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高山支部法座

初日の参加者は寂しかったが、2日目は、富山や長野からの初参加者がある。別院からも僧侶の方が2度目のお参り。最高齢は100歳。しっかり座談でも発言される。そして、若い(学生世代)方が、熱心に聞いてくれるものだからエネルギーとなった。外からの参加者のおかげで、いい座談会になったようだ。

 いつものことだが、座談会を苦手とされている。しかし今回は、フリーではなく、テーマを設けて尋ねた。たとえば「浄土真宗で一番大切なものはなんですか」とか、「ご自分の聞法のきっかけを教えてください」。そして、「いまのご自分の悩み、困っていることでも、もしくは課題にしているを教えてください」という問うていくのだ。

 これが予想以上に活発でよかった。

 高山支部が出来て20数年経過したが、その歴史を聞いているようで、その間にも、実にさまざまな出会いがあり、そして別れがあり、ご縁があったことを改めて教えられた。

   また、それぞれが、それぞれの業を抱えて、つらい現実と向き合っている姿も尊かった。日頃、冷静な熟年の男性が、家族の問題で、肩を震わせて、声詰まらせながら、自分の悩みを率直に語ったくださる方の姿には感動もした。

 ただ、高山の皆さんの課題は、その後の分かち合い(シェーアリング)になると、どんよりした空気になることだ。ここは単純に、「面白かった」とか「話しやすかった」とか、「みんなが近くに感じられた」といった程度の感想でいいのだけれども、どこか身構えられている。いいことを、立派なことを言わねばないという思いが強すぎるのかもしれない。ほんとうに一言でもいい、単純でもいいので、いま、みんなで体験し、経験したことを、率直にその気持ちや思いを分かち合い、共感することができるならば、さらに一層、皆さん同士が、お互いを近く、ますますかけがえのない存在として尊重できるのではないだろうか。

 これは次回の課題に!

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