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東海・北陸合同法座~造悪無碍者とは誰か!~

  S先生が同乗されて、金沢へ。金沢での新潟・北陸支部、さらに仏青との合同法座である。東海支部の合同法座は、これが4回目。最初は掛川で仏青と、2回目は熱海で東京と、そして昨年は、長浜で京都支部との合同法座だった。今年は、金沢開催ということで、新潟・北陸支部の方が中心で、東海や仏青のメンバー少ない。日頃、京都まで参加される方が少なくて、顔ぶれは新鮮だった。

 ということで、法話の前に交流のための自己紹介を兼ねたゲームから入る。かなり打ち解けた雰囲気になった。おかげで、東海支部の酒豪が集まったとはいえ、北陸支部が主体の懇親会も、ずいぶん盛り上がった。

 法話は、二席づつ。ぼくは、アメリカ布教で感じたことを中心にした。もう一席は、S先生からは、伝統奉告法要での親教の「念仏者の生き方」と、親鸞さまの消息(お手紙)うち、「今、すべての人々を救おうという阿弥陀如来のご本願をお聞きして、愚かなる無明の酔いも次第に醒め、むさぼり、いかり、おろかさという三つの毒も少しずつ好まぬようになり、阿弥陀仏の薬をつねに好む身となっておられるのです」という、御消息第二通(末燈抄なら二十通)を巡っての、真の念仏者の行き方の法話を頂いたの受ける形で、その消息を頭から頂いた。

 念仏者の生き方としての法話を聞いて、さまざまな思いが去来したからだ。同時に、改めて、造悪無碍を強く誡め、批判される聖人のお手紙に打ちのめされた。いまの今まで、これは信見房など聖人の教えに反して、悪人が本願のお目当てだとしたい放題の悪を積極的に勧める異端者を誡め、近づかくなと示し、本願を喜ぶものは、無明の酔いも醒めて少しずつ三毒を好まなくなるのだとお勧めされていると頂いきた。その上で、なかなかそうならない自分をあれこれと味わったり、お手紙を計らったりしていたのだ。

 しかし、今回、初めて気付かされたのは、聖人から五逆・謗法の人だと誡められ、けっして近づくなと嫌われているのは、歴史的に存在していた造悪無碍者のことではなくて、わたし自身のことだ! と懺悔させられたのだ。

 そうではないか。「こころにまかせて悪い心を起し、悪い行い」を平気でおこなっているではないか。「師を誹り、善知識を軽んじ、念仏者の仲間でも落してめている」のは誰なのか。「仏法を信じる心がないから、悪い心がおこる」といわれれば、そのとおりだ。そんな人に近づいてはいけないと親鸞聖人からも嫌われているのである。それは、歴史上の造悪無碍者ではなく、このお手紙すらも自分流に解釈し、せっかくの法話にも違和感を感じたりする、わたしそのもの姿にほかならない。いまのいままで、自分が造悪無碍者そのものだとは味わうことができなかったのである。
 
 ところがである。そんな親鸞さまにすら「近づくな」「私の手には負えない」と嫌われているわたしを、たったひとり、「そのような罪を犯して人にも親しく近づいてくださる」方があるという。それが、本願力廻向の働きで、弥陀同体の悟りを開いた還相の菩薩さまだ。親鸞さまにも嫌われたわたしを、たったおひとり阿弥陀さまだけはお捨てにならずに、喜んで近づいてくださるというのである。なんという勿体ないことであろうか。

 涙と、お念仏でご法話をさせて頂くしかなかった。

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