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2017年6月の22件の記事

76-3号の発送

Img_46492 華光誌発送する。暑い。梅雨らしく蒸し暑い。このところ、夜中から午前中は、雨が降って、日中はムシムシして熱帯のような暑さ。

 6月30日なので、水無月を食べた。関西、特に京都では、この日が水無月を食する日だが、地域によっては知られていないようだ。お手伝いのことの手作りで、小豆は、大粒は京都丹波産、小粒のは北海道産だそうだ。ちなみに、このご家庭もうち夫婦と同じく、京都(夫)と北海道(妻)の組み合わせだ。

 華光誌は、前号の続編で、悟朗師の一周忌の集いでの誌上発表として、「如是我聞」(下)でのK師のお話がすばらしい。先生からの薫陶か、頭ではなく、身で教えられ聞かれたところで、それかまた実践されているのだ。ほかに体験記が3篇に、寒中子供大会の法話集を特集に加えている。お楽しみに!

 なお、「仏の子供大会」の案内状も同封されている。参加者が少なくて、開催が危ぶまれている。ぜひ!!

 

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6月の華光誌輪読法座

 華光誌輪読法座。先月は、アメリカ布教でお休みした華光誌輪読法座。

 参加者が少ない。これまでの開始してから常連だった方が、ひとり去り、二人ふりして、減少している。だいたいが亡くなったか、高齢になられたかだが、ご縁が終わった方もある。このところ一桁のだったが、今回はもっとも最少。皆さんも、奮って、ご参加ください。

http://keko-kai.la.coocan.jp/event/2017/detail/07/rindoku2017-7.htm

 その分、少人数での話し合いが出来る。また今回は、通常の誌上法話ではなく、悟朗師の一周忌の集いでの誌上発表として「如是我聞」(上)で、先生と同世代のS田さんの発表が有り難かった。いつも、ご法の喜びが全身から溢れ出ているのは、皆さんもご承知のとおり。派手な喜びは、ともすれば現世利益や縁他力に停まるがちだが、今回の記事は、そんな表面的なところではなく、しっかりと悟朗先生から何を聞いてるかが語られていた。

 縁他力に停まらず、後生の一大事と、今、聞け。厳しいお示しをお聞かせに預かった。

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ビバーラ実践と仏教カウンセリング~家族カウンセリングと縁起の法~

 佛教大学ビバーラ研究会が主催する、仏教カウンセリングの学習会が、通年で開かれていることを知った。講師は、奈倉道隆先生である。先月は、「仏教カウンセリング」を提唱された藤田清先生の相談仏教がテーマだったようだが、残念だ。
 
 今月は、家族カウンセリングと仏教の縁起観だ。といっても、座学(講義中心ではなく)、簡単な説明のあと、いきなりグループ分けがあって、ロールブレイが行われることになった。もちろん、参加したくない方は、やらなくてもいいということで、外れる方もあった。ぼくは、こんな時は、実践することに意義があると教えられてきたおかげで、積極的に関わることにした。

 末っ子が、仲間に唆されて万引きをして、家族会議を開かれるという設定で、同じテーマ、同じ役割で、4グループがそれぞれ10分程度のロールを行い、5分ほど分かち合うというものだ。

 面白いのは、同じような展開には、一つとしてならなかったということである。また、ファシリーの力量もさまざまだったように思うが、「誰か犯人か」を探すのでも、単純因果で原因を探るのでもなく、あくまでも家族全員の問題であることだ。家族は、それぞれが因縁によって結ばれているのであって、単純に問題行動を行ったものを責めておしまいではなく、ひとりひとりも問題を引き受けて、積極的に解決に向かうとする方向で進めることがポイントだ。

 ぼくは、仕事一筋で、家族にと無関心の父親役で参加。そのあとで、訪問してきた僧侶(フアシリテーター)役でも加わらせてもらった。気持ちの流れに沿いながら話しを聞いて、簡単なレスをするが、発言者は、とうしてもぼくの方を見て話されることが多い。それだけなら一対一になるので、少しずつ場にまかせていくと、いつのまにか家族同士での対話が生れ、4名で解決に向けた、前向きな方向に進んでいった。短い間でのロールプレイ(役割演技)でも、それぞれの抱えている問題が現れるが面白かった。ただ、そのことに、本人がどれだけ気付けるかで、ずいぶん意味が違ったようだが、さすがにそこまでは望めない。

 参加者の多くは、目の前でおこった事柄に反応するか、または仮定の話(こんな時はどうなるのか)の質問や感想が中心で、なかなか問題の根、本質に目をつける人は少ないように思えた。それでも、どんなコメントに対しても、ポジティブに受けられる奈倉先生の対応は見事だった。

