が大挙してこようが設けるためではない。、むしろ迷惑なことがある。撮影のために畑に無断で入られ、収穫物を荒らされたり、時間を選ばない騒音、ゴミ、無断駐車、接触事故などなど、むしろ迷惑なことの方がおおいのかもしれない。
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 地元の農家の方が見回っておられる。あれ、よく見ると参加者Aさんじゃないですか。軍手姿ですっかり絵になっておられました。
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Img_1928 予定より遅れて昼食は旭川ラーメン村で。ここは3度目。梅光軒、青葉と食べたことがあって、今回は「山頭火」へ。メジャーになっているが、アメリカのサンノゼにも行列ができているそうだ。カリフオルニアから参加のKさんご夫妻もご存じだったので、ここにImg_1930決めた。

 このまま宿に入ってもいい時間。美瑛の神秘的な自然や美しい風景を堪能し、かなり充実した旅だ。しかし今日のメーンはこれからなのだ。参加者の皆さんは、まだそのことに気付いておられず、観光モードでうかれているのだった…。(つづく)

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北海道聞法旅行(3)~美瑛の大自然~

   2日目は、美瑛から始まるたいへん盛り沢山な日程となった。
 まずは青い池である。
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 手元の2010年版の富良野・美瑛のガイドブックには、この池のことは一行も出ていない。が最近のものでは、大きな写真入りで紹介され、いまでは観光客がバスや車で大挙して押し寄せている。アジアからの観光客も多かった。ただ昨年の大雨で影響を受けて、池の手前は、まだ濁っていいたが、いまはかなり回復しているように思えた。季節や時間、天気によっても、池の色は変化する。池に立ち上がる枯れ木とあいまって、幻想的風景である。Img_1782
 青い池の上流にあるのが、白髭(しらひげ)の滝だ。こちらは橋上から眺めるのだが、バスを降りても滝は見えない。どこに滝があるの?という感じだが、視界に現れた瞬間、皆さん、歓声ををあげられた。ブルーに流れる美瑛川に、乳白色の白髭の滝はに美しい。まるで入浴剤でも流したかのような、見事な美瑛ブルーである。
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 しかも、この滝は、湖などから流れているのではない。岩の隙間から地下水が溢れ出ているもので、厳しい冬でも凍りつかないというふうに聞いた。
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 滝の上に目をやると十勝連峰が美しい。十勝岳〜美瑛岳〜美瑛富士。
 この地形も十勝岳の噴火が造り出したものである。このあたりは、十勝岳ジオバークである。
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 せっかくここまできたのである。その十勝岳を望む望岳台まで足を延ばすことにした。
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 登山口の入り口ほんの一歩だけ足を踏み出しただけだか、ここが活火山であることがよく分かる。ゴツゴツした火山岩の台地は黒茶色である。
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よく晴れているが、噴煙あがる十勝岳の噴火口のあたりには曇っていて、ちょっと噴煙との区別がつきづらいですが、、。
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2年前の5月末は、すごく晴れていて噴煙もはっきり見えた。Img_7165
このあたりにもまだ雪が残っていたが、7月はなくなっていた。
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目を麓に転じると、美瑛のよく整備された耕地が広がってこちらも美しい。これからパーチワークの丘に向かっていく。
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北海道聞法旅行(2)~富良野ラベンダー篇~

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Img_16312 みごとなラベンダー畑が続く。

 梅雨のない北海道は、初夏のすがすがしい季節。富良野は、ラベンダーが咲くベストシーズンだ。ところが、最近の異常気候といっていい。昨年は、北海道に台風が何度も上陸し大雨が続いた。そしImg_1637て、今年は35度を超える猛暑が続いている。そんな影響で、今年のラベンダーの色合いはいまひとつで、見ごろも少し遅くなるとのことだ。

 それでもきれいに手入れた園内に、淡い薄紫のやさしげな花が咲いている。

Img_1649 富良野というえば、ラベンダー。道中もラベンダーをイメージしたうす紫色で統一されている。富良野のラベンダー農園はいろいろあるが、その先駆けとなったのが、ファーム富田である。http://www.farm-tomita.co.jp/

 広々とした園内は、ラベンダーの他にも色とりどりにの花が咲いてImg_1693いる。それを紫色のユニファーム、紫色のバイクや草刈り機などで、お世話されている。花の高さを揃えたり、雜草を除去したり、きれいに保つもたいへんな作業がいるのだろう。

 手間暇がかかるのにこの園も入場は無料だ。このあといろいろな観光名所を回るが、一カ所も入場料がいらなかった。バスの駐車場代も不要なところばかりだった。  まだここは、園内での飲食やお土産、オプションなどもあるが、そうでないところも美瑛には多かった。観光客にはありがたいことだ。
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 ≪十勝連峰をのぞむ↑≫
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  ≪色とりどりの美しい花が彩を添える↑≫
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 ≪ラベンダー色のユニファームで作業中↑≫
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 ≪スクーターもラベンダー色↑≫

