常に求道者でありたい
京都駅の新幹線ホームには、西本願寺の「伝燈奉告法要」看板広告が掲示されている。
親鸞聖人が明かにされた真実の法燈が確かに受け継がれて、いま、ここまで届いてきているのである。その受け継がれていく真実の燈火とは何々か。伝えるべき燈火とは? それをお考えになるのがご門主のお仕事なのだろう。
同時それは、私達ひとりひとりにも同じ問いが投げかけられている。私が受け継ぎ、この胸に燈していただいた法燈とは、一体、何なのか。各々に、それがどんな形で私に届けられているのだろうか。
もちろん、弥陀の本願を発したお念仏のお心なのだが、それは法蔵菩薩さまの願いを源泉とするものだ。すると、常のそのおこころ、その精神に根ざし、そこから離れないのである。ならば、それがわが胸に届いているならば、不法懈怠の虚仮不実の身ではあっても、常に求道者として歩み続けたい。道を尋ね、真実を求め、歩み続けていきたいのである。
私の歩みに卒業はないのである。
| 固定リンク
「法味・随想」カテゴリの記事
- 今日はご示談(2022.11.25)
- 神鍋高原・八反瀧(2022.11.06)
- 納骨法要(2022.10.29)
- 法に追い立てられる幸せ(2022.05.29)
- コロナ禍の三回忌法要(2022.02.19)