 積極的に関わったり、遠慮せずに発言する場を提供くださったからこそ、十分に学ばせていただけました。ご縁があれば、続けて受講したい。

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北海道の下見

 連れ合いが、北海道公演をかねて、一足早く北海道に行く。実家の深川に戻ると、夜はストーブを炊いたという。こちらは蒸し暑くてたまらないというのに、その違いに、驚いた。日本もずいぶん広いようだ。

  お正月の下見で行けなかった朱鞠内湖のレイクハウスと、お世話になる殿平先生との詰めの打ち合わせである。ここが一般の観光旅行にない今回の目玉企画だ。

 バスの関係で20名での〆切だったが、22名になった。それでも、小型の観光バスもOKだったので、一安心だ。昼食場所や宴会会場、保険など、詰めなければないこともあるが、だいたいの流れはつかめてきた。

 心配なのはまず天気。屋外中心で、雨が降られたら困る場所もある。こちらは梅雨空が続く。今のところ北海道は曇りか晴れ。日中は、30度近くまで気温は上がりそうだが、これは贅沢はいえない。アメリカや福岡、小松などの皆さんは、前日に北海道入りだか、当日だけでも、神戸、関空、中部、羽田、成田と各地からのフライトなので、一カ所でも、悪天候などで大幅の遅れが出ないか心配だ。その場合、自力で富良野の宿にたどりついてもらわないと行けない……。

 とにかく近づいてきたので楽しみです。

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東海・北陸合同法座~造悪無碍者とは誰か!~

  S先生が同乗されて、金沢へ。金沢での新潟・北陸支部、さらに仏青との合同法座である。東海支部の合同法座は、これが4回目。最初は掛川で仏青と、2回目は熱海で東京と、そして昨年は、長浜で京都支部との合同法座だった。今年は、金沢開催ということで、新潟・北陸支部の方が中心で、東海や仏青のメンバー少ない。日頃、京都まで参加される方が少なくて、顔ぶれは新鮮だった。

 ということで、法話の前に交流のための自己紹介を兼ねたゲームから入る。かなり打ち解けた雰囲気になった。おかげで、東海支部の酒豪が集まったとはいえ、北陸支部が主体の懇親会も、ずいぶん盛り上がった。

 法話は、二席づつ。ぼくは、アメリカ布教で感じたことを中心にした。もう一席は、S先生からは、伝統奉告法要での親教の「念仏者の生き方」と、親鸞さまの消息(お手紙)うち、「今、すべての人々を救おうという阿弥陀如来のご本願をお聞きして、愚かなる無明の酔いも次第に醒め、むさぼり、いかり、おろかさという三つの毒も少しずつ好まぬようになり、阿弥陀仏の薬をつねに好む身となっておられるのです」という、御消息第二通(末燈抄なら二十通)を巡っての、真の念仏者の行き方の法話を頂いたの受ける形で、その消息を頭から頂いた。

 念仏者の生き方としての法話を聞いて、さまざまな思いが去来したからだ。同時に、改めて、造悪無碍を強く誡め、批判される聖人のお手紙に打ちのめされた。いまの今まで、これは信見房など聖人の教えに反して、悪人が本願のお目当てだとしたい放題の悪を積極的に勧める異端者を誡め、近づかくなと示し、本願を喜ぶものは、無明の酔いも醒めて少しずつ三毒を好まなくなるのだとお勧めされていると頂いきた。その上で、なかなかそうならない自分をあれこれと味わったり、お手紙を計らったりしていたのだ。

 しかし、今回、初めて気付かされたのは、聖人から五逆・謗法の人だと誡められ、けっして近づくなと嫌われているのは、歴史的に存在していた造悪無碍者のことではなくて、わたし自身のことだ! と懺悔させられたのだ。

 そうではないか。「こころにまかせて悪い心を起し、悪い行い」を平気でおこなっているではないか。「師を誹り、善知識を軽んじ、念仏者の仲間でも落してめている」のは誰なのか。「仏法を信じる心がないから、悪い心がおこる」といわれれば、そのとおりだ。そんな人に近づいてはいけないと親鸞聖人からも嫌われているのである。それは、歴史上の造悪無碍者ではなく、このお手紙すらも自分流に解釈し、せっかくの法話にも違和感を感じたりする、わたしそのもの姿にほかならない。いまのいままで、自分が造悪無碍者そのものだとは味わうことができなかったのである。
 
 ところがである。そんな親鸞さまにすら「近づくな」「私の手には負えない」と嫌われているわたしを、たったひとり、「そのような罪を犯して人にも親しく近づいてくださる」方があるという。それが、本願力廻向の働きで、弥陀同体の悟りを開いた還相の菩薩さまだ。親鸞さまにも嫌われたわたしを、たったおひとり阿弥陀さまだけはお捨てにならずに、喜んで近づいてくださるというのである。なんという勿体ないことであろうか。