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北海道聞法旅行(1)~番外編~

  最初から番外編である。

   Img_1580_1各地で大雨が続いて集合の遅れを心配したが、定刻には新千歳空港に全員集合。当日組は、神戸、関空、中Img_1584部、羽田、成田と5カ所。福岡、小松、富山、そしてアメリカなどの方は、前日入りされている。現地集合としたので、中には前泊や後泊と、それぞれが個人のプランも組まれているようだ。

Img_1599 予定していた小型観光バスにトラブルがあって、地下トランクが小さいバスがくる。荷物が乗り切らず、通路において皆さんに不便をかけた。その分、乗務員さんは親切だ。翌日からは、大型バスで、快適な旅となった。

 空港から富良野へ。乗務員さんからの提案で、今Img_1601が見ごろのラン栽培所に案内くださる。日本で一番北にあるSAという砂川でお昼をし高速を降りると、連れ合いの実家の深川市も近いが、そちらに向かわずに赤平市へ。

Img_1598_2 車中から日本の礎を造った近代鉱業の遺産を見る。写真の一枚目は、日本一のズリ山の入口である。炭坑で栄えた街だが、平成に入って住友赤平立坑が閉山となり、いまではImg_16121/5程度の人口になっている。こんな施設をじっくり観光するのも、いまは流行っているという。http://akabirakankoukyoukai.jp/

 その街の一角にあるランの栽培所へ。立ち寄る程度の予定だっが、丁寧な説明に、皆さん関心を示す。というもの、一、市価の半額、時には、1/4程度で売っているものもある。少し訳ありなら何百円という品物もあるのだ。しかし、まだImg_1620旅は初日。抱えて帰るわけにはいかない。本州への送料は、一律三千円はかかるという。よほど高価なものを買わないかぎり、ペイしない。それでも、何名かは購入された。旅行後に訪問される北海道の友人のお土産とか。連れ合いも、実家用に一鉢購入するも、その後、狭いバスの中で扱いに困ることになった…。

Img_1617 休憩で芦別市へ。突如、ビルを見下ろす巨大像が、、。 この観音像は、北海道大観音だという。北の京(つまり北京??)にあるレジャー施設らしいが、今ではある宗教法人のものとなって、地元では話題になったらしい。もちろん、今日は外から眺めるだけ。今後も訪れることはないだろう。

 観音さまは、コンクリート造り高さ88メートル。 Img_1622Img_1589_2Img_1609

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充実の北海道

 北海道聞法旅行も、おかげさまで無事に終えることができました。帰路は、関空への飛行機が遅れて、帰宅は夜11時になりましたが、それ以外は、盛り上がって時間オーバーはあっても、予定を取りやめることもなく、うまく進行してよかったです。

 各地の大雨で心配していた集合も、定刻には全員揃い、4日間、ケガや事故もなく、充実した旅となりました。北海道は予想どおり好天。しかも連日、30度以上の真夏日で、中には猛暑日となった地点もあって、北海道なのに、「暑い」しかありませんでしたね。

 でも、観光といい、研修といい、内容の濃い、充実した旅でした。とにかく楽しかった。また、とにかう呑んだ。連れ合いも含めて4~5名ほどは、連日、深夜まで吞みました。しかも僕は、なぜか5時過ぎには、目が覚めましたが、不思議なほど元気でしたね。

 詳しくは、順次、触れていきますので、お楽しみに!

 

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真宗カウンセリング研究会「交流の集い」のご案内

   さて、皆様に広く、真宗カウンセリング研究会主催の「交流の集い」のご案内をいたします。
   現在、当会は、会員数が減少し続けて、会計も赤字が続いております。その一方で、新加入の会員も徐々に増えております。それで、会員、新会員、元会員、さらには研究会に関心のある方へも広く呼びかけて交流と出会いの場を持ち、研究会の再出発の機会になればと計画しました。会員による研究や事例発表を中心に、会員の交流、真宗やカウンセリングに関心ある皆様との幅広い出会いの場となることを願っております。ぜひ親睦会にもご参加下さい。翌(16日は、聖典講座です)

【参加要項】            
日 時:2017年7月15日(土)13時30分(13時受付)~20時(親睦会終了予定)
場 所:華光会館(075-691-5241)
  近鉄十条駅駅より徒歩1分・地下鉄十条駅より徒歩約8分
内 容:会員による発表・参加者との交流懇談会(13時30分~16時)
   (内田・園村・増井・山下各氏を予定!)
    臨時総会(16時30分~17時)
参加費:1,000円(一般)・500円(研究会会員)

