仏教入門講座「ブッダとは誰か」
今年も、佛教大学の一般公開講座の「仏教入門講座」を受講している。4月から始まったが、相変わらず、イスが足りなくなるほどの盛況ふり。定年後の年代が中心である。 昨年は、大乗経典の総花的な話だったので、高野山大学の教授から窺った「密教経典」の話が面白かった。ほとんど知らないことばかりだからだ。今年は、「教えを説く人、教えを聴く人」というテーマであるが、「仏・法・僧」についての講義となるようだ。昨年は、高野山大学だけでなく、文教大学学長の平岡先生などが登壇されたが、今年は、佛教大學の仏教学の先生が担当される。
4月からは、まずは「ブッダとは誰か」と題して、吹田隆道先生の講義を聞いている。やはり生で聞くのは書籍では味わえない面白さがある。(録音禁止)残らないので、遠慮なく、大御所である中村元先生の研究の誤りを面白おかしく批判をされていた。しかし偉大なベースとなる先行研究があるからこそ、それを発展させるだけでなく批判することで、さらに乗り越えて発展していくものだろう。
余談となったが、パーリーや漢語経典だけでなく、特にサンスクリット経典と照合しながら、釈尊伝を洗い直しておられる。従来の研究では、釈尊の生涯をモデルにして、その後の過去仏などの仏伝が造られたと思われていたが、『マハー・アヴァンダーナ経』の前半部などは、当時、知られていた釈尊の生涯の「わずかな情報」を、過去仏に投影して、ブッタたるものはという前提条件をつくって、それを普遍化し、釈尊のブッダ伝がつくられたきたというのである。しかしそれは意味のないものではなく、考古学的な裏づけのないものは、当時の人達が求めていたブッダ像としていただくという姿勢で始まった。
誕生のところひとつでも、これまで知っていたことに新しい視点を教えていただいた。詳しくは、別の機会に触れるが、「なぜルンビニーなのか」「なぜ、白象が入胎したのか」「右脇から生れたというわけ」や「七歩歩かれた真相」など、宗教的な意味で理解するだけでなく、それが顕されている歴史的な背景などが聞けて、「ヘェー」と驚くことが多かった。.
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