 涙と、お念仏でご法話をさせて頂くしかなかった。

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『教行証文類』学習会

 いわゆる『教行信証』を、読むことにした。

 大学時代、特に大学院時代に、いろいろな高名な先生の講義やゼミを受けてきた。また講義本も何種類も買って目を通してきた。それでも、難しくて理解は出来ていない。もちろん、解説書を読んだ時には、何か分かったた気にもなるけれども、じゃ、何が分かったのかと問われると、まるで広大な海原で彷徨っている気分だ。

 その後、恩師の信楽峻麿先生の『教行証文類』が全巻揃った。そして、最近、お東の藤場俊基師の『親鸞の教行信証を読み解く』を読み返してみて、ずいぶん刺激を受けた。お二人とも、伝統教学からは外れている。たとえば、お西の宗学院での『本典』講義などの参考文献には挙げられないという話も聞いた。

 もちろん、相いれない箇所も多いし、僕自身の理解が浅いところもあろう。いちばん根本的(他力廻向信の一念の領解)なところで、見解がまったく相反するのだが、批判を踏まえた上でも、これまでの講本にない面白さがあった。口述なので脱線というか読み物として面白い部分もあるが、それだけでなく、伝統的な枠にとらわれない視点が新鮮なのである。

 まだ講習会や聖典講座で話せるレベルではない。といって自分でひとりで講本を頼りに読んでいるだけでつまらないので、大学院などで専門の勉強をされた方々と、共に読み進めていくことにした。

 メンバーの意識や力量にまだ差があると思った。どのように進めるのかも、まだ漠然としている。しかし、この先、何年、かかるか分からないが、たとえ一人、二人になっても、頑張って続けてみたいという意欲だけは、十分にある。

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ビアノの調律とレストラン

 子供会から60年以上もご縁の続く日高のWさんがピアノの調律にきてくださる。ぼくが生れる前からのご縁の方で、この方のお母様は、華光でも、1、2を争うほどの強く機を勧められる名物同人でもあった。

 華光会館にあるピアノを寄贈してくださり、そして自ら調律までしてくださる。華光会館で下宿されていた若いころのご恩を忘れることなく、交通費も含めてすべてご喜捨である。皆さん、ご存じないことだが、華光会はこんな同人の皆様に支えていただているのだ。いまは、すべて合理的に割り切った考え方の方多く、自分に見合うだけのお金を払えばそれでいいだろうということになる。ご法の恩恵は受けたいが、組織に入ることはイヤだという方も増えている。参加者が増えても、また同人

やお金が活発になったとしても、目には触れづらい場所で、善き仏法のあり方は滅んできているのかれしれない。

 

お誘い頂いて、事務所の方皆さんが、会館の近くのASAというレストラン(洋食店)で、ランチをこ馳走になる。彼が、会館に下宿されていた頃からあるお店だか、貧乏な若い時にはなかなか入れなかたっというのだ。息子さんがぼくの中学校の同級生だが、厨房の立つ人は違うような気がした。

 全員、一番、高いAランチ。ハンバーグとエビフライ、そしてビーフの黄金焼き(牛肉を卵でくるんだもの)が皿に乗っている。ものすごく久しぶりに食べる。昔ながらの洋食の味だ。なんとも郷愁誘う、懐かしい味がするのだ。

 Wさんといい、この味といい、昔にタイムスリップするようでなんとも懐かしい。ただ、今の聞法のお誘いになると、するりするりとうまくかわされてしまう。まあ、これもまたWさんのご縁であろうか。

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真カ研6月の月例会~如是我聞ゲーム~

 5月はアメリカ布教と重なって欠席したが、6月は担当した。西光先生の『育ち合う人間関係』を輪読している。今から、50年も前に書かれた、第1章の「カウンセリングの手引き」である。古い書物だが、まったくいまでも色あせないのは、先生を通じて示された、カウンセリング理解の深さと、崇高な理念によるものだろう。流行を追うだけの軽薄なHOW TOものなら、こうはいかない。

 今月は、傾聴力の訓練ということで、話し合いのルールに乗っ取ったゲームを行った。題して、「如是我聞」ゲームである。真宗者やお寺関係の方なら、この言葉はなんのこともなく理解できるが、カウンセリング関係の方々は、「初めて聞いた」と言われている。このネーミングは、うまい。阿難尊者が、自分を交えず、お釈迦さまから聴いたままを再述して、それを同じ仏弟子たちが承認したものが、お経の始まりなのだがら、ゲームの趣旨に沿っている。

 ぼくはこれまで何度(といっても最近はやっていない)も研修で行ってきたが、知らないという方が大半だったので、さっそく実践することにした。車座になり、伝え手は、隣の聴き手に「今日、参加した感想」を語り、聴き手は、それをよく聴いた上で、もう一度、話し手にの再述して返す。再述といっても、そのまますべてをオウム返しにするのではなく、内容よりも感情を大切にし、テーマを要約するというものである。

