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御聞かせに預かった永代経法座

  GMの前半の永代経法座も終わった。 

 法話を通し、座談会を通し、また信仰体験発表を通して、お聞かせに預かった3日間。

 平日(金曜日)が入るので、初日の参詣者は少なめだったが、2日目からは例年並のお参りがあった。3日間の昼座は法要もあって、順次、浄土三部経をお勤めさせていただいた。
 今回は2座ご法話を担当した。他にも4名のご講師からご法話を頂戴する。ぼくも、努めて前列に座りご聴聞させていただいた。ちょっと最初が欠けたこともあったが、ほぼ道場に座って拝聴することができた。大きな行事中は所用や雑務が多い。法座の合間に会議もあって資料作りもある。それを理由に、疱瘡での聴聞が多かったが、今回は事前に用事をすませた。法話検討(2席目目)は残ったが、道場に座ることを優先させた。当たり前のことだが、身を置いてお聞かせに預かることの大切さを感じた。
 
 もし法話を聞くだけなら、録画したものでも同じ内容は聞ける。繰り返し繰り返し聞けるというメリットもある。何かを暗記したり、覚えるのならそれでいいかもしれない。だが、その場の空気感を味わうことはできない。からだがしんどかったり、居眠りしたり、念仏が溢れたり、暑かったり寒かったりも、すべてこの身に直を置いて、肌で聞かせてもらうことである。それには、お金もかかる。時間もかかる。日程や仕事のやりとりもある。からだもしんどい。閉じていたいときは、億劫だ。懈怠の身は、楽な方に楽な方に流されていく。
 それが凡夫の性である。

 だからこそである。常に一歩を踏み出して聞かせていただきたい。その懈怠の身を一歩踏み出して、法の仲間(お同行)の集うの法(のり)の集いに身を投じる。そして、口を開き、互いに腸(はらわた)をみせて法を語り合う。

 改めて、その幸せを味わわせて頂いた永代経法座だった。

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