支部長研修会
今年の支部長研修会は、各支部からの報告に加えて、講話と「念仏の雄叫び」の輪読を行った。また、11月の華光大会での伊藤康善先生の五〇回忌法要と増井悟朗師の三回忌と併修して行うが、その企画について相談である。
講話は、アメリカ布教で感じたことが中心。なぜ、英語で法話もできないぼくが、わざわざアメリカ法座に招かれるのかのである。とりになおさず、伊藤先生から流れ、増井先生とつながる法脈がなることだ。直接的には、増井先生から面授口伝された同行の上に、まだご法がいきいきと生きているからだ。真摯な聞法者、求道者を前にすると、私達が華光に集っているということは、どんな意義があるのか。また、これまで華光の法座が何を大切にしてきたのか、そして、それをお前はどう領解しているのかが、問われる結果となるのだ。
華光会といっても、浄土真宗の流れを汲むもだ。本願寺派の教義の上での、差異はあまりないといっていい。聖道自力の教えやキリスト教などの他宗と比較するならば、それは歴然だ。にも関わらず、わざわざ私達が遠近各地から集ってくるのは、なぜなのか。また、共に聞法していた方が、阿弥陀さまのお慈悲の有り難い話に引かれて、疎遠となっていく方も多くなっている。一番、大切な華光の特色を、私達が疎かにしているということはないのだろうか。
改めて、伊藤康善先生が『仏敵』を著し、それに接して驚きが立った同行が集い、草の根的な信仰活動が、先生亡き後も50年も継続して続いてきた(華光誌創刊からは76年も)わこである。その意義とは、その精神を問う機会としたかったのだ。
ということも含めて、先達たちが著してくださった『安心調べ』『仏敵』、そして『親指のふし』に触れながら講話させてもらった。
また翌日には、『念仏の雄叫び』を輪読。その中の一章「救済(ぐさい)の予定概念」をとりあげた。三つの心、特に「暗い心」=自力計度(けたく)の心について、小賢しい働きについて詳しい。しかもこれは、他力廻向の信の一念破れる心だ。その信疑廃立の水際を立てて聴聞するのが、華光に流れるもっとも大切な伝統だと言っていい。その意味でも、今回の五十回忌と三回忌の集いは、タイムリーな企画となろだろう。しっかり準備をしていきたい。
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