 参加者は、ベテランカウンセラーだったり、実践をしている方ばかりだったが、なかなか人前で、自分の受け答えを観察してもうらことは少ない。ゲームとはいえ、皆さん、緊張の趣で、なかなか引き締まった訓練となった。同時に、短い話し手の話(本人は意識していないのに)にも、しっかり最初にテーマの提示があり、最後は現在形で終わるという話の形式になっていることに、驚いた。そして、事柄ではなく感情に付いていくと、着地点を見失うこともよくわかった。なかなか自分の番になると緊張してわからないことが、第3者の観察者の立場で見せてもらうとで、ほんとうに楽しく勉強になった。同時に、これまでどれだけのお育てを頂いたかに気付かせていただき、有り難かった。

 それにしても、いかに、日頃、他人の話を聴いていないかが、よくわかった。聴くということは、相手を理解することである。つまり、聴いていないということは、相手を理解していないことである。つまり理解ではなく、常に相手を評価して生きているということである。まったく耳の痛い話である。

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同窓会

大学の同窓会は、信楽ゼミと真宗学専攻の同級生とがある。同じ龍谷大学で、共に業界(ほぼほぼ住職、ほぼほぼお西)の集いではあるが、少し性格が違う。同窓生の集いは気楽なのだが、少し居心地が悪い。2クラスあったが、ぼくとは違うクラスの方が中心で知らない人が多いからだ。また同じ業界ということで、ぼくの立位置が微妙なこともあって、なんとなく億劫でもある。それでも地元で開催されているので、喜んで出席している。

 こんな時の服装は困る。シャツだけならラフすぎるるか。ネクタイをするのも硬いかなー、でもちょうどいい夏のジャケットがないなーとなどと、誕生日(今頃!)のお祝いでシャツを買うついでに、夏のジャケットを買うことにした。

 開始時間と受付時間を間違って、すでに超売れ子のS先生のご挨拶の最中。記念撮影は終わっていた。3回目になると顔ぶれは固まり、懐かしい方と再会。億劫だったが、お酒が入って酔っぱらうと、あとは関係ない。2次会まででて、あとは個人的に飲みに行った。ただ飲みすぎて、妙なことを話した気もして、あとで凹むのは、いつものパターン。

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東京支部法座~安心の核心~

 最近、なんとなく停滞気味の東京支部法座だが、今回は違った。

  さまざまなご縁で、初めて、もしくは何年かぶにりにお目にかかる方が、7名もあったのだ。

 真剣(もちろん凡夫の真剣は「真剣なつもり」だが)な態度で向き合われると、こちらも熱が入る。様子見の方もあっただろう。中には、土曜日の昼座だけといわれていた方が、夜も参加され、翌日も参加され、涙を流してご聴聞されている。

 ここにお参りされるきっかけは、全員違う。ただある会の出身である(中には現役の方もあるようだが)という共通項はあるが、どうも心境も違うようだ。中には、ある会をやめた後、法体募り(法に偏って自分がお留守)の教えを、ただホクホクと慶んでいたのだが、それだけでほんとうにいいのだろうか疑問に思い、またここに戻ってきてくださった方もあった。

 すでに阿弥陀さまがご苦労されて、泥凡夫の私のために本願を成就されて南無阿弥陀仏の声となって、今、呼んでくださっている。そのお呼び声をお聞かせに預かるだけでいい。もうすでにお慈悲は届いているのだから、それを仰がせていただく以外に、凡夫のすることはないというのである。

 それが浄土真宗のお法りだ。でも、算用(計算)や理屈はあっても、なんとなく胸中にモヤモヤがあるのは、なぜか。ただ仰ぐだけで満足という方に、とやかくいう気はない。ただ、ほんとうに後生と自分に引き受け聞いていかない限り、ここの不審や疑問は起こってこないのではないか。それが宿善のある方だといってもいい。
 華光では、その不審を見て見ぬふりをするのでも、モヤモヤを無視するのでもなく、お慈悲で誤魔化していくのでもはない。ほんとうにその一点に向き合い、焦点を絞ってご聴聞させていただく。つまり信疑廃立、自他力廃立、「捨てもの、拾いもの」の分際こそが、真宗安心の核心だということである。

 その意味では、聞法は甘くはない。厳しい面もある。聞いても聞いてもわからない(当たり前だ。自力でわかる世界ではないのだ)。しかし、せっかく生れ難い人間に生れ、聞き難い仏法を聞かせていただいたいるのである。そこを一つを誤魔化せず、求めていこうという人達が集う場に勤めて交わり、慶んでいる方がいる以上、、一歩踏み出してそんな得道の人に道たずねて求めていく。ここは、そんな場であり続けたい。
 そんな思いを強く持たせてもらったのも、真摯に求める方との出遇いがあったからだ。

 

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ヨセミテ国立公園(2)~アメリカの旅(8)