親睦会:第一部終了後の17時30分~20時頃
    近鉄十条駅前「來人(らいと)」(?075-693-8811)会員・非会員を問わず、どなたでもご参加頂けます。
    当日、実費で清算(3,500~4,500円程度をご用意下さい)
    なお、当日は祇園祭の宵々山です。終了後、四条まで足を延ばす(地下鉄で7分)と、祭りの風情も楽しめます。

申込先:華光会館内、増井 信まで。Eメール(mhg03073@nifty.com)、Fax(075-661-6398番)などで、1~4を明記の上、お申込み下さい。1氏名・2連絡先(電話、メール)3会員の有無・4親睦会参加の有無。
その他、不明点やご質問は、華光会館内、増井までお気軽にどうぞ。(なお7月5日~9日は、増井が北海道聞法旅行につき、電話などによるお問合せに対応出来ませんので、ご了承下さい。)

主催:真宗カウンセリング研究会

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『阿弥陀経』(5)~依報(浄土の荘厳)(2)

国土の荘厳の続きである。

四、天楽妙華の荘厳
常に天上の音楽が絶えず、大地は黄金で、昼夜六回の花(曼陀羅華) の雨が降るという。そして、その衆生(聖衆)は、朝の靜寂の中で、華を器に盛り、他方十億万の諸仏を供養しては、正午までには戻って食事をし、その後、静かに国中を行道するというである。

五、化鳥説法と微風妙音の功徳
 六種の鳥が昼夜六回、妙なる声で説法し、聞く者は、仏法僧の三宝を念ずる。しかし、極楽には三悪道も、その名さえないのだから、畜生の鳥がいるのではない。あくまでも、阿弥陀仏が説法のための方便・化現であると、釈尊は教えてくださっている。
 ちなみに、その説教とは、
・五根は、1信・2精進・3念・4定・5慧の五種のさとりへの実践徳目。
・五力とは、五根が増し、煩悩や悪を破り、さとりを開かせる、勝れた力と働き。
・七菩提分は、七覚分のこと。1念・2択法・3精進・4喜・5軽安・6定・7捨
・八聖道分は、八正道のことで、1正見・2正思惟・3正語・4正業・5正命・6正精進・7正念・8正定
などが説かされている。
 また、宝樹の並木や鈴の付いた網が、微風に揺れ妙なる音楽を奏でるが、これもまた説教で、聞く者は、仏法僧の三宝を念ずる。
 以上のように極楽は荘厳され、多くの功徳に満ちている。

(余義)
  ところで、『称讃浄土経』(玄奘訳)では極楽の依報荘厳を終えた後に、「たとえ百千倶胝那由多劫の間、百千倶胝那由多の舌をもって、一つ一つの舌が無量の声を出で、その功徳を讃ずるも、なお尽くすことあたわず」とある。つまり、どれだけ褒めつくして褒め尽くせない程、極楽の荘厳の無限なることが強調されているのである。

 ちなみに、この文、親鸞さまに影響を与え『諸経讃』に、

「百千倶胝の劫をへて    百千倶胝のしたをいだし
 したごと無量のこえをして 弥陀をほめんになほつきじ」

と顕しておられる。よくご法話でも取り上げる尊い和讃である。

 ほかにも「楽」の三種類(曇鸞大師『往生論註』)を
(1)外楽=物質的な、外部的な楽しみ
(2)内外楽=精神的な楽しみ
(3)法楽楽(ほうがくらく)=仏法の楽しみ。智慧によって起る。
 阿弥陀仏の功徳を愛楽(あいぎょう)することから起る。と頂いたり、

「なぜ、極楽が七宝などで飾られた世界として語られのか?」とか、何よりも根本的な、「地獄と極楽」の関係についてもお話した。

 もう詳しくはやめるが(通信CDをこ購読ください)、皆様には、本論よりも、最後の迷いの世界の三界二十五有や六道などに質問が集中した。たぶん、悟りの世界である極楽の有り様をいくら聞いても分からないが、わたしがへ巡ってきた迷いの世界には、まだまだ執着して未練があるということだろう。

 さて次回は、もう1度7月にありますので、ご注意ください。7月16日(日)昼1時30分~です。京都は、祇園祭の宵山ですね。聖典講座のあと、四条まで足を延ばしてもいいでしょう。奮ってご参加ください。

http://keko-kai.la.coocan.jp/event/2017/detail/07/seiten2017-7_2.htm

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『阿弥陀経』(5)~依報(浄土の荘厳)(1)

 『阿弥陀経』は、本文である正宗分の(1)弥陀・浄土の讃嘆に入った。前回は略讃、今回は広讃である。また広讃は依報(浄土の荘厳)と、正報(阿弥陀仏の荘厳)に分かれるが、まず極楽の依報荘厳(仏国土の飾り)が詳細に説かれる段である。これを五段に分かっていただいた。【三】

