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『ヒトラーの忘れもの』

  アカデミー賞受賞関連品が、数多く上映される季節になった。

 映画界の最高の栄誉のように錯覚されかちだが、ハリウッドが世界を席捲していた時ならいざしらず、所詮、英語圏(原則、あくまでもハリウッド製作で、ロサンゼズルでの上映がされているなど)の映画しか対象にはならない。しかもアメリカ人は字幕で映画を見るのはキライなようで、古代の中国が舞台で、俳優は中国人でも、みんな映画を喋っている。妙なのもで、日本では吹替え映画は子供向けのよう思われがらなのが、対照的だ。

 それはちょっと余談だが、英語圏の以外の映画は外国語映画賞という分野だ。各国代表から、さらに5本がノミネートされて、本作『ヒトラーの忘れもの』はデンマーク代表。

 これがハラハラと、観ている者も肩が凝るような緊張感たっぷりの映画だった。

 第二次対戦直後、小国であるデンマーク人が、支配層であったナチスドイツに対して懐いていた感情(憎悪)が、その背景になっている。日本人には、この感覚の複雑さは、当事者ではないので、正確に味わえないものだろう。でも好意的な雰囲気でないことだけは明かである。

 連合国の上陸に備え、デンマークの海岸線に、ナチスはは200万個以上の地雷が埋めれていた。終戦後、命懸けの除去作業をおこなったのは、捕虜であったドイツ兵である。しかも大半がまだ未成年の少年兵であった。神経をすり減らす命懸けの作業が続いてく。数センチ単位で、棒をさして匍匐前身しながら、地雷を除去していくのだが、常に死と背中合わせだ。一瞬の油断や不運で、からだが粉々になってしまう。

 しかも捕虜の待遇は劣悪だ。食べ物もろくに与えられず、上官は、彼らを罵倒し、警戒しつづけている。人間扱いされていない。回りの彼らを見る眼も、おそろしく冷たい。そんな劣悪な環境の中でも、彼らには夢がある。地雷除去が終わると、ドイツに必ず戻すという約束がなされているのだ。なんとか祖国に戻り、新しい国づくりのためにそれぞれの夢を叶えたいと願うものばかりだ。みな普通の子供(青年)たちである。しかし、仲間や兄弟が、作業中にいのちを落すものも出る。それでも、あきらめずにひたむきなに作業を続ける彼と、敵視していた監視役のデンマーク兵が、徐々に心を通わせていくようになる…。というようなストーリー。

 普通なら、きっと堪えきれずに自殺するするものが出でもおかしくないような、あまりにも過酷な任務に、こちらもハラハラのし通し。狂気や、憎悪、または冷酷さと同時に、人間的な交流が徐々に生れて、立場や民族を超えた人のぬくもりも十分に味わえる佳作だった。
 

 

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