Img_0753 ずぶ濡れになりながら爆音をたて落ちる大きな瀧(さすがに滝壺まではいけなかたが)を観た後は、シャトルバスに乗って、少しハイキグ。ミラーレイク、つまり鏡池に向かう。

Img_0754 少し歩くとのことだったが、舗装された道と山道があったが、もちろん山道を取った。ちょっとしたハイキングで、なかなか到着しなかったが、途中の風景もきれいなので、あまり苦にはならないた。流れの速い川で、泳いでいる人もあるが、雪解け水かなり冷たい。
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 ここがその湖。光の関係か、肉眼では風景が映り込む(ミラー)のがよくわからなかったのに、カメラに収めると、しっかりと映り込んで美しい。 Img_0787
この池の回りを周遊することもできるが、それをするとかなりのキロ数になる。お昼もまだなので、同じ道を引き返すことにした。
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Img_0827 遅いお昼をすませ、一つ瀧を見て、車に戻る。帰路は、5、6時間かかる。このまま帰宅着くするのかと思ったら、まだ絶景ビューに案内くださる。ここはまだ雪が残っている。確かに美しい。絶景である。 ただ、カメラに収めると、どうも小さくなってしまう。パノラマの壮Img_0943大さは、現地に立たないとなかなか伝えきれない。

 夏時間でもう午後7時を過ぎているが、まだ大勢の人だ。皆さん、夕映えに赤く染まる景色を待っておられるらしい。ただ、ぼくたちは、帰路もあるので、落日を待たずに帰宅。運転手は二人とはいえ、6時間もの道のりを飛ばしてくださった。ぼくは、ただ休んでいればいいのだが、連日の運転、お疲れさまでしたというしかない。
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≪足がすくみました↓≫
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ヨセミテ国立公園(1)~アメリカの旅(7)

Img_0706 さて、翌朝は早朝から、ヨセミテ国立公園アメリカの雄大な自然を堪能する。 

 総面積で3000キロ平方メートルとある。まったくピンとこない。
Img_0669 ネットで調べると、佐賀県の面積が2500キロ平方メートル、鳥取県が3500キロ平方メートImg_0674ルなので、その間ぐらいだというのだ。要は、日本の都道府県、一個分の広さがあるということ。そう聞くとびっくりするばかりだ。パンフレットには、公園内の道路だけで総Img_0688延長は315キロとある。京都からなら広島に向かうほどである。それよりImg_0676も驚くのは、ハイキングコースの総延長が、1300キロ!もあるというだ。

 僕たちが訪れたのは、ヨセミテ渓谷(ヴァレー)と言Img_0838_2われる場所で、公園内は整備されて、無料のシャトルバスが行き交っている。たいへんな人気で、平日にもかかわらず、大勢の観光客で、シャトルバスに溢れるほどである。広大な公園内だが、あまり歩かずにシャトルバスで回るもよし、簡単なハイングもよImg_0719し、本格的な登山やロッククライミングもあり、また自転車や乗馬などなど、実にさまざまな楽しみ方ができるようだ。広大な公園で、ただ観光客が訪れるのImg_0841は、全体のごくわずか1%の場所だというのである。ただ、その雄大な景色を写真に収めても、その魅力のImg_0708何分の一しか伝えることができないのは、残念。

 30年前に訪れた時は、3月でまだ雪が深く、手前までしか入れなかった。今は、ちょうど雪解け後、一番水量が多くて、多巨大な滝の水量はすさまじくて、爆音を立てて落ちてくる。途中まで近づくだけでもずぶぬれになるほどである。
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   ≪ハーフ・ドーム↑≫
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   ≪ヨセミテの瀧↑≫

 

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ヨセミテへのドライブ~アメリカの旅(6)

Img_0545 車を飛ばして、ヨセミテ国立公園に向かう。西へと向かっていくとすぐに砂漠地帯が続く。この時季、このあたりは雨が降らない。年間をImg_0549_2通じても降水量は少なく、人工湖を造って対応しているという。ヨセミテまでは少々距離がある。

Img_0562  お昼は、サブ・ウェイでサンドイッチ。日本のそれとImg_0561は違って、普通でも、かなりのビックサイズだ。もっと違うのは、この店舗の場所。こんなImg_0565何もない砂漠の中に立っていた。
 ちなみに今回は、ハンバガーも食べたが、日本ではあまりお見かけしない、イン・アウト。これはなかなImg_0491かおいしかった。カリフォルニア州を中心に展開しているのだそうだ。

