尊かった信仰体験発表
今回の信仰体験発表は、いろいろな意味で刺激的であった。
それぞれの人生体験が、まるで小説や映画のような壮絶なものばかりで、驚きの連続。ある方が、「やっと自分を解放をしていいと思えました」と、これまで封印されていた壮絶な歩みを淡々と語ってくださったのも、有り難かった。どこかでご自分を責めておらもたのかもしれない。
悟朗先生から、「真宗のお法りは、人生経験や苦労をしたから聞けるというものではない。仏法は人生経験を超えた世界です」と、常々お聞きしている。そのとおりで、苦労しているから聞けるというものではない。往々にして、現世利益の新興宗教に傾く方も多い。それでも、ここに集う人々は、その辛さ、逆縁が、仏法に向かう強縁となったのであるから、尊いことである。
中には、「一念のところがハッキリしていない」という指摘があったようだ。そう教えてくださるもの有り難い。ただ何かハッキリしたものを握って停まる人よりも、道を求めて歩み続けることの尊さを味わうようになった。
皆さん、凡夫ではあるが、道を求めて歩み続ける尊き人々である。お一人お一人に合掌せずにはおれなかった。
| 固定リンク
「法座と聞法」カテゴリの記事
- 京都支部法座~2月の連続法座(6)(2024.02.23)
- 第3回「長命の集い」2日目~2月の連続法座(5)(2024.02.21)
- 第3回「長命の集い」初日~2月の連続法座(4)(2024.02.20)
- 久しぶりの広島法座~2月の連続法座(3)(2024.02.19)
- 華光誌輪読は「同人さん…」~2月の連続法座(2)(2024.02.18)