一、極楽の名義(何故、極楽と名付けられるのか)。以下、国土の荘厳が詳説。
二、宝樹を中心にした地上の荘厳
三、宝池の荘厳
四、天楽妙華の荘厳
五、化鳥説法と微風妙音の功徳、の五分類できる。
前回で一、まずを終えたので、今回は二、からで国土の荘厳が詳説されるところである。それを概略すると、

二、宝樹を中心にした地上の荘厳
 金・銀・瑠璃・水晶の四宝で飾られた七重の欄楯(玉垣)、七重の羅網(網飾り)、七重の行樹(並木)で、国中があまねく荘厳される(無量寿経にはない表現)。 そえ故に、その国を極楽と名付けられる。

三、宝池の荘厳
 七宝(金・銀・瑠璃・水晶・白珊瑚・赤真珠・瑪瑙)の池があり、八功徳水で満ちている。池底は金砂が敷かれ、四方の階段は四宝で出来ている。楼閣も七宝で飾られる。池の中には、青・黄・赤・白の車輪ほどの蓮華が咲き、清らかな香りを放つ。
  ちなみに、「八功徳水」とは、(1)澄浄・(2)清冷・(3)甘美・(4)軽軟・(5)潤沢・(6)安和・(7)除疾患・(8)身体増益の勝れた効能であるが、これは、異本である『称讃浄土経』には詳しくあげられている。

ところで、この段には、池の中には、「青色青光、黄色黄光、赤色赤光・白色白光」の色とりどりに、それぞれの光を放つ大きな蓮華が咲くと説かれるい。まさに、個々の持つ個性美と、同時に一味平等の境地を著されていると味わえる。
ところが『称讃浄土経』には「青形には、青顕・青光・青影、黄形には、黄顕・黄光・黄影、赤形には、赤顕・赤光・赤影、白形には、白顕・白光・白影」と訳されている。つまり、羅什訳には欠けているが、光だけでなく、影の存在も著されているのだ。
 さらに梵本では、青、黄、赤・白に続いて、「さまざまな色の蓮華は、さまざまな色・さまざまな輝き・さまざまな陰影を帯び…」が加わるのだ。もし漢文にするならば、「雑色・雑光・雑影」となろのだろう。

 つまりである。極楽は、はっきりした色だけでなく、影や雑といった部分までを、個性美とし、それがまた一味であることが強調されていることになる。これは、仏教カウンセリングで何度かご指導頂いた故大須賀発蔵先生からお聞きしたことでがある。(参照『いのち分けあいしもの』)

  長くなったので次ぎに続く。

 

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自力疑心

 「不定聚というのは往生が定まらないことですが、そこに化土往生も含まれていますか」という質問が届く。熱心に聴聞されているが、ずっとこの「化土往生」が、心から離れず、とらわれておられる。

 それにしてもこの質問は妙だ。化土(自力疑心)に決定があるわけがないからだ。
「定まる」ことがないのは、自力の信だからだ。疑っているものに定まることはない。「あれか、これか」と常に迷いに迷う。人の言葉に迷う。お聖教を読んでも迷う。ネットの情報でまた迷う。迷うからこそ、ますます自分で確かな何かを捕まえたくなる。それは、安心したい、定まりたいとの欲の心から起るのだろう。フラフラしないのなら、情報を遮断するしかない。自己の信念(信じたところ)以外の言葉には耳を貸さず、信念の壁を造り、そこでの仲間を囲って喜ぶしかない。とすると、化土の姿は、何もお浄土に限ったことではないのだ。最近、そんな人にたくさん出会うような気がする。壁の中で、いくら「私は疑っていません」と言ったところで、自分決定の信ならばただ空しいだけだ。

 如来さまは、そんな私を虚仮不実と指さしてくださっている。まことがない、実がない。そんなものの心が、真実報土に定まるわけがないのである。信じるこころなどないのだから、仕方ないではないか。

 にもかかわらずである。真実信心の者は、現生に正しく浄土往生に定まり、仏になる仲間入りをさせてもらうという。すべて他力回向の信心だからである。第十八願の機、「正定聚の機」と教えてくださった。他力ならばこそ決定の心をたまわり、大安心があるのだ。

 つまりは、他力のご廻向に打たれなければ、私の迷いの心には絶対に定まることはない、という金言をお聞かせに預かるのである。

 「化土に生るる衆生をば、すくなからずと教えたり」と御開山さまは言われているが、「そうじゃケド」「わかるケド」、このケドの根性が生れる世界が「化土」らしい。
(前川五郎松作「阿呆堕落偈」より)

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