Img_0489 途中、大きな事故(火災)の大渋滞に巻き込まれて到着が遅くなImg_0594り、この日は、ヨセミテ散策はやめて、ホテルで寛ぐ。

Img_0593  ホテルの入り口には、巨大なカジノがあって、驚いた。なんでも。この地域は、ネィテブアメリカン保護区で、先住民の支Img_0581_2援策でカジノが造られているという。といわうで、ぼくたちもほんの少しまねごとで、スロットを楽しんだ。ドルを賭けるとはいえ、日本のゲームセンターののりだ。いや、ゲイセImg_0582ンよりも少額で遊んだので、勝つことよりも楽しむことImg_0608中心。形だけでさっさと終わった。ただ回りで楽しんでいる人達が゛同じようなタイプなのが気になった。年齢層は高齢、白人の方が多く、暇を持て余して入り浸っているように見えた。

 

 

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支部長研修会

   今年の支部長研修会は、各支部からの報告に加えて、講話と「念仏の雄叫び」の輪読を行った。また、11月の華光大会での伊藤康善先生の五〇回忌法要と増井悟朗師の三回忌と併修して行うが、その企画について相談である。

 講話は、アメリカ布教で感じたことが中心。なぜ、英語で法話もできないぼくが、わざわざアメリカ法座に招かれるのかのである。とりになおさず、伊藤先生から流れ、増井先生とつながる法脈がなることだ。直接的には、増井先生から面授口伝された同行の上に、まだご法がいきいきと生きているからだ。真摯な聞法者、求道者を前にすると、私達が華光に集っているということは、どんな意義があるのか。また、これまで華光の法座が何を大切にしてきたのか、そして、それをお前はどう領解しているのかが、問われる結果となるのだ。

 華光会といっても、浄土真宗の流れを汲むもだ。本願寺派の教義の上での、差異はあまりないといっていい。聖道自力の教えやキリスト教などの他宗と比較するならば、それは歴然だ。にも関わらず、わざわざ私達が遠近各地から集ってくるのは、なぜなのか。また、共に聞法していた方が、阿弥陀さまのお慈悲の有り難い話に引かれて、疎遠となっていく方も多くなっている。一番、大切な華光の特色を、私達が疎かにしているということはないのだろうか。

 改めて、伊藤康善先生が『仏敵』を著し、それに接して驚きが立った同行が集い、草の根的な信仰活動が、先生亡き後も50年も継続して続いてきた(華光誌創刊からは76年も)わこである。その意義とは、その精神を問う機会としたかったのだ。

 ということも含めて、先達たちが著してくださった『安心調べ』『仏敵』、そして『親指のふし』に触れながら講話させてもらった。

 また翌日には、『念仏の雄叫び』を輪読。その中の一章「救済(ぐさい)の予定概念」をとりあげた。三つの心、特に「暗い心」=自力計度(けたく)の心について、小賢しい働きについて詳しい。しかもこれは、他力廻向の信の一念破れる心だ。その信疑廃立の水際を立てて聴聞するのが、華光に流れるもっとも大切な伝統だと言っていい。その意味でも、今回の五十回忌と三回忌の集いは、タイムリーな企画となろだろう。しっかり準備をしていきたい。

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真宗連合学会

Img_1540 午後からの「支部長研修会」を前に、龍谷大学で開かされた真宗連合学会に出席する。午後からの講演会は出られないが、午前中の研究発表だけでも聞かせていただいた。大学教授や専門の学者に交じって、博士課程の学生も発表する。年々、その質が上がっているのに驚いた。それでも、質問される教授陣も、また専門家ならではの鋭い指摘がある。

 ただし、すべて学問や研究の世界であって、生きた信仰の場でない。それでも、大いに刺激を受けた次第だ。

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ナパ・バレ-~アメリカの旅(5)~

 翌日は、カリフォルニア・ワインの一大産地ナパ・バレーへ。 サンフランシスコの北の郊外なので、南のサンノゼに近いサニーベルからだと、2時間以上はかかる。ここも前回も来たので2度目。その時、訪れたワイナリーまでは覚えていないが、ワイン製造のプロセスをみせてもらい、ブドウの甘酸っぱい匂いは甦てくる。Img_0478_3Img_0483
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  さまざまなワイナリーが点在していて、S字カーブの山越え道を通って、遠いワイナリーにも連れいってもらった。≪ここは2軒目↓≫Img_0534
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  それぞれのワイナリーで有料でのテーステーングをする。日本と違って、ドライバーでも少々の飲酒は問題にならないらしい。3ヶ所もまわると、ほんの少しずつでも、かなり呑ませてもらった。気になったワインもあったが、荷物には制限がある。ここまで来ないと買えないものをお土産用に3本ほど購入しいた。

≪3か所目は、山越をした静かなワイナリ-。いろいろ案内下さり、親切に対応くださる↓≫ 
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 3か所をめぐって、夕食のメキシカン料理のお店を目指して車は走り出した。が、しばらくして緊急事態が発覚。いや、この下の写真の時に、もうすでに事件は起こっていたのだが、もう1度、今日立ち寄った場所に戻って、忘れ物探しがこれから始まるのだった、、。Img_0509

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フイシャーマンズ・ワーフ~アメリカの旅(4)~

ゴールデンゲートブリッジと並ぶ、サンフランシスコの定番の観光地が、フイシャーマンズ・ワーフ。前回は、到着した夜にここで歓迎会をもってくださった。
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今回は、ピア39へ。街は、観光客も多くて、音楽やパフォーマンスで華やいだ雰囲気。
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アシカが集まる埠頭だそうだが、そこまではいかずにブラブラお店を覗く。Img_0423

 遅いランチをご馳走になる。普通のものをたのんでも、ビックサイズなのはやっぱりアメリカ。その後の食事は、肉にしても何にしてもビックサイズ。Img_0418
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ケーブルーカーとミュニメトロ~アメリカの旅(3)~

 フイシャーマンズ・ワーフへ向かう。
 その前に乗り物の紹介。坂の街に似合う定番の乗り物は、ケーブルーカーだ。
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 ケーブルーカーは観光用で、トロリーバスがよく走っていた。
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 お洒落な路面電車(ミュニメトロ)が走っていた。
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個人的にはレトロなミュニメトロも素敵だと思った。

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サンフランシスコの街並み~アメリカの旅(2)~

ハイウェイから、サンフランシスの高層ビル群が見える。Img_1363

サンフランシスの中心街へ。文化地区の中心に建つのがサンフランシスコ市庁舎。
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夜もライトアップされてなかなか美しい。
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お洒落な外観のビルもあちこちに。
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 サンフランシスコは坂の街だ。たくさんの丘(ヒル)があるが、その丘の一つに建つのコイトタワー。街が見渡せる眺望がいいらしいが、今回はタワーを外から観ただけ。
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 レンガ畳のS字カーブの坂が続く、ロンバート・ストリートへ。何でも、世界一勾配のあるクネクネ坂だそうだ。なぜ、世界一なのかは、よくわからないが、とにかくその看板には偽りはなかった。回りはよく手入れされた庭と華麗な建物が続く街並みも美しい。
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車中から、ジャイアンツの本拠地、AT&Tパークを観る。外見だけだけど、巨大コーラも少し写っている。
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ゴールデンゲートブリッジ~アメリカの旅(1)

Img_0305  定刻にサンフランシスコ空港へ。行きは、時間が戻って、日本は翌日の深夜なのに、まだその日の朝で得した気分。駐機場が混雑で機内で1時間待たされたが、それでも無事に、Kご夫妻のお出迎えを受けて、そのままシスコ市内観光にでる。

Img_0311 まずは、定番のゴールデンゲートブリッジへ。世界でもっとも有名で、美しい吊り橋。アメリカ映画でもしばしば登場する。前回は、開教本部を表敬訪問後、この金門橋を見下ろすDさんという同Img_0326人宅にお邪魔した。もう何10年前にご往生されている。3月の霧雨はかなり肌寒く、煙った金門橋は、まさに霧のサンフランシスクのイメージどおりで、印象深く覚えている。

 今回は初夏。旅行期間中、青空が広がった。今は、乾季に入り、雨はImg_0337滅多に降らないそうだ。気温は、日差しのあることは暑いが、日陰に入ったり、朝晩はまだ冷え込む。カリフォルニアの青空が広がっている。ところが、山から海へ沸き起こった雲が流れ込んで、ゴールデンゲートブリッジは霧の中に隠れている。

Img_0318 車で渡ったあと、端の袂の展望台から眺めて、少しだけ橋を歩いた。観光客で混み合っていた。その後は、高台に上がって、上からの眺め。快晴の青空なのに、橋の付近では雲が沸き上がってくる様子がよくわかる。

Img_0330 沖合に見える島が、脱出不可能な牢獄として名高いアルカトラズ島だ。マフィアの大物、アルカボネなどの有名人が投獄され、また数々の映画のテーマになっている。今は、監獄は使用されず観Img_1496_2光資源となっている。残念ながら、今回は遊覧する時間はなかった。

 一つの橋を、車で渡り、近くから眺め、少し歩いて、最後は、離れた山から眺めた。他にも、下から眺めるポイントや船から眺めることも出来る。

 ちなみに、帰りの飛行機からは、こんな感じ。Img_0343
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    ≪アルカトラズ島≫

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広島支部大会~十重二重のご因縁~

Img_1519  6月は宿泊での広島支部大会である。「大会」と書いたがそれは以前のことで、今は、普通に支部の宿泊法座だろうが、以前は、そんな意識が広島の皆さんにあったと思う。宿泊だが広島の方が中心。最近、島根の方のお参りが少ないのが気にかかる。

 知らない顔はなかったが、最初は、改めて華光とのご縁のところ、また今の課題を出し合った。先月も感じたが、このところ広島支部のImg_1527座談会は、なかなかいい感じになっている。

 法話は、アメリカでの家庭法座で感じたことを中心に聞いてもらった。ぼくの中で、今回のアメリカでの法座のご縁は、かなり大きな転機になりそうな予感がしているのだ。

Img_1533 しかも今回のアメリカ法座は、広島支部との関係もかなり深い。法座に集まった方の大半は、広島出身の方が多かった。それだけではない。もともと、華光の広島支部の出発点のご縁と、今回のアメリカ法座の出発点のご縁は、まったく同じ先生のご教化によるご兄弟が、そのルーツになっているからだ。

Img_1531 先生の名は、羽栗行道師。アリメカで開教師として活躍されているが、罪悪観の徹底することで、ほんとうの自己に出会うことを、具体的にまた鋭く説かれた名師である。

 その先生にアメリカで出会われたのが、広島から開拓のために渡米されていた「武一氏」である。この一大事のご法を、家族や親戚縁者に伝えるために、羽栗先生の帰国と一緒に、日本に戻られたのでImg_1516ある。その後、武一氏のお子さんも仏法を聞く身となられて、全員、華光とのご縁を結ばれている。広島だけでなく、奈良や東京に移られたのちも、ご縁は途絶えることはなく続いている。そのお子さん(武一さんからはお孫さん)が、今回の法座に参加されている(つまりクライドさんとはハトコになる)。今は、お孫さんから曾孫さんへ。さらには玄孫(やしゃご)へと、ご縁はつながっているのだ。実は、この関係は、一昨年の広島廿日市での壮年の集いで、詳しくお聞きしたのだ。

 そしてその「武一氏」の弟にあたるのが、アメリカの「米一氏」である。そのお子さんたちも、アメリカで仏法を相続されて、皆さんが華光とのご縁を結んでくださったのである。今回は、米一さんのお孫さん(長女、長男、三男の方)のそれぞれのお子さんとその連れ合い、さらには曾孫さんにあたる皆さんが、法座に集ってくださった。こちらも、お孫さん、曾孫さん、さらには玄孫(やしゃご)へと、ご縁がつながっていこうとしているのだ。

 そう考えると、日米と地域は異なるが、まったく相似形のような形で仏法相続されている、なんとも不思議な稀なる一族である。

 それは、皆さんだけではない。羽栗先生から皮切りに、伊藤康善先生、そして父でもある増井悟朗師とご縁がつながって、いまのぼくがここでご法縁を結ばせてもらっているのだから、これもまたなんとも有り難い、不思議なご因縁である。

 これは目に見えて遡れるだけでも、十重二重のご因縁の賜物なのであるが、過去世からのご因縁を心馳せたなら、まさに「遠く宿縁を慶べ」としかいいようがないのだろう。すべて、阿弥陀さまのご執念によるものにほかならないのだ。

 緑に囲まれた会場の神田山荘には、終始、ウグイスの声が響きわたっている。「ホーホケキョ」-「法、聞けよ」の呼び声である。まるで浄土にあって六鳥の説法の声のようだった。
 

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アメリカ布教

Img_0301  週末の2日間の「真宗法座の集い」を終えて翌日からアメリカ布教に出かけた。

 2度目のアメリカ。約30年ぶりだ。今回は10日間だけの短いものだが、無事帰国した。

 サンフランシスコ郊外、シリコンバリーと称されて発展しているサンノゼ近郊の街でのK家の家庭法座である。Kご夫婦でお招きいただき、何から何までご負担いたき、またお世話もいただいた。法座の前には、観光にも連れてImg_1497いってくださった。

 1年半ほど前、京都でKご夫妻と食事中に、お話をいただいた。ぼくも、連れ合いも英語はダメで、参加者には日本語が苦手な人もあるので、その点での不安はあったが、お二人にかなりの思い入れがあったので、喜んでお引き受けした。

 慣れない準備は、さぞたいへんであっただろう。事前準備や呼びかけにも苦労されたようだ。法座が始まれば、3日間の間、参加の食事もいろいろと考えてくださっていた。

 言葉の壁があるので、何度もスカイプで打ち合わせをしたり、ぼく自身もいろいろと工夫して望みことにした。少し話してみなければ、皆さんの反応はわからない。教案もいろいろと持っていったが、その場で修正していくという意味では、少し出たところ勝負という感もあったが、それはそれで面白い。

 結果、ほんとうにいい法座となった。ぼく自身も大きな刺激をいただいた。

 それはぼくの力だけではない。参加の皆さんの姿勢にもよるところが大きいし、一番に、ぼくたちを招聘し、お世話くださったKご一家のご尽力のたまものである。改めて御礼申し上げたい。
 さらには、目には目えないが、何十年にもわたり訪米し、布教してきた父の力があったことだ。父の蒔いた法のタネが、次ぎの世代、また次ぎの世代へと受け継がれていたからである。そのことを実感させていただいただけでも、大きな成果だったのである。

 ボチボチと法座のことだけでなく、観光させていただいたことなど、旅を振りかえて触れていきたい。 

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